アイキャッチ画像

そして国家がなくなった

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

二〇〇四年三月十五日*本文末「まえがき」参照

 一九九一年の湾岸戦争のあと、「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」というものが、日本で政治家たちによって作られた。そしてここから出てきたのが、日本は普通の国になるべきだ、という論だった。普通の国とは、アメリカに守ってもらうという依存から抜け出し、アジアの安全保障に関して日本はこう考える、これが出来るという積極的な参加をする国、というほどの意味だ。そのような参加が出来ていない、という自覚から出てくる論であることは、言うまでもない。この普通の国・論の土台は、憲法第九条が制約となって軍事面で自由に動けない国は普通ではないから、そのような制約から脱して普通になろう、ということだった。湾岸戦争でアメリカが発揮した軍事力、そしてそこへ参加することの出来なかった日本、というようなことに引きずられてのことではあったにしても、日本の自由意思として軍事が論議の対象になったのだから、これは注目に値したはずだ。

 それから十年以上を経た二〇〇三年に、日本政府はいまもまだ戦場であるイラクに、自衛隊を派遣することを決定し、現実に派遣した。イラク復興の人道支援をつうじて国際社会に貢献し、それによって日本は国際社会のなかに名誉ある地位を占めることになる、という理由づけがなされた。苦しいというよりも最初から破綻している理由づけだが、十年ちょっとのあいだに、普通の国から国際社会での名誉ある地位にまで、国家観にかかわる日本政府の願望は進展したのだから、いまの日常語で言うなら、日本も相当に煮詰まってきた、というところか。

 煮詰まったとは、どういうことか。国家観の欠落が、来るところまで来た、という意味だ。十年前にはおかねだけ出した日本だったが、今度は「実質的には軍隊」と首相が言う自衛隊が、戦場である他国へと派遣された。冷戦が終わると同時に始まった、世界秩序の再編成という大きな動きのなかで、主権国家日本という自分たちの拠り所を、いっきに強固なものにする日本政府の気持ちは、戦後の半世紀を越える時間のなかでほぼ欠落した、国家観の空白の上に立っている。今日の午前中に自衛隊を送り出し、遅くとも明後日の夕方くらいまでには失われた国家を取り戻したいという、一夜にして城が建つ願望だ。

 日本の戦後そのものが、国家観や国家像の欠落を前提としていた。近代日本という主権国家は、国民ひとりひとりを厳しく掌握してこと細かに管理し、エネルギーを、ひとつの方向に向けて揃えて相乗効果を発揮させ、最大の効率をそこから引き出して国家に注ぎ込ませた。太平洋戦争での大敗戦、それに続いた占領政策と新憲法によって、戦前・戦中の国家は否定され、そこから断ち切られたところから戦後の日本はスタートした。その日本は技術と経済に特化した。自由と民主が社会システムとなっていればこそ可能な特化であり、これはアメリカが世界に広げた影響力の、日本における開花だったと言っていい。

 冷戦の最前線で日本はアメリカの軍事力の傘の下に入り、外交と軍事をやらずにすませた。技術と経済は企業群が担った。戦前・戦中の国家に代わって、会社が人々の帰属先となった。高度経済成長の時代のなかで、会社はほぼ絶対のものにまでなった。その背景では主権国家日本が、戦前・戦中にも増して規制と管理の網を何重にもかけて、企業群を護送した。国家のコントロール力は、強化されて広い範囲におよんだ。なにしろことは経済だから、おおっぴらにやれた。しかもその経済は成長と拡大を続けた。人々の生活は向上し、会社のなかにすべてがあるという日本が出来上がった。会社の外にはなにもないか、あるいはあっても見えない状態となり、見えなくなったものの代表が国家だった。

 一九八九年の冷戦の終わりと、戦後日本というシステムのあらゆる部分の崩壊の始まりは、時間的に奇妙に一致している。冷戦が終わったあとに始まった世界秩序の再編成のなかに、国家観を失った日本が浮かび上がり、失ったものをなんとか取り戻そうとする試みの最たるものとして、国際社会での名誉ある位置の獲得が、軍隊の派遣という短絡した方法で、国家によって模索されることになった。そしてその国家は、国家機能の中枢から市民生活の最末端まで、あらゆる領域で崩壊を始めている。

 これまで主権国家が営々と築き上げてきた、ひとつの国の統治をめぐるすべてのシステムが、有効期限切れとなり効能の限界を越えていきつつある。国家による緻密で巌しいコントロールから漏れ落ちていくものが、急激に増えている。なぜこういうことになるのか、僕にはまだ理解しきれていないところがあるけれど、おおまかに感知していることを書いていくと、次のようになる。

