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ジャニス、たしかに人生はこんなものなんだ 3

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ー 3 ー

 助手席の回転椅子をうしろにむけ、ジャニスは体を投げ出すようにしてすわっていた。高いヘッド・レストとひじかけが両側についたそのキャプテンズ・チェアは、こんなふうにすわると居心地がいい。

 椅子の背が、フロント・グラスに向いていた。時速七十マイルで走るヴァンの外は、ネヴァダ州からカリフォルニア州にむかう、荒野の中のハイウエイだ。

 空が気ちがいじみて青く、白い雲が残酷に鋭く光る。さしつらぬくような熱い陽光が、荒野の上に乱舞した。ハイウエイの行手は、かげろうの海に溶けこんでいた。

 エンジン・フードからの照りかえしに、運転しているフル・ティルト・ブーギ・バンドのケン・ピアスンは、濃いサングラスの下でさらに目を細く保ったままだった。

 ヴァンの中は、エア・コントロールがきいていた。荒野のまっただなかの、小さな別世界だ。

 厚いカーペットを敷いたヴァンの中には、スーツ・ケースやバンドの荷物が、ごたごたと入れてあった。

 いちばん大きいスーツ・ケースによりかかった私は、フロアの中央にすわりこんでジャニスを見上げていた。

 ジャニスは、黒いケープを肩にはおっていた。ケープの裾から、しみのたくさんうかんだ白くて太い腕がのびていて、ふくらんだ丸い指がウイスキーのポケットびんを持っていた。

 私の頭上ごしに、後部ドアのガラスをとおして、ジャニスの視線は外にむけられていた。さきほどすれちがった対向車が、後方のかげろうの中に消えたころだ。沈んだ表情で、ジャニスは外を見ていた。

「なんの話をしていたかしら」

 ふと、ジャニスがそう言った。そして、視線を、ゆっくり私にもどした。

「ハイスクールのことです」

 私が、答えた。

「勉強をしなくなった、というあたりでした」

「うん」

 両手の中のウイスキーびんを、ジャニスは見た。

「学校の雰囲気が耐えがたかったし、フルタイムで勉強しなくても卒業できることは確実だったから、勉強しなくなったの。さぼりはじめた」

「なにをしてたのですか」

「アルバイトを、ちょっとやったことがある。ウエイトレス。それに、町の映画館の切符売り場でも仕事をした。夕方になると、ポート・アーサーのビートニクたちのたまり場になってるコーヒー・ショップへ寄ったり」

「自分で描いた絵がいくつか壁に飾ってあった店ですね」

 ジャニスは、うなずいた。

「うたいはじめたのは、このころなのよ」

 ウイスキーのポケットびんを顔の前で振ってみせ、

「ソプラノだったの。フルートみたいな。声がつぶれる前だったし、うたいかたもオーソドックスだった」

「フォーク・ミュージックのブームがはじまる直前ですね」

「フォーク以前は、ビートニクたちはプログレッシヴ・ジャズを聴いてた。ロックンロールなんて、馬鹿の見本。フォークになってからは、フォークに乗りかえたの。レッドベリーのレコードなんか、そのころはじめて聴いた。ほかの人たちはキングストン・トリオがひいきだったけど、私はオデッタ」

「オデッタの真似がうまかったそうですね」

「オデッタとジーン・リチー。そっくりに真似してうたうことができたわ。聴いた人たちも、そっくりだと言ってた」

「ハイスクールを卒業したのが、ちょうどそのころですね」

「卒業は、一九六〇年の五月」

「大学へは進んだのですか」

「ラマー・ステート・カレッジ」

 このカレッジは、テキサス州のボーモントにある。地元の青年たちを、石油精製に関連した仕事につかせるための教育をほどこすカレッジだ。若い女性たちは、ここを出て学校の先生や看護婦になる。

「あんまり気分は進まなかったけど」

 ポート・アーサー・カレッジでもいくつかコースをとり、オフィス・マシーンの扱い方を学んだという。

「ヒューストンのパープル・アニヤン・コーヒー・ショップで数日間、大酒を飲んだことがあった。病院にかつぎこまれたのよ。腎臓がおかしくなってた。精神分析医にもかかったわ」

「絵は描きつづけましたか」

「トミー・ストーファーという、新しくできた友だちの絵を見て、私は絵を描くのをやめる決心をしたの。自分は絵を描くことに関して天才的な才能は持っていない、という事実がはっきりわかったのよ。最高の存在になれないのだったら、やってもしようがないと思った」

「ハイスクールをおえてもポート・アーサーにいつづけるのは、大変だったでしょう」

「一九六一年の夏に、ロサンゼルスへいったのよ。母の妹がロサンゼルスに住んでたので、何週間かそこに居候して、ロサンゼルス電話会社のキー・パンチャーの仕事が見つかってから、ヴェニスのアパートに移ったの。ビートニクたちがたくさん住んでたとこだわ」

「そのとき、いくつだったのですか」

「十八」

「ヴェニスのビートニクたちは、どうでした」

「とてもよかった。でも、私はポート・アーサーに帰り、一九六二年の夏まで、そこにいたの」

 ジャニスが人前ではじめてうたったのは、彼女がヴェニスから帰ってきた直後の、新年のことだった。ボーモントのクラブで、うたったのだ。このころすでに彼女はベッシー・スミスのレコードを聴いていた。当時のボーモントの人たちにとって、ブルースとは、白人女性ジャズ歌手のクリス・コナーやアニタ・オデイの歌だった。

 人前でうたったジャニスの歌に対する人々の反応は、皆無に近かった。だが、それにめげることなく、ボーモントのハーフウェイ・ハウスとヒューストンのパープル・アニヤン・コーヒーショップで、ジャニスはうたいつづけることになった。

「銀行のコマーシャルをつくって、テープに吹きこんだのよ。ウディ・ガスリーの『ジス・ランド・イズ・ユア・ランド』のメロディをつかい、歌詞は銀行のコマーシャルになるように文句をかえて替え歌みたいにして。私にとっての、はじめての録音が、これ」

 →〔全4回〕

『アップル・サイダーと彼女』角川文庫 1979年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』太田出版 1996年

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1979年 『アップル・サイダーと彼女』 アメリカ エッセイ・コレクション ジャニス ブルース 片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』 音楽
2016年1月21日 05:30
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