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ある夏の日のアイディア。一本の川をふたりで縫いあげる。物語のための、ささやかな体験。

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 ある夏の日、僕は友人といっしょに地図を見ながら、相談した。ふたりでオートバイをつらね、どこをどう走ったらいいだろうかという相談だ。いろんなアイディアが出つくして、最終的にきまったのは、この川に沿って走ってみよう、ということだった。地図のなかから選び出した一本の川を、その源流から最終的な河口まで、オートバイでたどりつつ走ってみようというのだ。

 源流がある山のふもとの村で、僕は友人と落ち合った。二台のオートバイは、夏の日のなかを、その川の源流をめざして、山裾を登っていった。源流には、思いのほかあっけなく、到達することが出来た。これがやがてあの川になるとは、とうてい想像もつかないようなたたずまいで、源流は静かにささやかに、そしてさすがにきれいに澄んで冷たそうに流れていた。

 その冷たい澄んだ水で水浴びをし、さあ、みそぎはすませた、などと言いながら、源流の流れに沿って、下っていく。最初に出会う橋は、人がひとり歩いてやっととおれるような吊り橋だったりする。

 その吊り橋のまんなかへ出ていき、ふたりで川の流れを眺めていると、新しいアイディアがわいてくる。その川が、たとえば南から北にむけて流れているとするなら、オートバイでも渡れる最初の橋を起点にして、僕はその橋を西から東へ渡り、友人は東から西へ渡る。そしてそのまま、ふたりはふた手に別れ、次々にあらわれるであろう橋を、二台のオートバイの軌跡で一本の川を両側から縫いあわせるように、走っていくことを思いついた。

 最初の橋を僕が西から東へ渡ったら、次の橋を僕は東から西へ渡り、友人はその逆のルートを走る。そのような走りかたを河口まで規則的にくりかえし、一本の川をふたりがかりで縫いあげていく。その川を共通の中心にして、似ているようでじつは似ていない、まったく別々の体験を、僕と友人のふたりは楽しむことが出来る。

 どこかの橋のまんなかで、ふたりはすれちがうかもしれない。河口にかかっている最後の橋で、落ち合おう。一本の川をめぐって、ふたりがどのような体験をするか、落ち合ったのちに語り合おう。そんな約束を交わして、次のコンクリート製の橋の上で、僕と友人は左右に別れた。橋は、いくつもあった。そしてその橋をひとつずつ渡るたびに、川の表情は微妙に変化していった。橋を十本も渡ると、川を中心にした風景は、これがおなじ川だとはとうてい思えないほどに、大きく変化していた。

 ひと息に渡ってそのまま後方に置き去りにしてしまう橋もあれば、たもとで、そしてまんなかあたりで、停止してつくづくと風景を眺めたくなるような橋もあった。夜になるまでに源流から河口まで走りきってしまうという計画だったから、ひとつの場所に長い時間とどまっていることは出来なかったけれど、ある一定以上の速度で走り抜けることによってこそ見えてくる景色というものがあるし、受けとめることの出来る感銘というものもあるのだと、そのときの走りをとおして、僕も友人も、知ったのだった。

 いまでも、その川は流れている。流れにかかっている橋の数は、増えただろうか。景色は、さまざまに変化しているにちがいない。友人は、ゴルフにいく途中であのときのあの橋を久しぶりで渡った、懐かしかった、などとゴルフ場のあるホテルから絵葉書をくれたりする。

底本:『永遠の緑色──自然人のための本箱』岩波書店 1990年

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1990年 『永遠の緑色』 アイディア オートバイ 片岡義男エッセイ・コレクション『彼の後輪が滑った』 物語
2016年8月20日 05:30
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