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[オリヴェッティのタイプライター]

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 自分の心象を可能なかぎり端的にあらわしている写真を撮ろう、ときめて撮ったのが147ページ〔上〕にある写真だ。心象を撮る、それ以外は撮らない、と最初から決定して撮っただけに、これ以上ではあり得ないほどに端的な、きわめてわかりやすい心象風景となっている。ここに僕の心象がある。ここに僕がいる。これは僕だ。

 その僕が撮る写真はすべて、じつは心象風景なのではないか。被写体を探したり見つけたり、あるいは用意したりするところから始まって、シャッター・ボタンを押し下げる瞬間にいたるまで、撮る行為のぜんたいを司っているのは、ほかの誰でもないこの僕だ。僕がかろうじて僕であるのは脳においてであるとするなら、その脳がなにごとかを受けとめたり感じたり、思ったり考えたり判断したりする作業は、記憶の蓄積があればこその出来事だろう。そして記憶とは、まさにそれこそ、心象ではないか。

 オリヴェッティがメキシコで生産している、きわめて簡便なタイプライターの、キーボードの右側3分の1ほどだ。デザインは無駄がなくすっきりとしていて、簡便なタイプライターにふさわしい簡素さによって、つらぬかれている。タイプライターとして実用になるかならないか、ぎりぎりのところだ。基準を厳密にとるなら実用にはならないが、メモくらいには充分に使えるから、そのようなことに僕は使っている。

 赤い色のキーがひとつだけあり、これがこの画面ぜんたいを、好ましい方向へと引き締めている。赤と白、そしてスティールに塗った微妙な灰色。心象風景にとっての、基本的な配色だと言っていい。よく見るとどことなく不気味でもあるから、その意味でもこの光景は僕の心象風景として良く出来ている。そしてこの本にある写真のなかのすべての物体は、この心象風景とどこかでかならずつながっている。

 この心象風景のすぐかたわらにあるはずの物体を、なにかひとつでいいから見つけることはできないものかと思って探し始めたら、探すまでもなくそこにあったのは、148ページの写真〔下〕が見せてくれている電話機だ。白いキーボードにアルファベット。すぐかたわらにあるはずのとは、こういうつながりかたのことだったか。

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 心象風景のありかたは、僕なら僕にかかわるほとんどすべてのことを、意識下のどこかで、決定づけているはずだと僕は思う。僕は心象風景によってナヴィゲートされている。ナヴィゲートされるにあたっての、たとえるなら電波のようなものは、言葉だろう。心象風景とはじつは言葉だ。この赤い長方形の、ベル・システムの電話機がどのような言葉かというと、動詞のもっとも端的な使いかた、というような種類の言葉だ。心象風景から離れることはできないとして、その裏へまわり込むことを可能にしてくれる言葉もまた、僕をナヴィゲートする言葉のうちだ。

 近代の終わりから現代にかけて、そして現代の全域で、アメリカに民主主義を確立させていくにあたって、市民の側でのもっとも強力な武器となったのは、タイプライターだった。憲法が保障する市民の自由は、市民みずからがそれを守る営みをとおしてのみ、自由として機能する。守る営みに対しては、自由をなんらかのかたちで浸食することを図る敵が、常に想定される。国家を運営していく人たちだ。その人たちを監視し、牽制(けんせい)し、制御しようとする市民にとって、武器は言葉しかない。自分たちの自由を浸食するかもしれない敵に向けて、監視や制御の言葉を放つにあたって、タイプライターはその言葉を相手側に届けるための武器となった。

 標準的なタイプライター用紙に、標準的な印字でダブル・スペース。公式の場に出る手紙にはそれにふさわしい形式があり、それをきちんと守るなら、タイプライターが1台あれば、全市民的な広がりのなかで、武器となるべき言葉の書式が自動的に整う。このようなかたちで届く市民からの言葉を、国家を運営する人たちは無視するわけにはいかなかった。憲法が想定する枠の内部にすべての問題が収まっていた、のどかと言うならたいそうのどかな時代の出来事だ。

 いまでは言葉を相手側に届ける経路が数多くあり、したがって言葉の数は無限に近く増加し、しかも多くの問題が憲法の枠を大きくはみ出るから、市民からの言葉は一括して無視する、という方針で国家が営まれる時代がすでに始まっている。

(2016年1月4日掲載 『文房具を買いに』2003所収、底本:角川文庫、2010年版)


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2016年1月4日 05:30
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