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ジャニス、たしかに人生はこんなものなんだ 1

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 古風で頑丈なその玉突き台は、徹底的に使いこまれたものだった。横が四フィート、縦が八フィートの台をとりかこんでいる分厚い木枠には、長い年月にわたってたくわえてきた小さな傷やへこみが無数にあり、煙草の焼けこげの跡が、いくつも黒く焼きこまれていた。すっかりはげ落ちた塗料のかわりに、しみこんだ手あかやよごれが人の体や服でみがきあげられ、鈍く光沢を放っていた。

 緑色のフェルトにも、煙草でつくられた黒い小さなこげ跡がいくつかあった。なにか飲み物をこぼしたらしいしみが、フット・スポットを中心に広がっている。そのむこうの、ポケットのそばにある黒いしみは、ひょっとしたら血だ。

 玉突き台は、板張りのフロアの上に置かれていた。しっかりした造りのフロアは、玉突き台を水平に支えていた。こてんぱんに使いこまれた台なのだが、フェルトに破れはなく、クッションの弾性はしっかりしていた。フェルトの下のスレートは、正しく水平だ。

 台の上に、天井から低く照明がコードで吊り下げられ、傘におおわれた百ワット電球が緑色のフェルトと、その上に散らばっているポケット・ビリヤードの玉を、きれいに照らしていた。

 薄暗い、がらんとした四角い大きな部屋だ。この玉突き台の両どなりに、一台ずつ、おなじくポケット・ビリヤード用の台があった。その二台は照明が消され、薄暗いなかにひっそりとしていた。

 フロアにひいてあるオイルのにおいが、かすかに漂っていた。濃い褐色に仕上げた板張りの壁には、大小さまざまの水着美人やヌードの美女たちの写真が、押しピンでとめてあった。裸の胸や太腿、尻などが、薄暗いなかにたくさん見えた。

 ジャニスは、玉突き台のむこうにまわった。右手に持ったキューの尻をフロアに突き、玉の配置を彼女はながめた。1から15まで番号のついた十五個の玉を、白いキュー・ボールを使って1から順にポケットに落とすゲームをやっていた。1から6までをジャニスは連続して落とした。今度は、7の玉だ。

 フット・スポットの左側に、黒地に白で7と番号の入った玉が、とまっていた。その後方にすこし離れて、キュー・ボールがレールに寄りぎみに位置していた。

 7の玉の左側にキュー・ボールを当て、右斜め前方のポケットに7を落とすことは、できなくもない。

 顔をあげたジャニスは、淡い紫色のサングラスごしに、私を見た。

「この玉を利用すべきかしら」

 14番の玉をキューの先端で示して、ジャニスが言った。7番の玉の前方に、三インチほど左に寄って、白地にグリーンのストライプの入った14番の玉があった。

「7番のセンターに当てて、7番を14番からカロムさせれば、まっすぐに7番はポケットに入るかしら」

 ポケットに落とさなくてはならない7番の玉を、キュー・ボールでじかにポケットに送りこむのではなく、前方にいる14番の側面にいったん7番を当て、そこからはねかえさせてポケットに落とそうというのだ。

 キュー・ボールを7番に当てるときも、7番を14番に当てるときも、玉にひねりをあたえる必要はなく、センターに当てるだけでいい。カロムの練習のためにつくったような、ごく定石的な配置だ。

 次の8番がどこにあるかをたしかめてから、ジャニスは玉突き台にかがみこんだ。レールに自分の左腰を軽く押し当て、左手をフェルトにつき、キューを構えた。狙いをつけた。

 狙いが正確であることは、台のこちら側にいる私からも、はっきりわかった。百ワット電球の明かりに、ジャニスの顔の左側が鮮明に照らされた。白い肌にぶつぶつと刻みこまれているあばたのひとつひとつに、くっきりと小さな影ができていた。

 白い手玉を、ジャニスはキューで突いた。玉のぶつかり合う小さな音がかさなり、7の玉は14から美しくカロムしてポケットの中央に入った。

「イエア、ザット・ワズ・ナイス」

 ひとりごとのように、ジャニスは言った。

 右どなりの玉突き台へ、ジャニスは歩いた。レールのまんなかに、ウイスキーのポケット・ビンが置いてあった。顎をあげてラッパ飲みし、ビンをレールに置きなおし、手の甲で唇をぬぐった。

 照明の真下にある8番の黒い玉を見つめたまま、ジャニスはその場に立ちつくした。飲みくだしたウイスキーが胃の中に広がりきったとたんに倒れるのではないかと思ってしまうような、不安定な立ちかただった。

 ヒールの高いサンダルに、脚にぴったりとした、はき古しのブラック・ジーンズ。紫色のTシャツ。ジーンズの腰が大きく張り出し、Tシャツの下の、豊かに丸くて重そうな胸のふくらみが、動くたびにゆれた。

 サングラスのすぐ上に、まっすぐな眉が八の字に尻さがりになっていて、長いばさばさの髪は中央で分けて両肩に垂れていた。

 玉突き台にもどったジャニスは、キューを構えて手玉にかがみこんだ。次の8番の玉は、横の中央のポケットに、ストレートに落とせる。

 ジャニスは、キューを突き出した。白い手玉を受けてはじかれた8の玉は、ポケットの左の端に当たり、はねかえった。狙っているときのラインどりは正確なのだが、キューを突き出すとき、腕に力をこめすぎる。必要以上の力をこめてキューを操ると、突き出しの瞬間に狙いが狂う。ジャニスのくせだった。簡単なショットで、よくこんなミスをおかす。ごく軽く当てればそれで充分なのだが、ジャニスにはそれができない。力いっぱいに突いてしまう。

 私が玉を落とす番になって、ジャニスは再び喋りはじめた。

 →〔全4回〕

『アップル・サイダーと彼女』角川文庫 1979年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』太田出版 1996年

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2016年1月19日 05:35
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