972編公開中。 今を映す手鏡のように
2016.1.14
最終的な課題はぜんたいのスペースだ
(Heidi Goennel, My Day, Little Brown & Co, 1988)  ヘイディ・グーネルの絵本『マイ・デイ』は、くすんだ金髪を二本のおさげに編んだ少女の一日を描いている。ある日、朝起…
2016.1.13
ある種の恋人は現場に戻って回想する
 パトリス・ルコント監督は、好みのものをじっと見つめて観察するのが好きな人だ、と僕は思う。自分の好みのものをいつまでも自分のものとしていたいから、彼はそうする。見つめ観察する対象がたとえば彼女というひとりの女性なら、彼女…
2016.1.12
いかに生きたら、もっともかっこういいか
 いまこれから、ひょっとしたら貴兄にも読んでいただけるかもしれないこの短い文章のために、男性はどのように生きたらかっこういいだろうか、というテーマを僕はもらってしまった。たいへんに書きにくいテーマだし、僕にとっては不得意…
2016.1.11
だから彼らはいまでも半人前が好き
 僕はこれまでにかなり数多くの小説を書いてきた。ごく特殊な場合を別として、ストーリーにはそれを支えて進展させていく人、つまり主人公というものが必要だ。僕が書く小説の主人公は、ほとんどの場合、女性だ。僕の小説のなかで、主た…
2016.1.10
僕はわき見をしていたい
 僕は小学生のときは1学年につき2か月ほどしか学校へいっていない。中学生の頃は、学校へいった日数は、3年間の合計で百日あるかないかだ。高等学校になると、だいたい1日おきに登校していた。  学校ではないさまざまな場所に、学…
2016.1.9
対話をしない人
 自分専用の固い枠の内側に守られ、そのかぎりにおいて安心して存在していることの出来る自分という人のありかたは、日本人のありかたの基本だと言っていい。ものごとの言いあらわしかたにかかわる日本語の基本能力が、主観という固い枠…
2016.1.8
正社員という絶滅危惧種
 正社員、という言葉を目にする機会が多いことに、ふと気がつく。人の口から聞くことも多い。街頭で取材中のTVカメラに向かって、「今年卒業ですけど、会社に入るなら正社員を希望しますね、やっぱり」などと、青年が語っている。ほん…
2016.1.7
1月1日、消印はモンパルナス
 消印をはっきりと読むことが出来る。1992年1月1日、モンパルナスだ。かつて僕が少しだけともに仕事をしたことのある、いろんな意味でたいへん素敵な女性が、数年前にフランスへ渡り、大学へ通って勉強をしている。その女性が、季…
2016.1.6
いきづまりに立ち会う
 世界ぜんたいのいきづまりに立ち会えるとは思わなかった。いずれも世界最高の知性と呼ばれている各国の知識人たちの意見は、ほぼひとつのところにまとまる。どのようなものになるかはまったくわからないが、これまでとはまるで異なる、…
2016.1.5
システム手帳とはなにか
 システム手帳、という言葉を僕はさきほどから観察している。すっかり日本語になりきった言葉だ。いくら観察しても、もはやなにごとも起きそうにない。しかし、考えていく作業のスタートとしての観察なら、観察する価値はあるような気が…
2016.1.4
[オリヴェッティのタイプライター]
 自分の心象を可能なかぎり端的にあらわしている写真を撮ろう、ときめて撮ったのが147ページ〔上〕にある写真だ。心象を撮る、それ以外は撮らない、と最初から決定して撮っただけに、これ以上ではあり得ないほどに端的な、きわめてわ…
2016.1.3
君はいま島へ帰る
 日本というユニークな島に住んでいるぼくたちは、自分たちの国がじつは小さな島々だという事実を、意外に忘れているのではないだろうか。  日本人の島国根性とか、島国で国土がせまいとか、日本の人たちはよく自ら口にするけれど、自…