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[モールスキンの手帳]

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 書きとめておきたいことはすべてなんでも書いておくことのできる、そしてそうしたければいつも身につけていることのできる、なんでも帳、大福帳としての手帳あるいは小型のノートブックとして、僕がもっとも好んでいるモールスキンの手帳が、4ページと5ページにまたがる見開きのなかにある〔冒頭画像〕。1980年代の初めに外国で見て気にいり、30冊ほど買ったのがこのモールスキンとのつきあいの始まりだった。けっして使わないわけではないけれど、縦横に使いこなしているわけでもないという、明らかに中途半端なつきあいだ。それから数年後にはどこでも見かけなくなった。そしてごく最近、イタリーで復活した。能書きを各国語で綴った紙がはさんである。それによると、1986年に製造が中止されたということだ。

 表紙で測って横幅が93ミリ、そして縦の幅は142ミリだ。本体と表紙とのあいだに、サイズの差がほとんどない様子が、ぜんたいの雰囲気を引き締めている。手帳としてこの縦横のプロポーションを超えるものはあり得ない、と僕は思っている。さほど凝ってはいないけれど、必要にして充分な作りは手のなかによくなじむ。モグラの皮によく似ているところからモールスキンと呼ばれた服地があり、モールスキン手帳の表紙にはこの服地が使われていた。モールスキンという通称はそこに由来しているという。現在のモールスキン手帳の表紙はこの服地を模した紙だが、感触は悪くないし視覚的にも好ましい。

 表紙を含めてぜんたいが角丸(かどまる)で、糸を織った紐の栞(しおり)がついている。裏表紙の内側にはポケットまで用意されている。

 僕がいちばん好いているのは方眼だ。厚すぎず薄すぎもしない質感のいい紙に、淡い灰色で印刷された5ミリの方眼。それ以外のものはいっさい印刷されていないという、徹底して自由な大福帳だ。白紙や横罫もある。スケッチ・ブック、住所録、細長い紙を折りたたんで蛇腹のようにしたジャパニーズ・アルバムと称するものなど、いろんな種類がある。一日が1ページのダイアリーはたいへんいい。見開きで一週間のも悪くない。本体に巻いた帯の色が、買いたい気持ちをそそる。133ミリに210ミリという、大きなサイズのもある。やがては原稿へとつながるであろうすべてのことを書きとめておくノートブックを、この大きなサイズのモールスキンに統一したらいい気分だろうな、と思うけれどまだ実行はしていない。

 手帳サイズのモールスキンは、身につけてどこへでも持っていけるものであるがゆえに、ほとんどいつも身につけていないと、なんでも帳として意味をなさないのではないか。その日の自分の行動、会った人たち、交わした会話のなかみ、街で見かけたもの、書きとめておきたい電話番号など、そのときその場からほんの少しだけうしろへずれた、ちょっとした時間のなかで、わが身のどこかから取り出したモールスキンのページを繰り、5ミリ方眼のページに愛用のボールペンで書き込むのだ。ボールペンは短いものが似合うと僕は思う。36-37ページの僕の筆記具の集合写真のなかに例を探すと、左から16本目〔右から12本目〕、透明な軸の八角形のボールペンは、最適にごく近いのではないか。

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 モールスキンを1冊、そして短いボールペンを1本。わずかこれだけを、外出のときはいつも持っているように心がけるだけのことが、僕にとっては至難と言っていい負担となる。ポケットに入れておくとして、そのポケットはどこにあるのか。いかなる季節のどのようなシャツであれ、シャツの胸ポケットには常にかならず、1冊の黒い表紙のモールスキンと、愛用していたとおぼしき透明軸の短いボールペンを入れていた人、として多くの人に記憶されるスタイルをつらぬくことのできる人は、きっと多いに違いない。思想家のような文人には、こういう人がふさわしいのではないか。なにかひとつのことを、天職のような仕事として終生続けた人。その天職にかかわる、直接間接を問わず、関係してくるありとあらゆることを、そのつど書きとめた個人的なジャーナル。感想、所感、見解、思索、閃(ひらめ)き、反省など、全域におよぶなんでも帳なら、大きいサイズのモールスキンのほうが適している。小さい手帳サイズは、そのほどよい小ささゆえに、使いこなすにあたっては、ある種の覚悟のようなものが必要であるようだ。

