882編公開中。 今を映す手鏡のように
少年時代 の一覧
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2016.5.21
私の学校
 小学校から高等学校まで、学校の教室におけるぼくの席は、いつもいちばんうしろだった。しかも、窓ぎわだ。窓ぎわのいちばんうしろの席以外の席にすわった記憶がぼくにはない。  なぜいつもいちばんうしろだったかというと、少年のこ…
2016.5.9
アイスクリームには謎がある
 アイスクリームについて思うと、その思いは過去へと向かっていく。僕がまだ充分に幼くて可愛い坊やだった頃、僕はいちばん最初のアイスクリームを食べたはずで、それについての記憶はいまも残っている。幼い体の口腔感覚がとらえた、ア…
2016.5.8
お母ちゃんという人
 僕にはお母ちゃんがいない。母親を呼ぶときの言葉は、僕の場合、最初から最後まで、お母さんだった。自分のことをお母さんと呼ぶようにと、母親はまだごく幼い僕をしつけたのだ。まだなにもわからないけれど、言葉らしきものはなんとか…
2016.4.23
リトル・ゴールデン・ブックスを開くと子供の頃のぼくがいる
 まだごく幼い頃のぼくにとって、大きな謎であったことのひとつは、リトル・ゴールデン・ブックスはいったい全部で何冊あるのだろうか、ということだった。いまでも、本の三方を黄色く塗ったこの小さな本たちを書店で見るたびに、全部で…
2016.2.19
それも姉が教えてくれた
 姉について僕が最初に聞かされたのは、父親からだ。僕はそのとき九歳だった。「カリフォルニアから姉が来て、しばらく日本に滞在する」と、父親は言った。単に姉とだけ言ったところに、彼らしさが本当に彼らしくあらわれていることに、…
2016.2.8
オートミールの朝食
 子供のころ、朝食にオートミールをよく食べさせられた。ぼくが子供のころには、日本のどこをさがしてもオートミールなんてなかったのだが、いまではたいていのスーパーで売っている。  ドロドロのおかゆのように出来あがった熱いのを…
2016.2.5
少年食物誌
 瀬戸内海に面した小さな港から内陸にむかって、一本の川がのびていた。港から入江に入りこみ、山陽本線の鉄橋をくぐると、その川の両側は石垣のスロープになり、スロープの上には漁村とも農村ともつかない不思議なたたずまいで、瀬戸内…
2016.2.3
少年とラジオ
 1951年にはぼくは子供なのにラジオを5台くらい持っていた。アメリカ製のテーブル・ラジオあるいはポータブル・ラジオだ。ゼニスとかモトローラ、アドミラル、それにジェネラル・エレクトリックといったブランドのラジオだ。もちろ…
2016.1.17
過去とはつながっていたほうがいい
 信濃町の慶應病院で生まれた僕は、何日かあとにそこから自宅へと連れ帰られた。自宅へはそのとき初めていったのだから、帰った、という言いかたは当てはまらないようにも思うが、そんなことはどうでもいいだろう。この自宅とその周辺で…
2016.1.16
めだかと空と貨物列車
 戦後すぐの十年ほどの期間を、幼児の段階を脱した子供として僕は過ごした。元気に遊んでいればそれでいい、という日々だった。瀬戸内の海と、それに向き合うおだやかな中国山脈の山裾が遊び場の中心だった。少しだけだが野もあった。爆…
2016.1.10
僕はわき見をしていたい
 僕は小学生のときは1学年につき2か月ほどしか学校へいっていない。中学生の頃は、学校へいった日数は、3年間の合計で百日あるかないかだ。高等学校になると、だいたい1日おきに登校していた。  学校ではないさまざまな場所に、学…
2015.12.31
僕の肩書は(お利口)としたい
 僕が13歳の頃、小田急線の車両はまだあずき色だった。少なくとも各駅停車の電車は、そうだった。13歳のある日、夕方近く、各駅停車の上りにひとりで乗って、僕は座席にすわっていた。経堂の友だちの家へいった帰りだった。  電車…
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