アイキャッチ画像

ふたりで語り合う物語。記憶のなかの、過ぎ去った夏。──(4)

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

彼女「ついでだから、女性にまつわる話を、もうすこし聞かせて」

彼「もう何年もまえ、ある年の夏。僕はオートバイで、そして彼女はオープンにしたコンヴァーティブルで、かなりの距離をいっしょに走った。はじめの日は快晴の真夏の日だった。じつによかった。二日めは曇って、午後から雨になった。走っていく僕たちのうしろから、雨雲が追いかけてきた。なんとか振りきろうとしたのだけれど、追いつかれてしまった」

彼女「雨のなかを走ったね」

彼「僕はオートバイだから、ずぶ濡れ。そして彼女は、オートバイの僕に合わせて、オープンのまま走ってくれた。だから彼女も、ずぶ濡れになった」

彼女「美しいわ。小説みたい」

彼「いまとなっては、ほぼ完全に小説だよ。物語だよ。ずぶ濡れになった僕たちは、知らない小さな町のはずれにあった神社の境内で雨やどりをした。大きな樹があり、その樹の下は雨がかからなかった。濡れた髪をとかすためのブラシで、彼女が髪をうしろにむけてときつけたときは素敵だった。それまで一度も見たことのない、精悍な彼女だった。夏の薄いドレスは濡れて体にはりつき、裸も同然なのさ。これも、じつによかった」

彼女「いつ頃の物語なの?」

彼「僕が大学生の頃。そして彼女は、当時の僕にとって、年上の大人の女性だった」

彼女「その女性は、その後どうなったのかしら」

彼「僕は知らない」

彼女「残念です」

彼「残念と言えば、もっと残念な物語だってあるんだ」

彼女「聞かせて」

彼「これは誰にも語らず、僕ひとりのものとして、しまいこんでおきたかったのに」

彼女「公開して」

彼「おなじく僕が大学生の頃の話だよ。夏にオートバイでひとり旅をしていて、ある町のあるところで、おなじくひとりで旅をしている女性と知り合った。旅先から絵葉書を送りますという約束をして彼女の住所を教えてもらい、僕はその住所宛てに、いろんな場所から三枚の絵葉書を書き送った。夏の終わりに自宅へ帰ると、その絵葉書が三枚とも、戻って来ているのさ。宛先に尋ね当たりません、という郵便局のゴム印が押してあった」

彼女「どうしたのかしら」

彼「そういう住所は、実在しなかったらしい」

彼女「まあ」

彼「素敵な女性だった。その絵葉書を、いまでも僕は持っている」

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『彼の後輪が滑った』太田出版 1996年


1990年 1996年 『永遠の緑色』 ふたりで語り合う物語。記憶のなかの、過ぎ去った夏。 エッセイ・コレクション オートバイ 会話 彼女 片岡義男エッセイ・コレクション『彼の後輪が滑った』
2016年10月18日 05:30
サポータ募集中