 戦後の復興とそれに続いた高度経済成長、そしてその頂点のバブルまで、すべては主権国家の緻密で強力な統率力があればこそのものだった。しかしそのような戦後日本の内部では、それを可能にした国家を崩壊に導く事態が、少しずつ確実に始まっていった。戦争の責任は自分たちにはない、というかたちで国家から切り離された戦後の人々は、高度に成長していく経済のなかに身を置いてそれに参加することをとおして、どこまでも国家から遠のいていった。人々にとっては会社がすべてであり、日本は会社員の国になった。こういう人たちはいまでもまだ多数派だろう。この多数派の人たちに、あるとき、質的な変化が起きた。あとから振り返ればそれが決定的だったとわかるような、内面としか言いようのない領域での、ほんのちょっとした、しかしその後の展開のなかでは決定的となった、ひょっとしたら取り返しのつかない変化だ。

 ではそれはどのような変化なのか、内面における変化にきまっている。正確に言いつくすのは難しいが、大きくとらえてひと言で言うなら、生きていまここにある自分という存在の意味が少しずつ消えていった、という種類の変化だ。経済の成長と拡大のなかで、人は物と同列あるいは物に準じる存在になった。物とともにある状態、あるいは、物がなければ意味のない状態、と言ってもいい。おかねは常にままならないが、最終的には消費され、有形であるか無形のままかを問わず、物になる。これが自分についてもおこなわれると、自分は少しずつ物になっていく。物は次々に消えていく。それと同調して、自分も少しずつ消えていく。自分という存在の意味に、小さな空洞が次々に出来ていく。平凡な言葉を使うなら、内面の充実はいっこうにはかられず、その逆に、内面は確実に浸食されて虚ろになっていく、ということだ。

 このあたりで、社会システムのほうにも、崩壊のきざしがはっきりと出てくる。例を拾い始めるときりがない。見渡せばかたっぱしから見事な例ばかりだ。内面の充実がはかられなかった、ということともっとも深く関係する領域で見つけるなら、働く、ということではないか。仕事だ。会社が絶対だった高度成長の頃にくらべると、会社に雇用される人の働きかたは激変している。形態だけを見てもすさまじい変わりようだ。年功序列は懐かしい昔語りだ。定期昇給、ほぼ自動的な昇進も、消えた。ベースアップつまり労働組合も危ない。利益を出すためのさまざまなコストのなかで、人件費がもっとも集中的に削減の対象となっている。高度成長のなかでふくらむだけふくらんだ、日本の人件費だ。失業と雇用の不安定化のなかで、いまもっとも進んだ先端は、一日ごとの契約という働きかただろう。これはほどなく時間単位にまでなるはずだ。

 企業という社会的な存在にとって利益とはなにか、利益はいかにして確保されるのか、そしてその利益はどのように再配分されるといいのかといった、社会システムそして主権国家の根幹にかかわる大変革の必要に気づかないまま、従来どおりでここまで来るとこうなる、ということだ。こうなるとは、個人的な意味合いだけではなく社会的に見てもぜひとも働かなくてはいけない多くの人たちに対して、あなたは必要ない、と国家が言っているに等しい状況が、いまの日本に広く重たく横たわっている、ということだ。これは明らかに国家の犯した、不健全きわまる運営による、富の再配分システムにかかわる大失敗だ。こんなことをこうしてひと言で書くのは、なかなかにせつないことだ。それ以前に教育システムの失敗がある。これは国家がみずからのビジョンを描きそこなうことによる崩壊の最大の例だ。

 いたるところにあるこのような致命的な失敗のひとつひとつから、国家システムは崩壊を始めていく。国家システムの崩壊は、人に対してどのように影響するか。あらゆる領域で計り知れない深刻な影響をあたえるが、これもひと言で言うなら、働くな、働かせないぞ、という場合がひときわそうであるように、自分というひとりの存在が、必要のないものとして社会から拒絶されたという、他のことをもって埋めがたい空洞を、人の内面に作り出す。やがてはこうありたい自分という目標が拒否され否定される。目標を下げてもそこにあるのは崩壊していく社会システムだけだ。そして下げれば下げるほど、人はシステムからこぼれ落ちていく。崩壊する国家システムと、こぼれ落ち溶け出していく人々とが重なり合うなかで、国家はさらに失敗を重ねては弱っていく。

