972編公開中。 今を映す手鏡のように
1 2 3 4 5 6 7 »
2020.5.16
スープはどうなさいますか
縦書き
 いまの日本のどこへいっても、そこにはスーパーがある。片仮名書きされたスーパーという言葉はもうとっくに日本語で、スーパーを意味する。スーパーとはなにですか、と尋ねられたなら、それはスーパーです、と答えるほかない。字面とそ…
2020.5.15
玩具として買うには面白い
縦書き
 ハーシーの板チョコ、というものがいまでもある。あるどころではない、それこそ日本全国津々浦々のスーパーその他で、常に大量に販売されている。日本にすっかり根を下ろした習慣のようなものになった、と僕は感じる。戦後からの日本の…
2020.5.14
トリス・バー。バヤリース・オレンジ。バッテンボー
縦書き
 バッテンボー、という言葉は死語だろうか。老いも若きも、日本じゅうどこへいっても、誰もがこの言葉を口にしていたあの頃、というものがかつて存在した。あの頃がいつ頃だったか、昭和の何年あたりだったのか、資料がないと僕には正確…
2020.5.13
砂糖は悲しいものだった
縦書き
「三歳、四歳、五歳の頃は、家のなかでしょっちゅう迷子になってたのよ。でも、小学校に上がってからは、それがぴたっとなくなったの。それだけ成長したからだろうと思うけれど、そんなに急に成長するものなのかしら」  七歳の僕に友だ…
2020.5.12
「四角い食事」とは、なにか
縦書き
 スクエア・ミールという英語の言葉を日本語に直訳すると、四角い食事、ともなるだろう。一般に市販されている普通の煙草ではない、マリファナ煙草のようなものを総称して、スクエア・ミールと呼んでいた時代があった。いまでもその意味…
2020.5.11
それはいまもこの黄色なのか
縦書き
 二十代の前半から後半にかけての数年間、キャンベルの缶詰スープをしばしば食べた、という記憶がかすかにある。主として朝食だったと思う。自分で買っていたのは確かだが、それがどこだったか思い出せない。僕ひとりでどこかへ買いにい…
2020.5.8
東京オムライスめぐり
縦書き
 オムライスを一度だけ食べた記憶がある。昭和二十一年、あるいは二十二年、絵に描いたようなただの子供だった僕は、百貨店の食堂のようなところで、オムライスをスプーンで食べた。スプーンが僕の口には大きすぎたことが、オムライス記…
2020.5.7
東京のハードな日々
縦書き
 残暑はとっくに終わっている季節の、しかしひどく暑い晴天の日、水曜日の午後三時すぎ。東京・内神田のたしか二丁目、その名も出世不動という道を、JR神田駅の南口からさらに南へ下がった地点にあるJRの高架下に向けて、僕はひとり…
2020.5.6
豆腐屋はいまもまだある
縦書き
 子供の頃から三十年近くにわたって住んだ世田谷のその一角には、いつも利用する私鉄の駅を中心にして商店街があった。一日のどの時間でも人がたくさん歩いている、賑わいのあるいい商店街だった。一九七十年代のなかばあたりまでは、こ…
2020.5.4
あほくさ、と母親は言った
縦書き
 僕には母親がひとりいる。日常的な日本語では、産みの母、と言われている。英語ではバイオロジカル・マザーと言うようだ。その産みの母は、育ての母、でもあった。あのひとりの女性が僕を産み、僕を育てた。そのことに間違いはない。僕…
2020.5.1
義男の青春と別離
縦書き
 十一月十五日、快晴の平日、午後三時から四時のあいだ、僕は京都の三月書房にいた。友人たちふたりがいっしょだった。三月書房は御池から寺町通りに入ってすぐ左側にある。この書店が健在なら日本はそれでいいか、という気持ちになって…
1 2 3 4 5 6 7 »