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ロバート・ジンママン(1)|エルヴィスから始まった

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ー1ー

「レコーディングのとき、ボクは、ミュージック・スタンドに、火のついたタバコを一本、のせておく。そして、それを見ながら、うたう。そうすると、安心できるのだ」
 

ー2ー

ヤーン・ウエナー「ナッシュヴィル・スカイラインについての批評は読んだでしょ? 誰もが、あなたのシンギング・スタイルの変化について、語ってますよ」

ボブ・ディラン「ボクのシンギング・スタイルにそれほどの変化はないんだよ。ほんとのことを言うとね、ボクはタバコをやめたんだ。タバコをやめたら、声がかわってね。かわりようがあんまり激しいので、ボク自身、信じられなかった。ほんとだよ。タバコをやめてごらんよ(笑い)、そうすれば、カルーソみたいにうたえるようになるから」
 

ー3ー

 一九四一年五月二四日、ミネソタ州デュリュース生まれ。育ったのはヒビングという、鉄鉱石を掘り出す町で、人口は一万八〇〇〇。カナダ国境から七〇マイル。五つ違いの弟がひとりいる。
 

ー4ー

 ボブが一〇歳のとき、父親のエイブ・ジンママンはピアノを買った。自分の弾きたいものがすぐに弾けないのでボブは練習を一度であきらめたが、やがて独習でピアノ、ハーモニカ、ギターをこなせるようになり、ピアノではロックンロールばかり弾いていた。
 

ー5ー

 ボブ・ディランは、一九五五年、一〇歳のときはじめて家出をし、一八歳で最終的に故郷をあとにするまでに、五回、家出をしたといわれている。しかし、ヒビングのフェルドマンズ・デパートメント・ストアでパートタイムの売りことして働いている金髪の美しいミセス・ジンママンによると、息子のボブは家出などしたことは一度もなかったという。
 

ー6ー

 ジンママンというユダヤ系の名をディランにかえたのは、詩人ディラン・トーマスにあやかってのことだと信じられている。いまではディランは正式の名だ。しかし、ディランは、ディラン・トーマスにあやかったことを否定し、ネヴァダの賭博場で働いているおじさんにディロンという男がいて、その名からヒントをえた、などと言っている。ディランにはいまひとりの男の子供がいて、その名はジェス・バイロン・ディランという。

「ジンママン、という名がまったく好きじゃなかったのよ。ディランは、母の結婚前の姓だとボブは言ってたけど、それがほんとじゃないことは、みんな知ってたわ」

(エレン・ベイカー。ミネソタ大学でディランが知りあった女性)
 

ー7ー

「ハワード・ストリートをふたりで歩くのよ。ボブはタイトなジーンズをはいて、両手をポケットに入るだけ深くねじこんで、クリッパとかほかのレコード店に私をつれて入るの。ジーンズはいて生意気な薄笑いうかべて店員にちかづき、その店になんかありっこないことがわかってるレコードを、ありませんかって訊くの。店員は、リトルなんですって、とか、ファッツだれ、とか訊きかえしてくるわけ。店員がもうちょっとで怒りだすところまで、ボブはそれをつづけるの。そして、店を出ていって大笑い」

(エコ・スター・ヘルストロム。ヒビングでの、ボブのハイスクール時代のガールフレンド)
 

ー8ー

 奨学金を得てミネソタ大学に入った。すぐに寮を出てダウンタウンに部屋をかり、ミネアポリスのコーヒーハウス「一〇時の学者」でギター、ハーモニカ、歌をやりはじめた。一夜で二ドルの報酬。五ドルにあげてくれ、と要求し、クビになった。一九六〇年の一二月にミネソタ大学を中退し、ロックンロールをやるため、ニューヨークに出た。フェビアンとかフランキー・アヴァロンとかのロックンロールが最盛のときで、ディランのための場所はどこにもなかった。だから、ディランは、グリニジ・ヴィレジに入り、フォークソングをうたうことになった。
 

ー9ー

 自分の最初のレコーディングはビッグ・ジョー・ウイリアムズとともにおこなわれたと、ボブ・ディランは言っている。ヴィレジのゲルデス・フォーク・シティでうたっていたブルース歌手ヴィクトリア・スパイヴィにボブが会ったことからこのレコーディングはうまれた。スパイヴィはウイリアムズとともにレコーディングすることになっていて、若いディランにアイドルとともに演奏するチャンスをあたえたのだ。レコードになっていないのが二曲あるが、『スリー・キングス・アンド・ザ・クイーン』スパイヴィLP1004(ウイリアムズ・ルーズヴェルト・サイクス、ロニー・ジョンソン、ヴィクトリア・スパイヴィ)で、二曲が陽の目をみている。レコーディングは一九六一年、発売は六四年。ディランは『ウイチタ』でウイリアムズにハープでバックをつけ、『この世の頂上に坐って』では、ディープなブルースのバックアップ・ヴォーカルをおこなっている。

