884編公開中。 今を映す手鏡のように
『自分と自分以外ー戦後60年と今』 の一覧
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2016.1.30
お詫び申し上げる人
 走行中の大型トラックからタイアがはずれ、通行人を直撃して死亡事故となった、という出来事から事態は展開し、設計不良、時間切れで走行実験をしないままに製造、他にもおなじような事故がいくつもあった、そうしたことに関する情報の…
2016.1.28
服を見ればわかる
 引っ越しの話の続きを書く。二回に分けた引っ越しの最初の回〔「引っ越しという自己点検」(『自分と自分以外──戦後60年と今』〕では、ひとりの人が荷造りを手伝ってくれた。午後遅く、僕の衣服を段ボール箱に詰める作業を、その人…
2016.1.23
物価とはなにか
 物価が総体的に下がっている、という説は疑ってみる必要がある。なにかの統計にあらわれた数字だけを見ているとそう思える、というだけのことではないか。単体として価格が下がったものは確かにある。中国、東南アジア、南アメリカ、東…
2016.1.17
過去とはつながっていたほうがいい
 信濃町の慶應病院で生まれた僕は、何日かあとにそこから自宅へと連れ帰られた。自宅へはそのとき初めていったのだから、帰った、という言いかたは当てはまらないようにも思うが、そんなことはどうでもいいだろう。この自宅とその周辺で…
2016.1.16
めだかと空と貨物列車
 戦後すぐの十年ほどの期間を、幼児の段階を脱した子供として僕は過ごした。元気に遊んでいればそれでいい、という日々だった。瀬戸内の海と、それに向き合うおだやかな中国山脈の山裾が遊び場の中心だった。少しだけだが野もあった。爆…
2016.1.8
正社員という絶滅危惧種
 正社員、という言葉を目にする機会が多いことに、ふと気がつく。人の口から聞くことも多い。街頭で取材中のTVカメラに向かって、「今年卒業ですけど、会社に入るなら正社員を希望しますね、やっぱり」などと、青年が語っている。ほん…
2016.1.6
いきづまりに立ち会う
 世界ぜんたいのいきづまりに立ち会えるとは思わなかった。いずれも世界最高の知性と呼ばれている各国の知識人たちの意見は、ほぼひとつのところにまとまる。どのようなものになるかはまったくわからないが、これまでとはまるで異なる、…
2015.12.29
ただそれだけの十六年
 平成という元号の始まった瞬間を、多くの人がそうだったように、僕もTVニュースの画面で見た。このときのことはいまでもよく覚えている。それはたいへんに異様な光景だったからだ。おそらく官邸のどこか、いつも記者会見に使うような…
2015.12.21
1400兆円分の身の危険
 個人の金融資産、つまり簡単に言うと貯金が、日本ぜんたいでいま千四百兆円あるという。「すごいね。それだけのかねがあれば、日本はまだまだ大丈夫だよ」などと言う人が、庶民や学者、政治家など、あらゆる領域にいる。人々がこれだけ…
2015.11.20
子供のままの自分
 僕はじつは子供のままだ。子供の僕とは、五歳くらいから十七、八歳くらいまでの、十年を少しだけ越える期間にまたがる僕だ。その僕がいまもまだ僕のなかにいる。ああ、こういう自分は五、六歳の頃の自分とまったく変わらないな、と思う…
2015.11.19
爆弾の穴について思う
縦書き
 畑にできていた爆弾の穴について、いま僕は思っている。日本が太平洋戦争に大敗北する前年の春先から、昭和二十二年の夏の終わりまで、五歳から八歳までの四年間、僕は山口県岩国市の瀬戸内に面した町で過ごした。米軍による爆撃が激し…
2015.11.8
現実に引きずられる国
 日本政府がやろうとしている憲法の改正は、あっさりと実現するだろう。そして新しい憲法は、その字面だけをぼんやりと読んでいるかぎりでは、たいそう立派なものとなる可能性は高い。  改正の理由として、一般的に言ってもっとも説得…
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