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ジェロについて書くとは思わなかった

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 ジェロを覆すものを僕はいまだに知らない。

 ジェロについて書こうと思い、どんなふうに書いたらいいか考えていたら、書き出しのワン・センテンスがたいへんに重要だろう、というひとまずの結論を得た。そのワン・センテンスはどうあるといいか、さらにひとりで考えていったら、たったいまこの文章の冒頭に書いたようなワン・センテンスに、たどりついた。

 話はそれるけれど、この一節のなかにワン・センテンスという片仮名書きの言葉が、四度もあらわれる。そしてこれで五度目となるのだが、ワン・センテンスという言葉に該当する日本語は、なにだろうか。最後にひとつある句点で完結する一本の文章、とでも言えばいいのだろうか。ワン・センテンス、というとらえかたないしは考えかたが、日本語にあるのかないのか。

 ジェロとは、ごく簡単なひと言では、ジェラティン・フードだろうか。それはデザートだ、という考えかたにかたまっているなら、ジェラティン・デザートでもいい。日本語ふうにいくなら、フルーツ・ゼリー、とでもなるだろう。フィルターのついた煙草が二十本入っているパッケージとおなじような大きさの紙箱に、袋が入っている。その袋のなかのジェラティン粉末を熱湯で溶き、おなじ量の水を加え、型ないしは容器に流し込み、冷蔵庫で冷やして固める。四時間ほどかかる。固まったら、型あるいは容器から取り出せばそれでいい。

 ジェロはJELL–Oと書く。アメリカのジェネラル・フーズの製品のひとつだ。日本では見かけない。と言うよりも、アメリカでは昔から広く知られているけれど、日本ではいまにいたるもまったくなじみのない食品のひとつだ。アメリカ製の別ブランドの、よく似たもの、あるいはほとんどおなじものが、日本ではいきわたっているようだ。

 僕が知っているかぎりでは、ジェロには六種類の「フレイヴァー」、つまり味と香りと色がある。日本で手に入るブランドで全色を買って来てレモン・ライムの箱を開いたら、ジェラティン粉末が七十七グラム入った茶色の紙袋があらわれた。この紙袋には、軽度ながら僕は感銘を覚えた。細長い長方形の紙を機械で折りたたみ、ちょうどまんなかのところでマチ底をつくって折り返し、両縁を接着して袋にし、そこにジェラティン粉末を規定の量だけ注ぎ入れ、開いている端を接着して出来上がりという、ごく単純ではあるけれども、まごうかたなき全自動生産の典型だ。

 粉末ジェラティンを熱湯で溶き、同量の水を加えて型に流し込み、冷蔵庫で四時間冷やして固める。ただこれだけでジェロは出来上がる。そしてそのジェロを覆すものを、いまなお僕は知らない。僕にとってジェロはアメリカの食品の王座にいまも位置している。その王座という位置を覆すものを、僕は知らないのだ。だからジェロはいまなお栄光の王座にとどまっている。

 固まって冷えているジェロを型や容器から取り出すには、容器を縁まで水につけて三、四分そのままにしておくか、容器とジェロとのあいだにナイフのようなものを差し込み、剝離のきっかけを作るとうまく離れる。完成したジェロを皿に移したとき、見栄えのするグラマラスな造形になるような専用の型容器が、何種類もあったと記憶している。明らかにアール・ヌーヴォーの影響下にある造形の、透明な赤や黄色、緑色などのジェロもいいものだが、僕の最高にして唯一の好みは、さいころだ。

 平らな容器でジェロを固まらせ、そのあとでさいころに切っていくという方法もなくはないけれど、さいころジェロを作るための専用の容器を使うときれいに出来る。枠と本体が一体になっている、一個が二センチ角ほどのさいころ製氷皿を使ってもいい。さいころジェロのもっとも好ましい大きさは、一辺が二センチの立方体だ。これをガラスの器に盛る。丸い台座から、ややどっしりした作りの支柱が短く立ち上がり、浅い縁の垂直に立ったボウルが載っているような、いろんな場面でよく使う容器にほどよく盛り、スプーンですくい取っては食べる。

 砂糖は粉末のなかにすでに入っている。だから砂糖は加える必要がないし、完成したものをさらに甘くする工夫もいらない。アメリカのものにしては珍しいほどに、ジェロの甘さはほのかなものだ。香りはかなり強いから、それによって甘さが心理的に中和されて感じる、ということはあるかもしれない。僕の好みの「フレイヴァー」はライムないしはレモン・ライムだ。あまりにもこれが好みなので、これ以外の「フレイヴァー」を僕は食したことがない。

 二センチ角ほどの立方体というところが、まずたいへんに結構だ。立方体の食べ物がほかにあるだろうか。容器に盛られたジェロのさいころは、きちんとさいころの形を保っている。ぐにゃっと片方に傾いたりしていない。それでいて、柔らかい。この柔らかすぎない柔らかさは絶妙だ。平面は美しく平面だし、縁は内角九十度の縁として、くっきりと際立っている。

 そしてこのさいころは、どれもみな透明だ。完璧な透明さとは言えないかもしれないが、曇った様子がいっさいなく、すっきりと気分爽快に、軽やかに華やいで透明だ。容器の台座やテーブル・クロスの模様が、ジェロのさいころをとおして透けて見える。そしてライムあるいはライム・レモンのあの緑色を、なんと表現すればいいか。野菜の緑色を大地に根ざした究極のリアリズムの緑色だとすると、ジェロの緑色はその対極にあるものだ。虚空の果てに築かれた虚構の先端にある、フィクションという幻を結晶にした、どこにも存在しない噓のきわみの緑色、とでも言えばいいか。

 炭水化物。砂糖。食塩。蛋白質がほんの少々。栄養としてはこれだけで、カロリーはあるかなきかの、ごくわずかなものだ。だからジェロの透明な緑色のさいころは、そのすべてが虚構なのだと言っていい。しかし具体的な質量はあるのだから、ぎりぎりのところで現実とかすかにつながりつつも、それ以外の部分では虚構のみと接している、という理解のしかたのどこにも無理はない。このようなジェロのさいころを、子供の頃から現在にいたるまで、ハワイでしか食べないけれど、僕はたいそう好んでいる。食がその人を作るなら、ジェロはどんな僕を作ることに貢献したのか。

底本:『白いプラスティックのフォーク──食は自分を作ったか』NHK出版 2005年


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2020年6月3日 07:00
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