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子供のままの自分

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 僕はじつは子供のままだ。子供の僕とは、五歳くらいから十七、八歳くらいまでの、十年を少しだけ越える期間にまたがる僕だ。その僕がいまもまだ僕のなかにいる。ああ、こういう自分は五、六歳の頃の自分とまったく変わらないな、と思うことがいまでもしばしばある。どんな自分なのかその内容によって、該当する過去の年齢はそのつど変化するけれど、自分はなんにも変わってないな、と思うときのレファレンスとしての自分は、子供の頃の自分だ。

 わかりやすい話をひとつするなら、僕は学校へいきたくない子供だった。僕は戦後の教育を受けた最初の世代だ。小学校一年生として登校した最初の日、ああ、これは僕の好きなところではない、と幼い僕は確信することが出来た。好きなところではないとは、僕には向いていない、僕の得意とするところではない、したがって僕はここをすれすれでクリアしよう、無駄な努力やそれにともなうストレスを最小限にとどめよう、などと思ったということだ。初日からなぜきみはそんな子供だったのか、と問われても答えはろくにない。とにかくそうだったのだから、これはもう自分で思ったとおりにするほかない。小学校一年生の初日には、僕はすでにそのような人として、その段階にまでは成長していたのだ。そうとしか言いようはない。

 だから僕は学校へいかない子供になった。小学校の六年間で、登校した日が百日あるかないか、という種類の子供になった。中学校の三年間も登校したのは百日ほどだ。三年間で百日だから、小学校のときにくらべると、登校の頻度は倍に高まっている。それは無理にそうしたからではなく登校に向けて僕にかかってくる強制力が高まったからでもない。少なくともそのくらいは登校する必要が、自分のなかに発生したからだ。

 学校へいかないためには、いかずに済むだけの理由を考え出し、その理由に沿って行動しなくてはいけない。学校へいかない子供の僕は、学校へいかなくても済むだけの理由を見つけ出し、その理由どおりに行動する子供となった。学校へいかないことを、幼い心身をフルに使って、なんらかのクリエイティヴな営みへと、転換し続けたのだ。もちろん、その当時の僕がこんなことを、きちんと意識したわけでも自覚したのでもない。そうせざるを得ないから、そうしたまでのことだ。子供とは、まずなによりも先に、こういう存在なのではないか。そうせざるを得ないから、そうする人。これが子供だ。大人だっておなじだよ、という意見はあるだろう。大人には選択肢はたくさんある。結局はどうでもいいような、数多くの選択肢が。しかし子供の場合には、選択肢はひとつしかない。

 学校へいかなくても済む理由は、したがってひとつしか見つけることが出来なかった。家の用事のほとんどを引き受けて、それをすべてこなすことだ。東京生まれのまま東京にいたなら、このような僕はあり得なかったと思う。しかし六歳の僕は、瀬戸内に面したきわめて牧歌的な場所に住んでいた。広い畑での農作業、小さな船で沖へ出ておこなう素朴な漁、家の内外での雑多で多様な用事の三種類を中心に、六歳の男の子にも充分にこなせる用事は、たくさんあった。だから僕はそれらをすべておこなった。なんでも知っている、なんでも出来る、そしてなんでも教えてくれる祖父がいっしょに住んでいた。この祖父が先生の代わりを務め、同時に瀬戸内時代の僕の守り神だった、といまでも僕は思っている。

 たまに学校へいくと、きみは誰だ、転校生か、と先生が訊いたりした。はい、そうです、と僕は答えておく。それでよく進級や卒業が出来ましたね、と人にあきれられることがいまでもあるけれど、そういう問題は親つまり母親が、才覚ひとつでクリアすればそれで済むことだ。現実にそうしたのだろう、僕はちゃんと小学校を卒業した。しかしそれがどこの小学校だったか、確かなことは覚えていない。敗戦直後の混乱期は、田舎ではのどかさそのものだった。社会のありかたや人々の質が、いまとはまるで違ってゆるやかだったから、僕のような子供も無事に成長していくことが出来た。

 学校へいきたくないということを、大人になってからの僕に置き換えると、会社に勤めたくない、というようなことになる。会社へいかなくても済むだけの状況を、自分で自分の身の上に作り出さなくてはいけない。ではそれはなにだったのかというと、いまの僕がしているとおり、こうして文章を書くことだ。これを僕はすでに35年以上もやってきた。今日は落ち着いて原稿を書く、ときめた日の僕は、よし、今日は鶏小屋の掃除と補修をしようときめて、長靴を履くときの厚手の靴下と子供用の作業手袋を出してくる子供の頃の僕と、まったくおなじだ。机に向かってワード・プロセサーのキー・ボードを前にするときの自分は、何十羽も鶏のいる小屋に入っていく子供の頃の自分とおなじだ、と僕は思う。いまの自分はあの頃の自分そのままだという思いは、僕の書く文章の、字面にはどこにもあらわれることのない、しかしかならずそのなかに存在する、中心軸のようになっている。

 五歳くらいの頃から十七、八歳あたりまでの十二、三年間を、ふたつに分けるのはひょっとしたら正しいことかもしれない。前半を子供、そして後半を少年、というふうに。子供には選択肢はひとつしかないから、その選択肢のとおりにしなくてはいけない。そのような子供の状態から、さらに少しだけ成長した少年になると、なにに強制されるでもなしに、なにごとかをぼんやりと思ったり、なにかをなんとなくしていたりするときの、自由でとりとめのない自分が、もっとも自分らしい自分となるようだ。

 なにごとかに純粋に熱中するのは少年の特権である、としばしば言われているけれど、その少年は熱中することの出来る対象を見つけた人なのであり、その分だけ明確になっている。熱中の対象などまだどこにもなく、したがって曖味に不定型なまま、なにをするでも思うでもなく、しかしなにごとかを感じてはいるという状態の少年なら、いまの僕はほとんど四六時中、そのような少年でもある。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年


2004年 『自分と自分以外ー戦後60年と今』 子供 学校 少年時代 瀬戸内
2015年11月20日 05:30
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