972編公開中。 今を映す手鏡のように
2020.6.17
WINTER SPECIAL SALE MAX 50%OFF
縦書き
 一九五六年の年末に近い時期に、板橋区にいまでもある大山銀座という商店街で撮影された一点の白黒の写真が、『東京人』という雑誌の二〇一八年四月号に掲載されている。いま僕はそれを見ている。いまから六十一年前の板橋区の商店街の…
2020.6.16
パーマの帝国
縦書き
「パ」と「マ」のふたつの片仮名に、音引きの縦棒「ー」を一本加えて作る「パーマ」という言葉は、まだ充分に現役であるようだ。太平洋戦争が終わるのとほとんど同時に、この言葉が日本じゅうに広がった。戦後の日本でいっせいに始まった…
2020.6.15
ビートルズ詩集とはなにか
縦書き
 久しぶりに会う友人の編集者は、僕が知っているとおりの彼だった。雰囲気、身のこなし、表情、そして笑顔や言葉など、なにひとつ変わらず、そのことは僕をうれしい気持ちにさせた。彼と落ち合ったのが経堂駅のすぐ近くにある素晴らしい…
2020.6.12
読売新聞、金曜日夕刊
縦書き
1  義  自分の名前にある義という字について。男のこが生まれたらヨシオにしよう、と父親は考えていたが、彼は漢字のまったく書けない日系二世で、音声としてのヨシオを好いていただけだ。漢字をみつくろったのは母親だ。ヨシオのヨ…
2020.6.11
珈琲に呼ばれた
縦書き
1「旅と、音楽と、珈琲と」 『珈琲が呼ぶ』という本は二〇一八年の一月に発売された。編集を担当して一冊の本にまとめた篠しの原はら恒つね木きさんが、最初に僕に見せたエッセイは、鴻こうの巣す友ゆ季き子こさんによるものだった。題…
2020.6.10
白いプラスティックのフォーク
縦書き
 ボール紙の箱の側面に「フォークス」と赤い英文字が内容を明記している。「フォーク」の複数だ。重苦しい書体だが、歴史的には民衆の書体だと僕は思う。その赤い「フォークス」の左右に、三つずつ垂直にある小さな赤い点は、なにだろう…
2020.6.9
昼寝のあとのポッキー
縦書き
 いつも使っている私鉄の、普段は降りることのない駅で降りた僕は、きれいに晴れた気持ちの良い午後、駅前商店街をその奥に向けて歩いていた。商店街が終わるあたりの店に、ほんのちょっとした用事があったからだ。  寝具店の前から道…
2020.6.8
小説のなかの食事
縦書き
 永井荷風の『濹ぼく東とう綺き譚たん』には妙な導入部がある。導入部と言うか助走路と呼ぶべきか、小説の冒頭にあるべき文章ではなく、ここだけで独立したエッセイとしたほうがいいような部分だ。新潮文庫の七十六刷では、本文が始まる…
2020.6.5
残りご飯のバター炒めと海苔の佃煮
縦書き
 一枚の写真が、なんらかのかたちあるいは意味で、物語のなかで重要な役を果たす短編小説をいくつか書き、一冊の本を作ってみたい、といま僕は考えている。物語はみな多様なものになるだろう。どのような物語をどんなふうに構成し、それ…
2020.6.4
マンゴの似合う手
縦書き
 平日の夜十時前に、近くのスーパーマーケットでマンゴをひとつ買った。千三百円だった。完璧に熟した、たいへんに美しい、かたちのいいマンゴだった。手に持ったときに僕が得た感触では、今日のうちに食べるといい、という判断がもっと…
2020.6.3
ジェロについて書くとは思わなかった
縦書き
 ジェロを覆すものを僕はいまだに知らない。  ジェロについて書こうと思い、どんなふうに書いたらいいか考えていたら、書き出しのワン・センテンスがたいへんに重要だろう、というひとまずの結論を得た。そのワン・センテンスはどうあ…
2020.6.2
ジェリー・ビーンズに紫色がない!
縦書き
 ほんのちょっとした玩具のつもりで、ジェリー・ベリーというアメリカのジェリー・ビーンズを買ってみた。写真の被写体として、かつて何度も買った。いろんなふうに撮ってみながら、ひと粒ふた粒は食べたのだが、写真はなかなかうまくい…