 失った国家イメージ、そして消えていく国家システムを、なんとか同時に取り戻したいという願望を、日本国政府は次々に行動に移している。もっともわかりやすいのは、国民総背番号制や住基ネットなどだろう。国民全員ひとり漏らさず、大きく網をかけてそのなかに捕獲し、国家権力の中枢で一元的に管理しようとする試みだ。わかりやすさでは憲法改正も負けてはいない。改正されるときの憲法の前文には、日本人としての愛国心、文化と伝統の尊重と継承の努力などについての文章が、かならずや含まれることになるという。日本は国民に対して強権を発動しては、なにごとをも強制する国へと戻っていこうとしているのか、という不安を持つ人がいるなら、その不安は当たっていない。崩れ落ちていく国家システムをなんとか補強しようとする、素朴であるだけに効果のほとんどない、ほんのいっときの抵抗だ。

 都立の高校や学校では、入学式や卒業式その他の学校行事の際、壇上正面に日の丸の旗を掲げ、それに向けて全員が起立して君が代を斉唱することが、東京都の教育委員会から教職員が受けた職務命令となっている。この職務命令を充分に果たさなかったという理由で、二〇〇四年の三月に百八十人の教職員が戒告処分を受けた。戦前・戦中への逆戻りというわかりやすい言葉を当てはめがちだが、現実のなかで上げる効果は、そのまったく逆だ。先生が処分されると可哀相だから、ここだけはかたちどおり起立して斉唱しておこう、と子供たちは考えてそのとおりにする。明らかに屈折した対処法だが、子供たちが示す反応としては、無理はどこにもないすんなりとしたものだ。それだけに、国家から彼らの気持ちを離反させる効果は、将来に向けて強く尾を引くものとなるだろう。

 主権国家としての日本の輪郭が、イメージとしても具体的な内容としても、もっともくっきりとしていたのは、明治以来の近代化がひとまず頂点に達した、戦前・戦中の日本だった。しかしいくら国家観が欲しいからと言って、個人的な信条は別として、公にはいまそこへ戻るわけにはいかない。だからそれ以前の明治維新の頃、さあこれからという段階にあった日本国家とその運営参加者たちを、なんとなく思い浮かべてそれを頼りにしつつ、いまこの段階で可能なかぎり具体的な国家像はどこかにないかと探すと、それは日米同盟という二国間関係の片方である日本だ。なにしろ相手はあのアメリカなのだから、不足はなにもない。そうであれば、その関係のこちら側である自分たちという日本の像は、もっとも鮮明な輪郭を持つ。その輪郭をなぞりながら、国際社会での名誉ある位置、などという言葉で自衛隊を激励する首長には、旧態依然たる悲壮感が漂う。

 国家システムのいろんな部分で、機能が損なわれては失われていくことを感じ取るにつれて、人々のあいだで不安な気持ちが高まっていく。漠然とした不安だから、そこから立ち上がる反応も曖昧なものが多いけれど、国家のありかたに関して感じる不安だけに、その不安に対する確たる回答のようなものを人々は国家に求める。ナショナリスティックな、としばしば言われるような言葉が、人々のあいだに飛び交うことになる。国家が近隣諸国に対して毅然たる態度を示すこと、断固たる措置を取ること、強硬な手段も辞さないことなどを、人々は求める。イラクへの自衛隊の派遣のような、国家の輪郭の明瞭にある行動は、大勢においては結果として追認される。これとまったくおなじ過程のなかに改憲を取り込めば、国家は改憲という目的を難なく達することが出来るだろう。国家が大きく強くなり、それにふさわしいアクションを取るなら、そのなかに自分たちは取り込まれて面倒を見てもらえる、という幻想を人々のあいだに作り出せばいい。

 国家などについて語る必要はなく、語ることが悪であるかのように言われ、国家は経済の陰に隠れて見えない存在、ないも同然の存在となり、人々は国家のことをますます考えなくなった。国家が経済を強力に推進したからこそ経済大国にまでなれたのであり、その背後には主権国家のあらゆるシステムが強固に機能していた。その国家に人々は十重二十重に管理されると同時に守られもし、守られる度合いの強さに正しく比例して、国家に依存してもいた。

 それでいて人々は国家を悪の源泉としてとらえた。企業立国のあらゆる隙間から噴出してくる矛盾は悪いものばかりであり、それらはすべて国家のしわざとされ、国家の正体は悪として人々のなかに定着した。そしてその国家は、あらゆることになにかといえば規制をかけては、自分の経済活動の自由を奪う、と人々は考えた。二重の関係の、近年におけるあらわれかたの典型は、規制緩和と構造改革、官業の民間への開放だろう。国家が従来どおりの内容で細々と規制するからシステムは時代遅れとなり、経済その他すべてうまくいかなくなるのだから、規制緩和、構造改革、官業の民間への開放など、これまでとは違ったかたちでの保護策を講じてくれればうまくいくはず、という考えかただ。国家からの開放を求めているのではなく、新たなかたちの介入による保護を人々は願っている。小泉政権への支持率は、このような願いが人々のあいだにどれだけあるか、その比率だと理解すればいい。政権の能力と方針を正確に見きわめて国家の運営を託しているのではなく、なんとかしてもらいたいという依存的な期待ゆえの支持率だ。

