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『結婚の生態』1941年(昭和16年)(1)

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 「石川達三の小説『結婚の生態』から、良き結婚生活精神の建設を新たな物語に描いてー」という文章が、冒頭でスクリーンに映し出される。原作は当時のベストセラーだったという。若い優秀な新聞記者がひとりの女性と知り合い、結婚して結婚生活を営むようになるという、それだけの話だ。この話がなぜ「新たな物語」なのか、この話のどこが「良き結婚生活建設の精神」なのか。そのことについて書くには、まずぜんたいのストーリーをあらまし見渡しておかなくてはいけない。

 若い新聞記者は佐野二郎という。両親はすでにないが、法律事務所を経営している弁護士の兄がひとりいる。その兄夫妻と外で夕食をすると、そろそろ二郎さんも結婚しないと、という話に最後は落ち着く。僕だっていつまでも結婚しないわけではない、そのうちいい人があらわれますよ、自然なチャンスさえあれば、などと佐野は言う。仕事の出来る自信に裏打ちされた、余裕のある態度だと言っていい。

 将来をなかば以上は約束された恵まれた生活状況のなかで、いい人との自然な出会いを自信と余裕を持って待つ。昭和16年の娯楽映画の観客にとって、こういう設定で物語が始まることだけでも、それは充分に新しかったのだろうと僕は思ってみる。しかしその程度の新しさは、物語の展開のしかたと結末に対する期待の大きさであるとは、かならずしも言いきれない。

 彼が仕事の帰りに息抜きでよく立ち寄るビアホールがある。そこでかつて働いていた松本ゆみという女性と、佐野は男女の仲だった。その関係はすでに壊れ、いまはない。松本ゆみはその店を辞め、いまは東京にはいないが間もなく戻って来るらしい、という背景のエピソードがひとつ紹介される。

 友人や同僚たちからたいへんな勉強家だと言われている佐野は、ある日、友人とふたりで絵画展を見にいく。激動する時局が絵画にどのような影響をあたえているか見ておきたい、というのがその動機だ。激動する時局とは、もっとも端的には、この年の12月、日本軍がマレー半島に上陸し、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、アメリカとイギリスに宣戦布告することだ。

 展覧会の会場に、友人の知り合いの女性がふたり来ている。赤坂で洋裁店を経営している姉妹だ。妹の春子のほうを原節子が演じている。ふたりの男性たちは姉妹とお茶を飲む。彼女たちの両親も、とうに亡くなっている。姉の加護のもとで春子は育って来た。おばあさんがずいぶん甘やかした、と姉は言う。本ばかり読んでませたことを言います、とも姉は言う。

 本の好きな佐野は、どんな本を読むのですか、と聞く。手あたりしだいです、と春子は答える。佐野に読書を教えてもらうといいですよ、と友人が彼女に言う。いいご本を、おうかがいしてもいい?と春子は佐野に言う。ふたりともおたがいに好感を持ち合っていることが、この場面の描写でわかりすぎるほどにわかる。そしてここから、ふたりの性格やものの考えかたが、ストーリーの展開に合わせて披露されていくしかけだ。

 おそらくその日の夜のことだと思うが、ほんとに佐野さんのところへ本を借りにいっていい?と自宅で春子は姉に聞いている。佐野に対して彼女がいだいている好感に関する、念押し的な表現だ。それからおそらく二、三日後、街の書店に春子がいると、そこに偶然にも佐野が来る。佐野が先に彼女に目をとめ、さりげなく接近して自分に気づかせる。ほんとにお邪魔していい?と春子は彼に聞く。じゃあ、明日、と彼女は言う。

 次につないであるフィルムは、夜に佐野のアパートを訪ねる春子の様子を描写している。アパートの玄関に入るのをためらい、そして玄関に入っていく彼女の足もとの描写だ。彼女なりに一歩踏み出した、つまり佐野に関して彼女はまず最初の段階の決意をひとつした、ということだろう。夜、男のアパートを訪ねる昭和16年の独身女性。それから60年以上あとであるいま、その場面を見る僕がもっとも強く感じるのは、退屈さだ。しかし当時としては、たいへんにスリリングな行動だったのではないか。と言うよりも、とんでもないことと言ったほうが正確だったのではないか。そして娯楽映画が観客に提供し得る「新たな物語」とは、たとえばこの程度のものではなかったのか。

 二階の佐野の部屋には本棚がずらっとある。どの棚にも本がならんでいる。歩み寄ってていきなり一冊を抜き出し、これ貸してくださらない?と春子は佐野に言う。ふと目にとまったのを衝動的に抜き出したのではなく、かねてより春子はその本を読みたいと思っていたのではないか、と僕は解釈する。その本のタイトルを見た佐野は、きみは理屈っぽい人なのかな、と言う。それに対して春子は、生意気かしら、と問いなおす。ちょっと骨が折れますよ、と佐野は言う。こういうところも、おそらく「新たな物語」なのだろう。

