981編公開中。 今を映す手鏡のように
2020.6.30
TVの記憶をふたつ
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 当時の僕の仕事場はたいそう快適だった。東の端にあった階段を二階へ上がり、まっすぐの廊下を西へ向けて歩いていき、突き当たりにあった和室を抜けると、二十畳ほどの広さの人工芝のヴェランダだった。このヴェランダの南西の角に、温…
2020.6.29
あるのか、ないのか
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 ある、という日本語について考えてみた。問題とされているその物がどこかに存在していることを、ある、と言う。この、ある、の反対は、ない、というおなじくひと言だが、ありません、という言いかたが日本語には、ある。ある、という状…
2020.6.26
電車に乗れば英語の勉強
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 平日の午後、いつもの私鉄の電車に乗る。空いている時間だから座席にすわり、ぼんやりしていると、車掌のアナウンスをなんとなく聞く。次の駅の名を告げたあと、「左側のドアが開きます」と彼は言う。続いて外国の女性による録音メッセ…
2020.6.25
『ピーナッツ』を語る 一生もののつきあい
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『ピーナッツ』の連載が始まったのは一九五〇年十月二日だったという。アメリカ各地の七つの新聞に、『ピーナッツ』のコミック・ストリップが連載で掲載された。作者のチャールズ・M・シュルツから原画を受け取った配信会社が、全米各地…
2020.6.24
午後五時の影
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 ぽっちゃり、という日本語をなんとか英語で言うことは出来ないか、と考えた時期があった。いまから二十年くらいは前のことだ。ごく平凡には、plumpだろう。しかし日本語のぽっちゃりは、語感として明るく、ぽっちゃりしているとい…
2020.6.23
すでにそうなってそこにある
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 一九四九年に製作された『黄色いリボン』というアメリカの西部劇が日本で公開されたのは一九五一年、昭和二十六年のことだった。二〇一九年から振り返ると六十八年前だ。対日講和条約と日米安全保障条約のふたつが調印された年だ。『黄…
2020.6.22
『ピーナッツ』の日めくりカレンダー
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『ピーナッツ』の日めくりカレンダーをもう何年も使っている。いまこれを書いているワープロのある小さなデスクの左端に、二〇一九年の日めくりが斜めに立っている。まだ三月の八日だから、日めくりは分厚い。厚さは二センチを越えている…
2020.6.19
英字表記による日本語
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 二〇一七年の五月だった、と思う。町田の東急百貨店の東側の建物の正面に回廊から入ると、そこはその建物の二階だ。いくつもの店子がスペースを得てそれぞれに店舗を構えて営業している。その形態はいまも全館にわたっておなじだ。二階…
2020.6.18
日常的な日本語の語句の、きわめて勇敢な英訳
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 僕はうれしい。なぜかと言えば、じつに素晴らしいからだ。これを喜ばずにいることが出来るだろうか。慶事だと言ってもいい。それほどの出来ばえだ。五目炒飯という日本語を英語にする必要にかられた二十代の日本の女性が、ごく当然のこ…
2020.6.17
WINTER SPECIAL SALE MAX 50%OFF
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 一九五六年の年末に近い時期に、板橋区にいまでもある大山銀座という商店街で撮影された一点の白黒の写真が、『東京人』という雑誌の二〇一八年四月号に掲載されている。いま僕はそれを見ている。いまから六十一年前の板橋区の商店街の…
2020.6.16
パーマの帝国
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「パ」と「マ」のふたつの片仮名に、音引きの縦棒「ー」を一本加えて作る「パーマ」という言葉は、まだ充分に現役であるようだ。太平洋戦争が終わるのとほとんど同時に、この言葉が日本じゅうに広がった。戦後の日本でいっせいに始まった…
2020.6.15
ビートルズ詩集とはなにか
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 久しぶりに会う友人の編集者は、僕が知っているとおりの彼だった。雰囲気、身のこなし、表情、そして笑顔や言葉など、なにひとつ変わらず、そのことは僕をうれしい気持ちにさせた。彼と落ち合ったのが経堂駅のすぐ近くにある素晴らしい…