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僕たちのはじめての海

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 ハワイにいるときの彼は、オアフ島の北側、サンセット・ビーチのすぐかたわらにあった木造二階建ての古い家に住んでいた。その家へ僕は何度も遊びにいった。泊めてもらったことも一度や二度ではない。彼がほかの場所にいるときには、自分の家と同様にそこに住んだこともあった。

 ゆったりとした間取りの、開放的な雰囲気のある素朴な家だった。訪ねてくる誰もが、その家を気にいっていた。海の香りと音が一日じゅう家のなかにあった。そして香りも音も、時間の経過にしたがって微妙に変化した。

 その家のどの部分も素敵だったが、もっともいいのは2階のバルコニーだった。広い板張りのバルコニーの両側にはそれぞれ巨木があり、これが視界の左右を心地良く縁取っていた。そしてその視界のなかには、いつも北海岸の海があった。美しい晴天の日も、嵐の吹きすさぶ日も、そして真夜中も朝早くも、その海は常に素晴らしかった。

 ある年のある日のタ方、そのバルコニーでビールを飲みながら、彼とふたりで話をしてひとときを過ごしたのが、彼との時間の最後になった。最後になろうとはふたりともまったく思っていず、いつものとおり呑気に、らちもない会話を僕たちは交わした。おたがいに海というものをはじめて見たときのことについて、僕と彼は語り合った。

 僕が最初に海を見たのは、3歳の夏だった。東京で山の手のおぼっちゃんになりかかっていた僕は、鎌倉の別宅へいったついでに海へ連れていかれた。あのあたりの海岸の、あの砂の色の第一印象を、いまでも僕ははっきりと覚えている。

 海にある水は野菜ジュースだと僕は思った。乳母のような役を果たしていた女性が、いつも作っては僕に飲ませようとしていた野菜ジュースに、はじめて見た海はそっくりだった。こんなにたくさんの野菜ジュースを、いったいどうしたらいいのだろうかと、僕は途方にくれた。

 ハワイ育ちの父親に手を引かれて、僕は砂の上を歩いた。波打ちぎわの近くまでいったとき、波が見えた。いまならなんということもない、高さ30センチほどの砕け波なのだが、幼くて小さい僕には、不可解で怖いものに見えた。横につらなって砕けながら押し寄せてくるその様子に、僕は泣き出した。

 海は大量の野菜ジュースだと思い、砕け波を見て僕は泣いた。僕にとっての、最初の海体験だ。僕が語るのを聞いて、彼は笑っていた。彼はニュージャージーに生まれて育った。はじめて体験した海について、彼は語ってくれた。

「僕が5歳か6歳の年の夏に、父親と母親、そしてふたりの姉といっしょに、海岸へピクニックにいくことになったんだ。海は大西洋だよ。前日の夜、タ食のあと、父親が道路地図を僕に見せた。海までの道のりを、父は地図の上でたどってみせてくれた。明日はここへいくんだよ、と父が指先で示した場所は、ブルー一色で広く塗りつぶした部分のすぐ隣りだった。この青い部分はなにだろうかと思った僕は、父にきいてみた。それが海だよ、と父親は笑いながら答えた」

 遠い昔を思い出しながら、彼は笑顔だった。ビールを飲み、海に目をむけた。視線を僕に戻して、彼は笑顔を深めた。そして次のように語った。

「海にこれほどまでに近いところへいったら、かならず海へ落ちてしまう、と僕は思った。自宅のある場所は海からかなり離れていたので、海へ落ちる心配はなさそうだったけれど、ピクニックをするという海岸は、海のすぐそばなんだよ。自分はかならず海に落ちる、と僕は思った。怖くなった僕は泣き出し、海に落ちるのはいやだ、海へいくのはやめよう、と父親に頼んだ。父親は笑っていた」

 自動車で海へむかうあいだずっと、彼は不安でならなかったそうだ。自分たちが走っている場所を、父親はときどき彼に地図の上で示してみせた。海にむけて確実に接近していきつつあった。海へ落ちると言って彼は泣き、ふたりの姉に叱られたりからかわれたりした。

「海へは落ちなかったよ。海岸に到着して一時間もたつと、幼い僕は落ち着いた楽しい気分で海を眺めることが出来るようになっていた」

 サンセット・ビーチの家のバルコニーでこんな話をした数日後に、彼はカリフォルニアへいった。そこで波乗りをしていて、鮫に襲われて死んでしまった。地元の新聞に彼の死は小さな記事となって出た。その切り抜きが、それから何年もあとまで、サーファーたちのたまり場になっている店の壁に、ほかのさまざまな切り抜きやスナップ写真とともに、ピンでとめてあった。

底本:『アール・グレイから始まる日』角川文庫 1991年


1991年 『アール・グレイから始まる日』 オアフ島 サーフィン ハワイ 父親
2015年11月18日 05:30
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