 モールスキンの手帳ノートブックは192ページだ。ひと月で1冊を使いきるとして、1日分として平均して6ページのスペースを割り当てることができる。そしてひと月のうち半分ほどは、1日分を7ページにすることが可能だ。単純に日割りにするとそうなる。日ごとに変化はあっていい。ただし、ひと月に1冊というペースは、守りたいと思う。1冊を2年も3年も使うようでは、この手帳の良さを生かしきることができないはずだから。

 1年で12冊。12冊の黒い表紙のモールスキンのページに、自分の筆跡でびっしりと書き込まれたさまざまな事柄が、自分にとっての1年なのだ。その12冊のなかに、その年の自分がいる。少なくともその痕跡くらいは、どのページにも雄弁に残っている。

 いろんな人といろんなことをめぐって常に密接に協議を重ねつつ、ある一定の期間内にひとつのものを作り上げて完成させる、というような仕事の責任者のような人、たとえば映画監督には、モールスキンの手帳ノートブックは必需品だろうし、次々に何冊も、存分に使いこなせるのではないか。きちんと押さえなければならない事柄は広い範囲におよぶから、とにかくどんなことであれ1冊の手帳に書きとめておかないことには、たちまち収拾がつかなくなる。何冊も使うとしても、モールスキンはひとまず書きとめておくスペースであり、夜の静かな時間に、ほかのもっと大きなノートブックに、領域別に整理しておかなくてはならないだろう。

 いつだったか、そしてなんという雑誌だか忘れたけれど、確か手帳の特集のなかに、手帳の使用例として、ジム・ジャームッシュの手帳の任意のページを開き、その様子を写真に撮ったものが掲載された。その写真を僕は切り抜いておいた。いまその切り抜きを見ている。これじたいがひとつの作品だと言っていいほどに、芸術的な書き込みかただ。写真を撮るために、この2ページだけ、それらしく書き込みをしたのではないかと思ってしまうほどの出来ばえだ。ジム・ジャームッシュは相当に几帳面な人なのではないか。愛用している手帳のページに次々と、仕事をめぐるあれやこれやについて、このような美しさを保ちながら、なんの無理もなく書き込みをしていく行為は、当人にはその自覚はなくても、第三者にとっては何度もの鑑賞に耐える芸術的な行為なのだ。このジム・ジャームッシュの手帳が、どう見てもモールスキンである事実には、感銘を覚える。大きさ、プロポーション、本体からほとんどはみ出ていない黒い表紙、そして5ミリに違いない方眼の印刷されたページ。これはモールスキンだ。

 8-9ページ(下)の見開きにあるのは、モールスキンのページを開いた様子だ。5ミリ方眼のを開くとこんなふうになる。3冊おなじのを開いて重ね合わせ、ごく弱い直射光のなかで撮ってみた。ノートブックや手帳の白いページは写真に撮りにくい。直射光ではないほうがいいのは明らかだ。背景の色を入念に選び、その色に助けられてページの魅力が浮き立つ、といった工夫も必要だろう。

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 なにも書き込まれていないページをこうして眺めていると、なにごとにせよ手帳に書きとめるとはどういうことなのか、その核心が見えてくる。

 のちのちのために、いまここで、いろんなことを手帳に書くのだ。書いただけではほとんど意味はない。必要に応じて、あるいは必要がなくても折にふれて、あちこちのページを開いては、自分が書き込んだ事柄を読んでいく。ただ読むだけでは、これも意味がない。手帳のなかにばらばらに書き込まれていることを頭のなかに拾い集め、ひとつにまとめて練り合わせ、おたがいのあいだに化学反応を引き起こさせ、その結果としてそこに浮かび上がる結晶のようなものを、手帳の産物として手に入れなくてはいけない。のちのちのためにとは、過去の体験から教訓を引き出し、それを未来に向けて有効な戦略へと転換するということにほかならない。断片的に蓄積されていく体験のなかから、未来において有効であるはずの戦略という、論理の筋道を引き出す。手帳という記憶装置を、頭という演算装置に、視線というケーブルでつなぐ。手帳を開くと電源がオンになる。ケーブルを経由して入ってくるさまざまな記憶を解析しならべ替え、そのすべてをつらぬく抽出経路を作ると、そこに論理が流れる。

(2016年1月2日掲載、『文房具を買いに』2003所収、底本:角川文庫、2010年版)


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2016年1月2日 05:45
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