 「ボビーがニューヨークに来たとき、ウディ・ガスリーの歌なんかうたっていなかった。あれはもっとあとになってからだ。はじめは、ハリー・ベラフォンテをやっていた」と、ニューヨークのフォークの古参が言っている。かくて『ミッドナイト・スペシャル』ハリー・ベラフォンテ、RCA・SP2449、が一九六二年の五月にヒューゴ・モンテネグロのプロデュースによって発売され、ボブ・ディランは、タイトル・テューンの『ミッドナイト・スペシャル』でハーモニカを吹いている。

 自分の最初のLPが発売される直前、ボブ・ディランは、コロムビアから出たキャロリン・ヘスターの最初にして唯一のLPで、彼女のバックをつとめた。キャロリン・ヘスターは、いい女なのだがどうしようもなく才能に欠けていて、いまではキャロリン・ヘスター・コアリションという「ロック・グループ」をつくっている。このLPは『キャロリン・ヘスター』(コロムビア1796)で、ボブ・ディランは、ハーモニカ。

 昔のエレクトラの「ブルース・プロジェクト」(いまある同名のグループではない)のEKS7264にも、あきらかにボブ・ディラン(ボブ・ランディ、という別名で)が加わっていて『ダウンタウン・ブルース』でピアノを弾いている。

(『ローリング・ストーン』グレイル・マーカス)
 

ー10ー

 バディ・ホリーやボビー・ヴィーのグループに加わり、ロックンロールの演奏旅行に出ていた、というウワサがある。ディランは、ホンキイ・トンクふうなロック・ピアノを、うまくこなす。
 

ー11ー

 グリニジ・ヴィレジのマクドゥガル・ストリートには、イスラエル・ヤングのフォークロア・センターがあった。フォークソングに興味を持つあらゆる人たちの集会所のようなところで、歌手もよくやってきては自由にギターを弾き、うたった。

 ボブ・ディランも、ここに出入りした。かわいらしい感じだった彼はまず好感を持ってうけ入れられ、シンギング・スタイルとともに、音楽的、文学的才能は、誰の目にもとまった。

 イスラエル・ヤングやロバート・シェルトンのあとおしで、ディランは、ゲルデス・フォーク・シティで、オーディション的にうたった。客の反応は、たいへん好ましいものだった。

 一九六一年五月、ミネソタ大学のフーテナニーに参加。九月、『ニューヨーク・タイムズ』に、ロバート・シェルトンによる、PRにちかいような記事がのった。
 

ー12ー

「ヒーローとしての野球選手たちの消滅とともに、ハックルベリー・フィンが現代に生きかえった。ギターを持ち、河のかわりにハイウェイを、どこか遠くにむかってひとりいく。ハックルベリー・フィンは、バッド・ボーイだ。フォーク・シンガーも、プロテストによって社会にたてつく一種の悪役である。フォーク・シンガーは、少年たちのヒーローになった」

(チェスター・アンダスン)
 

ー13ー

「ボブがウディ・ガスリーをアイドルにしていたという話しは、ほんとよ。ニューヨークへいってウディに会うんだって、しょっちゅう言ってたもの。ボブがハーモニカを手に入れたころのことね。たとえばパーティでお酒を飲むでしょ。ボブが酔うと、誰かが、ボブ、ウディが外にいるよ、キミに会いたいってさ、と言うの。そうするとボブは、よろけながら立ちあがり、たまには大声で、いまいきますよ、ウディ、いまいきます、って叫びながら外へ出ていくの。あまりいいジョークじゃないけれど、これをすごく面白がった人たちもいたのよ」

(エレン・ベイカー)
 

ー14ー

 一九六三年。

 ニューヨークのタウンホールでのコンサート。

 エド・サリヴァンのテレビ・ショウ出演の交渉がもちこまれた。ボブ・ディランがうたうつもりでいたジョン・バーチ・ソサエティをテーマにした歌にテレビ局からクレームがつき、ディランはゆずらず、ショウへの出演は、とりやめになった。

 ニューポート、フリーボディ・パークでのニューポート・フォーク・フェスティヴァル。土曜の夜のフィナーレでは、三万六〇〇〇の観客のまえにバイエズやジャック・エリオットたちによってひっぱりだされ、『風に吹かれて』をともにうたった。

 そして、カーネギー・ホールでのワンマン・コンサート。
 

ー15ー

「ギターはあればいつでも弾くけれど、歌はうかんでくるときに書く。一度にぜんぶ。一度にみんな書けなければ、結局はダメなんだ。だから、いちばんいい歌は、モーテルの部屋とか自動車のなかとかで書ける。一時的な場所だね。書かざるをえなくなるから。というよりも、歌を書くことに無理にでも入っていかせてくれるから。そんな場所が」
 