 国家は崩壊していく。その国家への人々の依存は高まる。この相反するふたつの力がちょうど均衡し、動きのとれない状態が、いまの日本だ。デフレ、不景気、経済の長期停滞などの、真の原因はここにある。国家の崩壊は国民経済の崩壊をともなうにきまっているではないか。依存というかたちによる国家への人々の期待は、次々にはずされるだろう。はずすたびに国家は崩壊の度合いを深めていく。世界最強国の巨大な力を感じつつ、それの助けを借りて主権国家の薄れかけた輪郭線をなぞって引きなおし、軍隊を他国の戦場へと送り出すのは、主権国家としての最後の晴れ姿かもしれない。

底本:『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHKブックス 2004年

*「まえがき」より

影の外に出る

 二〇〇三年の夏が終わろうとする頃から、主として報道をとおして、次のような言葉がこの僕の目や耳にも、しきりに届くようになった。日本の主体的な判断。国益。対米協力。国際社会への貢献。イラク復興の人道的支援。非戦闘地帯。アメリカ追従。状況を見きわめる。隊員の安全には配慮する。テロとの戦い。秋が来てそれが深まっていくにつれて、これらの言葉が飛び交う密度はいちだんと濃くなっていった。印象としては、いわく言いがたい奇妙な違和感のある言葉ばかりだった。このような言葉によって、いったいどんな内容のことが、どのような人たちによって、どんなふうに語られ論じられているのか、僕が興味を抱くにいたった最初のきっかけは、僕がどの言葉に対しても感じた、たったいま書いたとおりの、いわく言いがたい種類の奇妙な違和感だった。

 考え抜かれた末のものであれ、ろくになにも考えてはいない結果のものであれ、人の口から他の人たちに向けて出て来る言葉というものは、その人がその問題に関して考えをめぐらせた証拠のようなものだ。こういう言葉で言いあらわされる思考とは、いったいどのようなものなのかという淡い興味を持った僕は、おなじような問題をめぐって自分でも考えてみることにした。考えた結果として、自分にはどのような言葉が可能になるのか。自分でも言葉を使ってみることによって、自分が感じている違和感の内側へ、多少とも入ってみることが出来るかどうか。

 この本に収録してあるいくつかの文章の最初のものには、二〇〇三年十月二十日の日付がある。文字どおりこの日に書いた、というわけではないが、この日付の近辺でまず僕はこれを書いた。誰に依頼されたわけでもなく、どこに対して責任があるわけでもない、自分ひとりだけのために書いてみるという、きわめて個人的な営みとしての文章だ。軽く読めるタイプのほんのちょっとした時評のような文章だ。そのように書きたいと思ったからではなく、こんなふうにしか書けないからという理由で、こうなっている。

 書き始めて僕は面白いことをひとつ発見した。気楽な文章であるとは言え、相手にする領域はたいへんに広い。日本国内だけではなく世界のいたるところで、時々刻々と発生してはただちにさまざまに変化しながら複雑に重なり合う事態、といったものぜんたいをカヴァーしなくてはいけない。ごく基本的な材料を手もとにためておくだけでも、作業としてはかなりの時間を必要とする。これはしかし当然のことだからそれでいいとして、問題はその奥にある。

 世界じゅうで時々刻々と発生しては変化していく事態がどこまでも続くのだから、そのなかに巻き込まれると、そこから出られなくなる。つきあいは際限なく続くから、たとえば文章を書く仕事をそこでするなら、どこまでも書き続けなくてはいけない。書くためには考えるのだから、こういう世界で仕事をする人たちはすべて、考え続けなくてはいけない。時々刻々に合わせて考えるだけでは足らない。そのずっと向こうを正確に見とおす視線で考える必要がある。

 考えることをどこかでやめると、考えを停止したことによってそこから先に発生するマイナスは、借金が雪だるま式に大きくなっていく、というようなことに例えることが出来る。思考を停止した人が最も陥りやすいのは、べきである、べきではないという、すでにその人のなかで出来上がって固定されている価値観によって、すべてを性急に裁断してしまうことだ。その人の価値観はその人の財産であり、少しだけおおげさに言うなら、それはその人の既得権益のようなものだ。これを守ろうとして活用される、べきである、べきではない、という価値観は、持続させることがもはや不可能なほどに効用のつきた制度であり、現在という現実に対して、これほど無力なものはない。


2004年 『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』 アメリカ システム 憲法 戦後 日本 社会 経済
2016年5月1日 05:30
サポータ募集中