884編公開中。 今を映す手鏡のように
2004年 の一覧
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2016.6.18
海苔を巻いたおにぎりの謎
縦書き
 つい先日、残暑が続く平日の午後、いつもの私鉄の電車に乗って、僕は新宿に向かった。空いている席があったので僕はそこにすわった。電車のなかで僕は本を読んだりしない。その反対の居眠りもしない。いっぽうの極に読書があり、もうい…
2016.6.14
虚構のなかを生きる
 写真機を持って東京のあちこちを歩いているとき、僕は歩くことと考えることしかしていない。だからそのときの僕は人生時間のただなかにある。僕は人生時間と一体化している。そしてその僕は、これは写真に撮っておきたい、と思う光景を…
2016.6.12
雨の京都で下書きをする
 久しぶりに万年筆を買った。  僕との相性の良さを中心に、いくつかの条件をもっとも高いところで満たしているのはペリカンだから、今回もペリカンにした。まったくおなじ種類のを三本。軸もキャップも透明なプラスティックで出来てい…
2016.5.29
流域は文明の発祥の地
二〇〇四年二月三日  チグリス・ユーフラテスと片仮名書きされた固有名詞を、僕はいまでも記憶している。学校の世界史の授業で教わった。中学だったと思う。そして教科書の発行元は山川出版ではなかったか。チグリスではなく、当時はテ…
2016.5.26
日米関係は四文字熟語か
二〇〇三年十二月十五日*本文末尾「まえがき」参照  一九四五年八月二十八日。日本を占領する連合国の先遣隊が、厚木の飛行場に到着した日だ。そして三十日、その連合軍の総司令官であったマッカーサー元帥が、おなじく厚木飛行場に降…
2016.5.15
戦後日本の転換点
 戦後の日本にとっての最大の安全保障は、安保を軸にした日米軍事同盟の維持、そして近年ではその拡大だと言われてきた。日本と近隣諸国とのあいだの、政治的あるいは経済的その他すべての、ひとまずは安定した関係は、日米同盟という軸…
2016.5.8
お母ちゃんという人
 僕にはお母ちゃんがいない。母親を呼ぶときの言葉は、僕の場合、最初から最後まで、お母さんだった。自分のことをお母さんと呼ぶようにと、母親はまだごく幼い僕をしつけたのだ。まだなにもわからないけれど、言葉らしきものはなんとか…
2016.5.2
日本史のなかの最初の国民投票
二〇〇四年一月六日*本文末「まえがき」参照  二〇〇三年十一月の総選挙で使われた自民党のマニフェストのなかに、次のような項目があった。「結党五十年の二〇〇五年十一月に改正憲法の草案をまとめ、国民的な議論を展開する」。この…
2016.5.1
そして国家がなくなった
二〇〇四年三月十五日*本文末「まえがき」参照  一九九一年の湾岸戦争のあと、「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」というものが、日本で政治家たちによって作られた。そしてここから出てきたのが、日本は普通の国になる…
2016.4.9
「弱い円が日本の政策である」
ー2003年11月10日*ー  円とドルの関係をめぐる記事を新聞から切り抜いておくと、ひと月もするとそれはたいへんな量になる。こんなに情報があると収拾がつかなくなるのではないかと思うほどの量だ。円高とドル安の推移が、日々…
2016.4.1
なにもなしで始めた
 ひとり立ちという自立を曲がりなりにも始めたのが、僕の場合は大学を卒業した頃だったとすると、その頃の僕にはなにもなかった。なにしろ自立なのだから、多少は当てになるもの、あるいは足場や手がかりなど、少しにせよあってもおかし…
2016.3.22
考えるとはなになのか
 頭は生きているうちに使え、という言いかたはいつ頃からあるものなのか。最近はあまり聞かないように思う。僕が子供の頃、大人たちはなにかあればこう言っていた。頭は生きているうちに使え。なるほど。生きるとは頭を使うことか。  …
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