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ロングボードの宇宙

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 ロングボードにまたがって、ぼくはいま沖にいる。波をつかまえるために位置をとり、波を待っている。太平洋をうねってくる波がたたえている、生きた命のようなエネルギーをつかまえるには、この重いロングボードがいちばんいい。

 両手に海の水をすくって顔にかけ、空をあおいでみる。青い空に強く明るい陽ざしがいっぱいだ。陽の位置が高くなりつつある。早朝からここにいて波をつかまえているぼくは、潮のせいで陽ざしは目が痛い。

 青い空は、底なしの宇宙空間だ。頭上いっぱいに、空はすっぽりと抜けきって、無限に深い。その宇宙空間に、太平洋が、むき出しで接している。接点の片隅に、ロングボードにまたがったぼくがいる。いま自分は宇宙の空間のなかにある、という感覚が、ぼくに心地よい緊張と解放のリズムをあたえてくれる。

 ぼくは水平線を見る。水平線は、湾曲している。この球体の地球のうえでは、いまぼくが見ている水平線のむこうにも、海がつづいている。ぼくがつかまえようとして待っている波は、地球の丸さのむこうから、はるばる、えんえんと、うねってくる。

 今日の海の、いまこの時間のリズムで、小さな波が、つづけてふたつ、来る。やりすごす。横に長い生き物のような、濃いグリーンの峰となって、波はぼくにむかってくる。ぼくの下を、通過していく。ぼくはロングボードごと持ちあげられ、そして、降りていく。海というものの、すさまじく巨大な量感が、両脚とそしてボードごしの尻から、ぼくの体の内部に充満していく。充満しきったその一瞬、ぼくの感覚のありったけは極限まで緊張する。そして、次の瞬間には、その緊張は、もののみごとに解き放たれる。

 小さなふたつの波につづいて、もっと大きな波が来る。これも、やりすごす。つかまえるのは、次の波だ。両脚を操り、ボードのむきをかえる。背後の太平洋を肩ごしにふりかえり、波のエネルギーという生き物の到着を待ちかまえる。

 ずっと沖にそれが見えた瞬間から、魔法の時間がスタートする。エネルギーをたたえた横長のうねり波の峰が、海面から盛りあがって、突進してくる。頭を海中に沈めたまま、いままさに背中や肩を海面上にあらわにしようとしている、得体の知れない巨大な生き物のように、波の峰は音もなく堂々と接近してくる。

 進んでくるその波の、前に広がっている裾野の最前部が、ロングボードとぼくとを、ひっかける。あたりいっぱい、海面が、斜めに高く持ちあがっていく。すでにボードに体を伏せているぼくは、ボードの下からぼくを空にむかってかかえあげる波の、なんの容赦のない、あまりにも堂堂としているが故に神々しさの域にまで達しているエネルギーを、ボードごしにぼくは自分の内臓のあらゆる部分に感じる。

 感じとったそのエネルギーがぼくの内部に定着すると、そのときぼくはもう、波のエネルギーの内部にひきずりこまれている。両腕や背筋から瞬発的に力をしぼりきるパドリングによって、波の進んでいくスピードとエネルギーにひっぱられつつ追いつきながら、せりあがる波の頂上のすぐ外側で、ぼくは背中から両脚の裏側ぜんたいに、空の広さを感じとる。

 海のエネルギーと空のエネルギーとのあいだにきれいにはさみこまれたぼくは、その両方のエネルギーから教えられた、これ以外にはあり得ないという体の動きによって、ボードのうえに立ちあがる。その瞬間は、波が高く盛りあがりきった瞬間と、一致している。立ちあがりつつ、ぼくは声を出している。体の緊張を抜き、バランスを確保するため、息を体から無意識に出すとき、それは声になる。波をつかまえることができたうれしさも、体の内部から外へむかって、声となって飛び出す。

 盛りあがりきって空中へ崩れていく波のスロープを、波のエネルギーとともに、まっさかさまに滑り落ちていく。太平洋という途方もない広さの深海を自由にうねってきたこの波は、思いがけずにぽつんとあったこの小さな島のリーフの浅瀬に乗りあげ、空中へのびあがることによって活路を開こうとした。空中で浅瀬にむかって砕けていく波は、自爆する寸前の波のエネルギーのかたちそのものだ。

 ぼくの両側で、そして背後から、波が崩れる。ものすごい量の海水が空中でまっ白に炸裂し、エネルギーのままに轟々と落下し、海は分厚く煮えたぎる砕け波でまっ白に埋まる。

 つかみとられずに、からくも逃げきりつつ、ボードのうえに中腰で立ち、ぼくは、水とも空気ともつかないまっ白な世界の内部を進んでいく。スロープにさか落としのように飛びこんだ瞬間からぼくの感覚は宇宙にむかってひきのばされ、そのたとえようもなくスリリングな生きた律動を、感じつづけている。

底本:『コーヒーもう一杯』角川文庫 1980年


1980年 『コーヒーもう一杯』 サーフィン
2015年11月16日 05:30
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