884編公開中。 今を映す手鏡のように
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2016.12.10
だから三歳児は泣いた
縦書き
 二十五歳のとき、僕は自分の写真をすべて捨ててしまった。ゼロ歳から二十五歳までのあいだに、僕の手もとにいつのまにか蓄積した写真、たとえば誕生日に撮った写真やどこかへ旅行したときの記念写真、親戚の人や友人たちが、なにかのと…
2016.12.6
彼がはじめて太平洋を見たとき|彼らはなぜ海へ来るのか|2
 海を求めてカリフォルニアに出てきた理由を、彼は、閉所恐怖症にかかったからだと説明していた。  北アメリカ大陸のほぼまんなかと言っていいアーカンソー州のさらにまんなかちかくの小さな町で生まれてそこで育った彼は、十七歳にな…
2016.11.28
コパトーンの香りはあらゆる夏のすべての思い出
 コパトーンはセンチメンタルだ。夏の陽焼けは、秋の風とともに消えていく。容器のなかにおそらく半分はまだ残っているコパトーンは、メディシン・キャビネットのいちばん端に置かれて、自分の季節が過ぎ去るのを見守る。キャップにきざ…
2016.9.23
台風
 夜明けがはじまる時間に、ぼくたちはランドクルーザーでその港町に着いた。ぼく、そして友人の、ふたりだ。台風が上陸する地点まで出かけて、上陸してくる台風を鑑賞しようという、ひま人の呑気な旅だった。そして、その港町は、ぼくた…
2016.8.31
夏は終わる。しかしサーファーにはなれる
 一時間三十分ほどのカラー・シネマスコープ映画を一本観ただけで自分の世界観が実際に変わってしまうことが現実にありうるのだ、ということから波乗りについてすこし話してみよう。 『エンドレス・サマー』という、一九六〇年代アメリ…
2016.8.27
宇宙の時間と空間のなかへ
 人は時間と空間のなかに生きている。ここで僕が使う、時間という言葉も空間という言葉も、ごく普通の意味での、時間および空間だ。空間は、主としていつもの自分の場所だ。自宅や自分の部屋、勤め先、仕事場、いつもいく店、好きな旅行…
2016.8.24
昔のハワイという時空間への小さな入口
 ワイキキのクヒオ・ビーチに、デューク・カハナモクの等身大を超える大きさの銅像が、いまでも立っているはずだ。デュークについて少しでも知っていれば、その銅像を見て多少の感銘を受けるかもしれない。ビショップ博物館へいくと、昔…
2016.8.23
あの夏の女たち
 まずはじめに、彼女の頭が見えた。海の水に濡れた髪が、うなじにはりついていた。すんなりとした首と、ひきしまって無駄のない肩が見えた。それから、胸の三角形の小さな布きれと細いひもの組み合わせでできているビキニ・トップの胸が…
2016.8.19
ステーション・ワゴン
 十六歳の夏に、父親が、三千六百ドルでステーション・ワゴンの新車を買った。  夏休みのある日、父親は、仕事の用で、大陸の東側へ、飛行機でいった。  父親の部屋に入り、ロールトップ・デスクのうえを見ると、キーがひとつ、キー…
2016.8.3
小さな島にいると自分がよくわかる、という話
 ぼくにとっての小さな島の魅力は、「南」とか「夏」とかの魅力と、不可分に一体となっている。ぼくが大好きな島は、南の島かあるいは夏の島なのだ。真夏でもなお肌寒い北の海の島はまだ体験がないから、好きだかどうだかわからない。 …
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