972編公開中。 今を映す手鏡のように
2020.6.1
自殺するマヨネーズ
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 日本の企業が作って売り出したヴィニールのチューブ入りのマヨネーズ、というものを初めて手にしたのはいつ頃のことだったか。ある日それは自宅にあった、ということは記憶している。ではそれは、いつ頃だったのか。なんの根拠もなしに…
2020.5.29
マヨネーズ、という一語で終わる本
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 リチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』は、デル・ブックスというペーパーバック叢書のローレル・エディションで刊行される以前に、いろんなかたちでいくつかのところに発表された。だからローレル・エディションの初版を持…
2020.5.28
日本におけるマヨネーズ階層
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 英文字で正しく綴られたマヨネーズという言葉を、マヨンナイセと読んでそのとおりに音声にした人を、いまでも僕は覚えている。日本で言うところのローマ字読みにすると、マヨネーズは確かにマヨンナイセだ。マヨンナイセと記憶し、その…
2020.5.27
リアル・マヨネーズの473ミリ・リットル
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 ベストフーズのマヨネーズを久しぶりに買った。ガラスの瓶に入っている。瓶の胴体に紙のラベルが巻いてある。ラベルのデザインに用いてあるこのダーク・ブルーやこの黄色、そして赤と白などには充分に見覚えがある。キャップもダーク・…
2020.5.26
焼き餃子とタンメンの発見
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 焼き餃子とタンメンは、東京・大田区の町工場地帯が発祥の地だと、ごく最近、人から聞いた。その人は戦後の大田区に生まれ、そこで育った人だ。地元の戦後史はよく知っているし、趣味で研究もしている。彼がそう言うからには、彼なりの…
2020.5.25
白い皿の朝食
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 僕は目を覚ます。ベッドのなかだ。窓のない寝室はほの暗い。ほの暗い寝室というものは、時間の推移に沿うことを放棄している。一日という時間のなかの、いまが何時頃なのか、見当がつかない。  いちおうはよく眠った、という感覚が僕…
2020.5.22
祟りとハンカチとマスタード
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 二〇〇四年十月二十日のアメリカン・リーグ優勝決定戦で、ニューヨーク・ヤンキーズはボストン・レッドソックスに敗れた。こういう大事な試合のTV中継では、観客が掲げ持つプラカードを見逃さないようにするのも、楽しみのひとつだ。…
2020.5.21
まっ赤なトマトの陽焼けした肩
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 トマトは何色ですか、といま人に訊けば、その色は赤です、という答えが返ってくるだろう。年齢が下がるほど、トマトの色はその赤い色を濃くするのではないか。子供たちに言わせれば、トマトの色はこれ以上ではあり得ないほどの、まっ赤…
2020.5.20
サンドイッチとアメリカの理念
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『ディア・ハンター』というアメリカ映画のなかに、いまでも忘れていない、きわめて興味深い場面がひとつあった。鹿撃ちに出かけた男たちが昼食を食べる場面だ。持って来た食事の材料を、彼らは自動車のエンジン・フードの上に広げる。な…
2020.5.19
ナポリへの旅
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 スパゲッティ・ナポリタン、という呼び名の料理が、かつて日本にあった。あるいは、いまでもまだある、と言うべきか。間に合わせにちょっとなにか食べておく、という食べかたの伝統が、たとえば首都東京には江戸時代からある。江戸に流…
2020.5.18
父親に間違えられた僕
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 いまから三十年以上前、僕は僕の父親に間違えられたことがある。僕を僕の父親だと思った人がいたのだ。  ラハイナ・ショッピング・センターの奥のほうに、いまはもうないかと思うが、かつては小さな食堂があった。建物の一角にあるそ…
2020.5.17
トンカツと生卵の小説
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 一九七五年あるいは七六年。場所は銀座の文壇バーのひとつ。そのバーの名前も場所も、僕は記憶していない。そこへはそのとき一度いったきりだろう。しかも雑誌の担当編集者に誘われ、連れていかれた店だから、よけいになにも覚えていな…