972編公開中。 今を映す手鏡のように
2000年 の一覧
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2017.3.12
過去と未来から切り離されて
 自分、という人にとって、いちばん楽なありかたは、どのようなありかただろうか。自分、という人は、この自分自身という意味ではなく、いまの日本に生きている人たちのひとりひとり、というほどの意味だ。  自分という人の基本は、な…
2017.3.7
いま高校生なら僕は中退する(2)
前回(1)  僕は高校を卒業した。成績は本当にビリだったと思う。あまりにも桁はずれのビリは、職員会議としても問題にせざるを得ない。特例中の特例としてその問題は解決された、という話を僕は信頼すべき筋から聞いた。卒業したので…
2017.3.6
いま高校生なら僕は中退する(1)
 一九九七年の日本で、全国の公私立高校から中退した少年少女の数は、十一万一千四百九十一人だったという。生徒数ぜんたいに対して、この数は二・六パーセントの中退率だそうだ。統計をとり始めた一九八二年以来、最高の数字に達したと…
2017.3.2
忘れがたき故郷(2)
前回|1|  出身地はまだ誰にでもある。生まれただけの場所は、出身地とは言わないようだ。生まれたのち、少なくとも子供の日々は、そこで過ごした場所だ。出身地があるなら、実家もまだある。老いた両親がいまも住んでいる家、そして…
2017.3.1
忘れがたき故郷(1)
 こきょうと平仮名で入力し、変換する。故郷、という漢字が画面に出る。ふるさと、と入力して変換すると、この場合も、故郷という言葉が、画面に浮かび出る。こきょうは、やや硬い言いかただろうか。ふるさとは、明らかに柔らかい言いか…
2016.12.26
基本英単語について
縦書き
 太平洋戦争中の日本が、アメリカによる日本の本土への爆撃を初めて体験したのは、一九四二年四月十八日のことだった。真珠湾攻撃から半年後だ。  航空母艦に爆撃機を積んで日本へ接近し、飛行甲板から爆撃機を飛び立たせて東京を爆撃…
2016.12.10
だから三歳児は泣いた
縦書き
 二十五歳のとき、僕は自分の写真をすべて捨ててしまった。ゼロ歳から二十五歳までのあいだに、僕の手もとにいつのまにか蓄積した写真、たとえば誕生日に撮った写真やどこかへ旅行したときの記念写真、親戚の人や友人たちが、なにかのと…
2016.11.16
じつはホットなままに
 僕が初めてワープロを使ったのは、一九八〇年代のなかばではなかったか。オアシス・ライトという機種だった。直訳すると、オアシス軽だ。この軽便型のワープロは、蓋を閉じてデスクの上に置いてある様子を観察すると、信じがたいほどに…
2016.11.12
万年筆についての文章
 原稿料のともなう文章を、僕は大学生の頃から書き始めた。原稿料がともなう文章とは、この場合は、商業的に出版されている雑誌に書く、という意味だ。  そのような文章には、当然のことだが、締切りがある。なにを書くにしても、その…
2016.10.26
自分のことをワシと呼んだか
 四歳から十二歳までを、僕は瀬戸内で過ごした。山口県の岩国と、広島県の呉というところに、ほぼ四年ずつ。どちらの地方の言葉も、自分は地元の人たちとおなじように使えたし使っていたはずだと、長いあいだ僕は思ってきた。  岩国の…
2016.8.17
五つの夏の物語|4
 湖のほとりは海岸のようになっていた。そこからなだらかに斜面があり、その斜面ぜんたいに芝生が植えてあった。湖のほとりのそのあたり一帯は、ホテルの敷地のなかだ。だから芝生はきれいに手入れされていた。芝生のスロープを上がりき…
2016.8.16
五つの夏の物語|3
 夏子という名前、そしてその名前が良く似合う、夏の権化のような女性は、ひょっとしたらもっとも純度の高い、夏そのものかもしれない。そのような夏子さんの体験が、僕には一度だけある。  高校生の頃に僕が住んでいた家は、おもてが…
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