ー16ー

 ある記者会見で。

 記者「映画に出演なさるそうですね」

 ディラン(真顔で)「ええ、ボクは、ボクの母親役を演じます」

 ディランは、シュールなユーモリストだ。
 

ー17ー

 「アメリカの国旗には、赤いストライプがあることを、ボクは発見しました」

 赤いストライプとは、アメリカの日常語法では「共産主義、共産主義的なもの、共産主義者」というような意味を持つ。
 

ー18ー

 ディランがコンサートまわりをやっていたころは、ロード・マネジャーと共に、双発の一三人乗りの飛行機で近距離をとび、長距離は民間航空のジェットだ。五人のバックアップ・バンドとひとりのサウンド・マンも同行する。三万ドルかけて特注したサウンド・システムは、二台のトラックで、楽器とともに、はこびまわる。会場の音響効果がわるいと、サウンド・マンはひどい目にあう。
 

ー19ー

 ディランのはじめの大きなヒット『風に吹かれて』は、一〇〇人ちかくの歌手たちによってレコードになっている。絶叫ゴスペルのザ・ステイプル・シンガーズからマレーネ・デートリッヒまで。商売、とはこのようなことをいうのだ。
 

ー20ー

 アメリカ人たちは、なにかというとTシャツをつくる。ミッキー・マウスのTシャツはまだ売れている。しかしディヴィー・クロケットのTシャツはもうなく、いまではスパイロ・アグニューのTシャツが売られている。ボブ・ディランのTシャツは、つくられたのだろうか。つくられなかったにちがいない。
 

ー21ー

 「他人のために歌をつくるのはもうやめだ。自分の内部から歌をつくっていきたい」

 これは、一九六四年の発言だ。
 

ー22ー

「イギリスの演奏旅行から帰ってきて、ボクはそれまでやっていたことをやめてしまった。ひとつのパタンにはまりこんでいたからだ。前半がフォーク、後半がロックのコンサート。アンコールを二度うけてひっこむ。ボクは、自分で自分をコピーしている自分を発見した」
 

ー23ー

 一九六四年の五月にボブ・ディランはイギリスで演奏旅行をおこない、成功をおさめた。
 

ー24ー

 一九六五年七月二五日。ニューポート・フォーク・フェスティヴァル。自分のステージの前半を、ボブはフォークソングでとおした。後半は電気ギターに持ちかえ、ポール・バタフィールド・ブルースバンドとともに、ステージにでた。

 観客の反応はひどく否定的で、ピーター・ヤロー(PPMのひとり)のとりなしでギターをアクースティックにかえ、ディランは泣きながら『すべては終った、ベイビー・ブルー』をうたわなければならなかった。

 九月。フォレスト・ヒルでのコンサートでも、ロックをやるディランは罵倒されたが、こんどはニューポートのときのようにステージからひっこんだりせず、うたいとおした。
 

(2)につづく。

(『エルヴィスから始まった』1994年/『ぼくはプレスリーが大好き』(1971年)改題 *青空文庫のテキストを用いて作成しました)

今日の一冊|romancer-books04|『エルヴィスから始まった』

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blog170102|エルヴィスから始まった|ロマンサー文庫04|公開]2016年4月より木曜に掲載してきた『エルヴィスから始まった』(『ぼくはプレスリーが大好き』改題)を電子書籍として無償公開しました。

エルヴィスから始まった|気になるタイトルを選んでみてください。

第1章|ミシシッピー州東テュペロ


第2章|心が爆発する


第2章|トータルな体験と目覚め|
   1|ロックンロールは「生き方」だ
   2|ティーンエイジ・アメリカ
   3|いつラジオの音量をあげたか?


第4章|カントリー・ミュージック|
   1|アパラチアのストラデヴァリアス
   2|エレクトリック・ギター
   3|真実としての日常生活
   4|バーミンガムに歩いて帰る
   5|ヒット
   6|マーティン・フラットトップ・テイクオフ


第5章|ブルース|
   1|ブラック・アメリカン
   2|ミスター・ブルース
   3|ブルースマン
   4|アメリカの革命
   5|白人にブルースがうたえるか?


第6章|ロックン・ロールとカウボーイ・ブーツ


第7章|なぜアメリカに「NO!」というのか?


第8章|1960-1970 アメリカ
   1|「いろんなことが同時におこる」ボブ・ディラン
   2|歌になにができたか?
   3|ビートルズはつまらない
   4|単純なものと複雑なもの
   5|ロバート・ジンママン
   6|ヒッピー・ムーヴメント
   7|LSDとマリワナの迷信
   8|FUCK NOW!
   9|フィルモア
  10|ウッドストック
  11|「頭にエサをやれ」(ジェファスン・エアプレーン『ホワイト・ラビット』)
  12|LOVE


第9章|ミシシッピー河により近く


第10章|ELVIS IS BACK


エルヴィス・プレスリーの物語


角川文庫版・あとがき


1960年代 1971年 1994年 『ぼくはプレスリーが大好き』 『エルヴィスから始まった』 エルヴィス・プレスリー ボブ・ディラン 青空文庫 音楽
2016年4月4日 05:30
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