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自殺するマヨネーズ

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 日本の企業が作って売り出したヴィニールのチューブ入りのマヨネーズ、というものを初めて手にしたのはいつ頃のことだったか。ある日それは自宅にあった、ということは記憶している。ではそれは、いつ頃だったのか。なんの根拠もなしに、しかもきわめておおざっぱに見当をつけると、十七、八歳の頃、さもなくば二十二、三歳の頃か。

 あるひとつの事実を、薄弱な根拠に立って、過去のどこかにその位置を特定しようとするとき、傾向として時間軸のこちら側へ寄ってしまうことが多い。現実はもっと早くに具体化している。つまりいま僕があやふやにつける見当よりも、少なくとも三、四年は早くに、それは現実となっている。

 とすれば、チューブ入りのマヨネーズを初めて手にしたのは、十四、五歳の頃だったか。マヨネーズがダーキーズやベストフーズからキューピーへと変化したことと、チューブ入りのマヨネーズはなんら関係していない。このときのキューピー・マヨネーズは金属キャップのガラス瓶に入っていた。チューブ入りはもう少しだけあとの出来事だ。

 ソフト・ヴィニールのチューブに入ったマヨネーズは、僕にとって、きわめて奇妙な食品というものの、ベスト・スリーに入る。マヨネーズじたいはこれはいまさらどうということもなかったが、そのマヨネーズがほどよく柔らかいヴィニールのチューブに入っているとは。チューブのかたちも妙だった。コンピューター・アシステッド・デザインというものはまだなかったはずだが、あのチューブのかたちはCADのはしりのように思える。実際に手にしてなかのマヨネーズを一度でもいいから絞り出してみると、あのかたちの機能的な正しさのようなものは、ただちに体感することが出来るはずだ。

 あのチューブの形状の不思議さや奇妙さにとって、画竜点睛とも言うべき存在となっているのが赤い小さなキャップだ。なぜ赤なのか。赤がいちばんいいからだ。ではなぜ、赤がいちばんいいのか。ブルーではいけないのか。鮮やかな緑色はどうか。マヨネーズを細く絞り出すのだから、絞り出す口は小さくてすむ。当然の連関として、キャップも小さくていい。だから小さい。現在でもその小ささにはなんら変化はない。チューブぜんたいのかたちに関しても、基本的に変化はなにもないと言っていい。

 チューブを強く握っても、口から絞り出されてくるマヨネーズは、一定の太さに保たれる。絞り出す力を弱くすると、それに比例してマヨネーズも細くなる。口が星型ないしは花型になっていた時期があった。いまでもそうかもしれない。絞り出されるマヨネーズの断面が、星型あるいは花型となる。皿に盛ったいろんな野菜の上へ、うねうねと、にょろにょろと、ぐるぐると何周も、このマヨネーズをかける様子をとらえた映像が、TVのCMでいまも放映されている。日本におけるマヨネーズの、標準的に美化されたありかたは、これなのだろう。

 チューブ入りのマヨネーズというものがあまりにも不思議だったので、ついに僕は、自殺するマヨネーズ、という出来事を短い小説のような文章にして、どこかに発表した。二十代なかばのことだったと思うが、さらに十数年あと、より進化したかたちでもう一度、おなじことを書いた記憶もある。

 一日の営業を終えたスーパーマーケットが、とっくに入口を閉じ明かりを消し、静かな休止の状態に入っている。店内には誰もいない。常夜灯のような明かりが、無人のフロアや整理された棚の列、そしてそこにならぶさまざまな商品を、ほのかに照らしているだけだ。なんの物音もしない。夜警の人が一定の周期で見回りに来るのだが、いまはその時間ではない。そのようにして夜はただ更けていく。

 マヨネーズやドレッシングその他、関連する商品が陳列してある棚の、チューブ入りマヨネーズのならぶところで、透明な包装袋に入ったチューブ・マヨネーズが一本、がさごそと左右に動いたかと思うと、三、四センチだけふと浮き上がり、前に向けて倒れながらおなじチューブ入りマヨネーズの列を離れ、棚の外へと出て来る。そのチューブ入りマヨネーズは、ほら、見てごらん、なぜだか知らないが、どんなしかけがあるのかないのか、空中に浮かんでいるではないか。

