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蟹に指をはさまれた

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 四歳のときに僕は東京から瀬戸内へ移った。初めに住んだのは祖父が作った大きな家だった。二階からは目の前に瀬戸内の海が見え、うしろは裏庭のいきどまりが中国山脈の山裾の、始まりの部分だった。その家の前に川があった。地元の人たちは入り川と呼んでいた。海の満ち引きとともに、水位は大きく上下した。干潮時の水深は十センチもなく、満ち潮の時の深さは五メートルにはなったろう。

 僕の住んだ家の前あたりが、その川で遊ぶ子供たちにとって、もっとも適していた。おなじ川でもほんの少し位置が変わるだけで、遊ぶ子供を受け入れない気配や危険があった。満潮時にはプールのようにおだやかなこの川で、幼い僕は泳ぎを覚え、ここで可能なありとあらゆる遊びに明け暮れた。この川には蟹(かに)がいた。干潮の川底を歩いている蟹は、特別な道具なしでもつかまえることが出来た。食用になる蟹だった、と記憶している。河口は小さな港で、その外は瀬戸内の海だ。ここにも蟹がいた。これはたいそう美味だった。

 裏庭の山裾には別な種類の蟹がいた。湧き水が山の斜面を流れ落ち、いつも湿っていてやや暗い岩かげの小さな羊歯(シダ)類の茂みのなかに、何匹もの蟹がいた。熟した柿の色を地色に、くすんだ色であちこち複雑に模様のある、甲羅の部分の横幅が三センチほどの、小さな蟹だった。これは食べられない、と大人たちは言っていた。梅雨の雨が降る日の、夕暮れの始まる時間、番傘をさしてここへいくと、何匹もの蟹がそれぞれに歩いているのを、飽きずに観察することが出来た。僕の気配を感じて、横歩きで逃げ出す蟹がかならずいた。それをさっと指先につかまえるのは、さほど難しいことではなかった。

 あたりがほんのりと暗くなっていく時間、番傘に落ちる雨の音を受けとめ、山の匂いにつつまれて、片手の指先につまんだ蟹を僕は見る。蟹もその目玉で僕を見ている。気を抜いていると蟹は鋏をさっと反転させ、僕の指をはさむ。かなり痛い。しかしけっして激痛などではないし、怪我をすることもない。

 指を鋏にはさまれたままにしておくと、蟹はさらに鋏に力を込める。鋏の構造とそれを動かす筋肉の力とが、僕の指を相手に生み出す、心地の良い痛さだ。つまみ上げられている状態から脱したいのだろう、蟹は僕の指をはさみ続ける。その痛さを僕はなおも受けとめる。

 そしてふと、蟹をつまんでいる指を離す。一拍だけ遅れて、蟹も鋏を開く。地面に落ちた蟹は、駆け足で岩かげへと逃げていく。その蟹を僕は視線で追ってみる。今ここでひとりこんなことをしている自分という存在の、なんとも説明しようもない摩訶不思議な様子を、羊歯の葉に隠れようとする小さな蟹の姿に重ねて、幼い僕は見た。

 ほんの少し前、ついさっきから現在までの時間が、一瞬のうちによみがえって消える。部屋のなかで退屈した僕は蟹を見ることを思い立ち、番傘をさして裏庭を歩き、蟹のいる場所まで来た。そして蟹をつまみ、その鋏に指をはさまれた。その蟹はすでに僕の指を離れ、とっくに羊歯の葉の下に身を隠した。蟹の鋏による痛みの、指に残る小さな記憶が、そのときそこにいた僕だった。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年

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2004年 『自分と自分以外ー戦後60年と今』 子供 瀬戸内 記憶
2016年9月4日 05:30
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