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五つの夏の物語|2

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 インスタマティックの夏にしようか、それともコパトーンの夏にしようか、といま僕は迷っている。昔のコパトーンのサンタン・オイルの香りは、まさに夏の日の香りだった。その年の夏に使ったコパトーンのプラスティックのボトルを、秋も深まりきった日の午後、ふと手にして蓋を取り、鼻先に近づけて香りをかいでみる。とっくの昔にすべてどこかへかき消えたあの夏が、そのコパトーンの香りのなかに凝縮されている。

 コパトーンの夏。早くも失われた夏。帰ってくることのない夏。ボトルの底に残ったサンタン・オイルの香りを頼りに、遠い彼方から呼び寄せ思い起こす、センティメンタルな追憶の夏。失われた夏のベスト・スリーのなかに、コパトーンの夏はかならず入る。そしてインスタマティックの夏も、おなじベスト・スリーのなかに入る、と僕は思う。

 だからここでは、インスタマティックの夏、という種類の夏について書いておこう。インスタマティックとは、かつてコダックが製造し販売していた、大衆向けの簡便で安価な写真機の総称だ。歴史は長い。だから機種の数も多い。いろんなのがある。中古カメラ店のウインドーやケースの片隅に、いまでは千円から三千円ほどで、ならんでいる。

 昔のは手にするとずしりと重く、直線と平面だけによる造形は、かつてアメリカによくあった造形そのもので、なかなかの雰囲気をしている。かたちにひかれてインスタマティックを集めている人もいるほどだ。一九七〇年代にはプラスティックの軽いボディというよりもただの箱で、126というカートリッジに入ったフィルムを入れて裏蓋を閉じ、巻き上げてフィルムの数字を裏蓋の小さな窓から確認する。あとはファインダーからのぞいて、シャッターを押すだけ。僕が愛用した最後のモデルのシャッター音は、いまも記憶に残るパカーンという音だった。

 二十四枚撮りないしは十二枚撮りで、画面は正方形。これがよかった。それに昔は現像も焼き付けも、いまよりはるかに丁寧でしかも精度が高かった。強い光を順光で受けている被写体を撮ると、じつにきれいなプリントを手にすることが出来た。

 二十代後半の、さらにその後半、つまりそろそろ二十代も終わりに近い年の夏、そしてその夏の後半のさらに後半、ということはお盆のまんなかあたり、真夏の峠を向こう側へ越えたばかりの、見事にきまった夏の晴天の日、朝から周囲はなぜか静かであり、その静かさを受けとめている僕に、その日はなんの予定もなかった。

 ひとりで過ごすのが正解の日だと、なんとなく感じた僕は、夏の陽ざしのなかへ、ふらっとさまよい出た。片手にはなぜかインスタマティックを持っていた。駅前の写真店でフィルムを一本だけ買い、インスタマティックのなかに入れた。

 最初に撮ったのは、坂道の下にある小さな橋のたもとに咲いていた、まっ赤な夾竹桃のある光景だった、ということをいまでも僕は覚えている。盆休みともなると、当時は東京のまんなかでも、それにふさわしく静かにひっそりとしていた。

 そのひそやかな静かさのなかを、強く透明な夏の陽ざしに導かれるかのように、僕はどこへ向かうでもなく、なにを求めるでもなく、ひとりでただ歩いた。そしてときどき、インスタマティックで写真を撮った。バス停でひとり日傘をさしてバスを待っていた姿のいい若い女性の、きれいな水色のハイヒール・サンダルの足もとを撮ったのも僕は記憶している。

 そのようにして撮った一本のフィルムを、秋が深まるまで僕は忘れていた。現像に出すと、失われて久しい夏が、小さな正方形のプリントで二十四枚、僕の手もとに戻ってきた。自室で一枚ずつデスクにならべては、視線によるあの夏の再訪を、僕はひとり楽しんだ。

底本:『坊やはこうして作家になる』水魚書房 2000年

シリーズ・エッセイ|五つの夏の物語|

7月29日|五つの夏の物語|1


8月13日|五つの夏の物語|2


8月16日|五つの夏の物語|3


8月17日|五つの夏の物語|4


7月30日|五つの夏の物語|5


2016年8月13日 05:30
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