 棚と棚とのあいだの通路のまんなかあたりまで、そのチューブ入りマヨネーズは空中を漂い出て来る。フロアから測って百五十センチほどの高さのところだ。そこにしばらく静止したあと、チューブ入りマヨネーズは、空中でゆっくりと水平に横たわる。そのままふたたびしばらく時間が経過したのち、透明な包装袋の閉じてある一端が、するすると破れる。破れたところから、なかのマヨネーズ入りチューブが、滑らかに、ごく当然のことのように、空中遊泳して、包装袋の外へと出て来る。マヨネーズの充満したヴィニールのチューブは、いまやむき身となって、棚と棚のあいだの通路の空間に、その身を静かに横たえている。そのかたわらでおなじように浮かんでいた包装袋が、あるとき突然、フロアへと落ちていく。小さな音とともにフロアに落ち、それはそのままそこに静止する。

 マヨネーズの入ったチューブは空中に浮かんだままだ。夜の時間が静かに経過していく。そしてあるとき突然、チューブの赤い小さなキャップが、ひとりでに回転を始める。何度か回転すると、キャップはチューブのネジ山からはずれ、そこから垂直に五十センチほど落下していく。そしてそこでいったん静止し、そのあとすぐにフロアに落ち、小さな音とともに棚に向けて転がる。

 転がった赤い小さなキャップが棚の下で静止すると同時に、チューブのなかからすさまじい勢いでマヨネーズが噴き出て来る。口にシールのように貼ってある丸い小さな銀紙が、チューブの内側から吹き飛ばされたかのように剝がれてめくれ上がり、そのあとを追ってマヨネーズが、細い軟体質の棒のように、空中へと絞り出されていく。フロアと平行に一メートルほど空中を走ったあと、その軟体質の黄色い細い棒は、放物線を描いてフロアへと落ちていく。そしてそこに小さな渦を巻きながら、蓄積されていく。マヨネーズはチューブから途切れることなく絞り出されて来る。しかしチューブのかたちには変化はない。見えない手がチューブを絞っている、というような出来事ではない。マヨネーズに生命があり、自らの意志でチューブを飛び出し続けている、としか思えない。

 チューブのなかにあったすべてのマヨネーズが、そのようにして自らチューブを脱出し、フロアに向けて落下し、そこに渦を巻いて果てていく。すべてのマヨネーズがチューブを出てしまう。チューブのなかは完全な空っぽとなる。そしてそのチューブは空中からフロアへ落ちていき、からんころんと音を立てて転がり、静止してそれっきりとなる。すべてはそのままに時間だけが経過し、夜警の人が見回りに来るけれど、その人は店のフロアのいちばん外をぐるっと大きく一周するだけだから、空のチューブやフロアに渦を巻いているマヨネーズには、気づかない。

 朝が来る。店員や店長たちが出勤してくる。副店長は体調不備で今日は休みだ。パート・タイマーの女性が空のチューブとマヨネーズを見つける。店長に報告する。いったい誰なんだ、こんないたずらをするのは、という騒ぎになる。騒いでもなにひとつわからない。チューブの指紋を調べる、などと店長がいきまくあいだに、パートの女性がフロアのマヨネーズを始末する。誰かのいたずらだろう、という曖昧なところで、すべてはやがてうやむやとなる。夜警の人がなんとなく疑われるが、それも追及はされない。真相は闇のなかに眠ることになる。チューブ入りマヨネーズの自殺、という真相が。

 マヨネーズがチューブから出ていく様子には、ヴァリエーションがいくつも成立する。僕がいま書いたヴァージョンはもっとも基本的なものだから、チューブは空中に浮かんで静止している。通路の上空を飛行船のように動いていきながら、通路のフロアにマヨネーズを垂らしてもいいし、垂らすのは棚の商品の上であっても面白い。店のほぼ中央で天井のすぐ近くに浮かび、そこで猛烈に回転するチューブからマヨネーズが店のいたるところに飛び散る、というのも愉快ではないか。チューブに閉じ込められたマヨネーズの、思いつめきった心情は、どのようにも表現することも可能だ。

底本:『白いプラスティックのフォーク──食は自分を作ったか』NHK出版 2005年


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2020年6月1日 07:00
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