972編公開中。 今を映す手鏡のように
2000年 の一覧
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2016.7.30
五つの夏の物語|5
 七月の最後の週、あるいは八月の第一週、つまり夏のちょうどまんなか、ものの見事に快晴の日に一日でいいから海岸で過ごし、夏を全身に受けとめておきたい。後日のための伏線として。  特別なことはいっさいしなくていい。と言うより…
2016.7.29
五つの夏の物語|1
1  常夏、という種類の夏がある。一年をとおして季節はひとつ、そしてそれは夏。毎日、目が覚めるたびに、自分は夏のなかにいる。一年じゅう、そのような日が続く。雨が降っていて気温の低い日、あるいはハリケーンが接近しているとき…
2016.7.27
『オール・マイ・ラヴィング』のシングル盤
 おもに仕事の打ち合わせの場所として、その頃の僕は、その小さな喫茶店を毎日のように利用していた。ある日、彼女は、そこにいた。ウェイトレスをしていた。僕の注文を彼女が受けてくれた。注文したものを彼女がテーブルまで持ってきて…
2016.7.20
遙かなる同時代
 近所に住んでいたからおたがいにずっと以前から知っていて、僕のことをヨシオちゃんと呼んでいた年上の美人たちとは、いったいなになのか。いまの僕に確信を持って言えるのは、彼女たちは僕にとって同時代であったということだ。  た…
2016.6.13
写真を撮っておけばよかった
 過去は巨大な教訓だ。偉大な反省材料だ。教訓も反省も、僕の過去のなかにすら、おそらく無数に存在している。過去は文字どおり、とっくに過ぎ去った時間なのだ。戻ってはこない。しかしその過去のなかにあり続ける教訓や反省材料は、こ…
2016.6.4
江戸時代に英語の人となる
 戦後の日本は世界各国から原材料を買い、国内で製品を作り、それを世界に売った。しかし世界のどことも、真の関係は出来ていないままだ。この不思議さを、どのように解釈すればいいのか。自分の都合だけを追った結果だ、という解釈はも…
2016.5.27
広島の真珠
縦書き
 半年だけと期間を区切って、日本のTV各局のニュース番組を録画で可能なかぎり見た、という体験を僕は持っている。TVを見ない僕にとっては、体験と呼ぶにふさわしい出来事だった。TVという経路ごしに、視聴者という不特定多数に向…
2016.5.12
このとおりに過ごした一日
 五月なかばのよく晴れた日。高校三年生の僕は、自宅にあったすべての教科書を入れた鞄を持って、ひとりで駅に向けて歩いていた。教科書をすべて鞄に入れたのは、時間割りがどこかへいってしまい、その日の授業がなにとなにだったか、わ…
2016.4.30
手帳のなかのお天気
 表紙で計って縦が七十ミリ、横が百五ミリ、そして厚さは十五ミリ。一ページのスペースはこれよりひとまわり小さく、その一ページぜんたいのスペースが、細い罫によって五ミリ幅の十六行に、仕切られている。これがその手帳の本体だ。ペ…
2016.4.13
植草さんの日記に注釈をつける
『植草甚一スクラップブック』というタイトルで、かつて植草さんの全集が刊行された。一九七〇年代のなかば過ぎから、ある期間にわたって毎月一冊ずつ、刊行されていたような記憶がある。毎月、本のなかに月報がついていた。本とは独立し…
2016.4.11
渋谷から京橋まで眠る
 自宅からバス停留所までものの三分だ。バスで渋谷まで、普通は十五分だ。十分おまけして、二十五分か。そして渋谷から地下鉄・銀座線で京橋まで、二十五分。五分おまけして三十分。京橋から昭和通りを越えて会社まで、早足で歩いて七、…
2016.3.31
人生は引っ越し荷物
 僕は久しぶりに引っ越しをした。五丁目から二丁目まで、歩いて五分かからない距離の引っ越しだ。五丁目の家にはちょうど二十年、住んだ。五丁目の旧邸、と言いたい。コンクリート二階建ての大きな家だ。部屋数がいくつあったのか、指を…
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