 おなじ夜か次の日、あるいは二、三日後の夜、佐野から借りて来た本を、春子は布団のなかで腹ばいになって読もうとしている。しかし心ここにあらずの様子で、うれしそうにしている。好意を持つことの出来る男性と無理のないかたちで知り合い、交際が始まったことにかかわるうれしさだ。そのうれしさの上に妹が早くも夢を広げつつあることを察知して、ものごとを判断するときには夢と現実をきちんとより分けてからにしなさい、と姉は忠告する。夢と現実を混同させたままでいると、お姉さんのように結婚に失敗しますよ、と姉は言う。

 佐野は佐野で春子に関して熱心になっている。佐野を春子に引き合わせた友人がその様子を見る。非常時の結婚相手としては、春子さんはなにも知らなさすぎるのではないか、と友人は言う。導きかたひとつだよ、と佐野は答える。敏感で利口だし、素直で根はしっかりしている、それに体も丈夫だ、というのが佐野による春子の評価だ。

 根はしっかりしているはず、の春子は、明日から私がご飯を作ろうかな、と自宅で姉に言っている。これまで彼女は食事も姉に作ってもらって来たらしい。明日から、と言うところにいまの春子のすべてが出ている。それでは漬物を出してちょうだいと姉が言うと、今日は見学よ、と春子は答える。「新たな物語」の主人公のひとりは、こういう女性だ。

 それから数日後、佐野のアパートへ春子はふたたび来る。佐野はまだ帰っていない。春子は待つ。やがて佐野が帰って来る。ふたりは散歩をする。松本ゆみという女性との、失敗に終わった関係について佐野は春子に語る。愛し合っていたのに最後は憎しみに変わったという失敗の反省の上に立って、立派な家庭を築いていきたい、と彼は言う。

 これに対する春子の反応は、少なくとも僕には、奇妙さをきわめたものに思える。もっと早くに言って、と春子は佐野を責める。交際はまだ始まったばかりではないか。もっと早くとは、いつなのか。絵画展で知り合った初日ならいいのか。なぜ私のような世間知らずに興味を持つの、とも彼女は言う。あなたのような経験豊かな人がなぜ、という意味だろう。そして彼女は、姉に会って、と佐野に言い残して足早に帰っていく。

 春子を球突きの球にたとえるなら、姉は球突き台を縁取るクッションだ。クッションは球を受けとめて反射させるだけだ。球突きではクッションは動かず、球が動く。しかし姉というクッションは、春子という球の動きを受けて正しい角度へと動き、正しい方向へ春子を反射させて導く役を果たさなければならないようになっている。過去の女性体験について語った佐野を、春子は姉に預けて判断してもらわないといけない。春子という女性は、世間知らずであるよりも先に、面倒くさい人のようだ。自分の方法しか頭になく、それゆえに、なんでもないことでもいちいち面倒になっていく。

 佐野は自宅を訪ねて春子の姉に会う。春子は甘やかされたから家庭的ではない、などと姉は言う。松本ゆみさんとのことはもう終わったのですから、私は佐野さんを信用します、と佐野に言う姉の言葉を、お茶を持って来た春子は襖の陰で深刻な顔をして聞いている。なぜこうなるのか、僕には理解出来ない。春子はお茶を持ってふたりの前へ出る。お祝いにはなにをねだるの、と姉は春子に言う。佐野と結婚してよろしい、という判断を姉はこういうかたちで妹に伝える。

 佐野と春子による、結婚の準備が始まる。資金として佐野は兄から250円借りる。一軒の家が見つかる。佐野はそこへ引っ越しをする。手伝おうかしら、と春子は言う。佐野が引き払うアパートの部屋のほうへ、彼女は本当に手伝いに来る。松本ゆみからの昔の手紙が一通だけどこかに残っていて、それを佐野は春子に見られてしまう。「焼いて」と、きわめて重く、春子は言う。少なくとも僕の感じかたでは、まったく意味のない重さだ。古い手紙を焼いてどうするのか。松本ゆみとの体験は、佐野の記憶のなかでは消えない。手紙を焼くことによって、その記憶も消えると春子は思いたいのか。灰皿の上で佐野は手紙に火をつける。手紙は燃えて灰になる。そのあいだずっと、春子は窓辺に立っている。つまらない手間のかかる、面倒な人だ。アパートからの引っ越し荷物をトラックに積み終わる。佐野も乗っているそのトラックが走り去ろうとすると、私も連れてって、と春子はトラックを追いかける。

明日につづく[全2回]

(『映画を書くー日本映画の謎をとく』1996年所収、底本:『映画を書くー日本映画の原風景』2001年)


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2016年2月11日 05:30
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