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LOVE|エルヴィスから始まった

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8 1960―1970 アメリカ

〈12〉 LOVE

 一九六五年四月一四日のワシントン・デモで、ボブ・パリスは次のような言葉を自分のものとしてしゃべることができるまでになっていた。

「ミシシッピーは、モラルのかがり火的なシンボルではない。ミシシッピーは、私たちにとって、鏡でなければならない。その鏡のなかに、アメリカがどのように映っているかを、正確にみきわめよう」

 前の年、一九六四年に、ミシシッピーに入っておこなった公民権運動のための体験をとおして、ラディカルな若者たちは、もっともいけないのは結局のところアメリカそのものである事実を、文字どおり身をもって認識した。

 SDSは一九六二年にミシガンで、SNCCは一九六〇年にアトランタで発足した。アイゼンハワー時代には火が消えていたアメリカのラディカリズムは、一九五八年の選挙をきっかけにニューレフトとして活動をはじめ、ケネディ時代に入って、活発になった。ケネディやニューフロンティアが持っていた限界についてはすでに書いた。しかし、ケネディは、アイゼンハワーにくらべればはるかにましだった。アイクは、ゼンマイを巻いても八年間はじっと動かずにいるゼンマイじかけの微笑する人形、と言われていたのだから。

 SDSは一九六四年のバークレーでのフリー・スピーチ運動を機に活動の舞台を大学にかえし、独占私企業や資本主義への単なる入口でしかない大学に抗議することをとおして、たとえば一九六八年四月の全米学生ストライキのようなかたちで、アメリカの現体制すべてとの対決にむかっていった。

 SNCCも、全アメリカを相手にまわすことにおいては、SDSとおなじまったくあたらしいアメリカン・ラディカルだった。六四年のミシシッピー体験、あくる年のセルマ行進がいずれもアメリカ側からの強硬な抵抗と妨害によって失望にかわったとき、まるでそれをみはからってでもいたかのように、公民権法が成立した。

 公民権法の成立は、黒人問題がひとまず大きく解決しはじめたような錯覚をアメリカにあたえ、ワッツの暴動で反黒人的な感情がべつなかたちであらたにアメリカン・ホワイトたちのあいだに、うえつけられた。

 公民権法など、実際には成立してもしなくても、黒人たちの状態はすこしもかわらなかった。黒人の投票権の行使はありとあらゆる策を用いて妨害されていたし、貧困とのたたかいを宣言したジョンソンは、軍備には八〇〇億ドルをさきながら、貧困対策には一五億ドルしかまわさなかった。そしてヴェトナムでは、自由世界を守るためと称して、戦争をエスカレートさせていた。アメリカの偽善がアメリカの内部で巨大に制度化されてしまっている事実はすでに誰の目にも明らかであり、この事実を足がかりにして、ブラック・パワーがSNCCのなかから生まれていった。

 一九六六年五月、ナッシュヴィルの会議で、ストークリー・カーマイクルが登場したのだ。

 カーマイクルは、公民権運動に参加している白人たちに、次のように忠告した。

「諸君は諸君がかえるべきところにかえって、そこで組織活動をやるがよい。その場所が諸君にとっては現実であり、そこの現実をかえていくことができるのは諸君だけなのだ」

 逆にひっくりかえした「人種主義」ではないか、という批判はまったくあたっていない。アメリカはもはや完全にあてにならないので、いまのアメリカ以外にもうひとつ、黒人だけのアメリカをつくろう、ということだ。白人と黒人との調和的統合は、最善のことがなされたとしても、これまでどおりの、一寸きざみの現状改良主義でしかない。

「黒人と白人リベラルとのちがいは、朝おきたときにまずなにが目にはいるかのちがいだ。我々はシェアクロッパーの小屋をみるのだが彼らはセントラル・パークをみる」

 せまい意味での白人排斥主義ではなく、黒人と白人との、根底的部分での相違の認識から原動力をえた「黒人たちを掘りおこす」ための決意だった。

 すこしずつおこなわれる現状の改良を否定するブラック・パワーは、黒人だけのものではなく、白人のニューレフトにも共通してみられる、完全に新種の本能的な戦術だ。

 白人ニューレフトは、白人中産階級の出身だから、これまでどおりのアメリカの理想を追って出世主義にかたむいていくことはたやすくできるし、そこでの成功は、保証つきにちかい状態であった。しかし、ニューレフトは、そのアメリカ的成功物語の主人公になるのを自らやめ、アメリカのなかにあるファシズム的資本主義の非人間的な部分すべてに対する批判本能として、登場した。

 進歩途上のものをさらに進歩させていく、あるいは不備な点を改良させていくという姿勢の、これまでの急進主義者たちとは完全に異質であり、本能的にあるいは印象的に嫌悪したもの全体を拒否し批判するという、不思議な感性の持主たちだった。ひとつの定まったイデオロギーは持たず、さまざまなものがごったに混合していて、考え方は、わるく言って幻想的、よく言って抽象的であり、リーダーは持たず、全員が参加する共同体の雰囲気があり、組織的であるよりは無秩序のなかからなにかを創造していく態度だった。すぐれた点をいくつかにしぼってえらびだすならば、ものの考え方の抽象性、全員の直接参加、漸進主義の否定、誰にでも参加できる戦術の採択、などだろう。

 いまのアメリカにかわるもうひとつまったくべつなアメリカを、現体制とはかかわりあわないところにつくろうとすることはアメリカのつくりなおしと基本的にはおなじであり、このようなものの考え方は、ニューレフトの中核をなす学生たち以前の世代には、想像もつかないことなのだ。

 ある新しい感性に支えられて、ごく抽象的なところから自分たちのイズムをつかまえてきて、そのイズムを日常的な現場で抵抗手段にかえていくという、このラディカリズムのなかの新しさは、ニューレフトの世代が不況体験を持たない事実からくる心理的なぜいたくさに根ざしている。

 一九二九年にはじまったとされているあの不況は、結局のところ解決されることなくアメリカ資本主義の所有物となった。社会のつくりがまちがっていたから不況がきたのだが、もちろんそのようには解釈されず、政府の統制のしかたがいけないからだということにされ、戦争で不況が表面的に解決された事実は個人の次元にまでひきのばされ、経済的な失敗はすべて個人の責任であり、失敗したくなければ努力しなければならない、ということになってしまった。

 不況に少年時代をすごしたアメリカ人は、五〇歳前後までに、三種類の戦争を体験させられた。そして、戦争のたびに、簡単に言うならば、自分の住んでいる社会に対する正しい認識が遠いものになっていった。

 つまり、生きていくうえでの絶対的な前提として、彼らには生存競争があった。生存とは「仕事」を手ばなさずに維持することであり、「仕事」に対しては、創造的な熱意よりも、やがて自分の手からその仕事がなくなってしまうのではないか、という恐怖のほうがさきにたった。生存とは、恐怖においかけられることだった。そして、急激に変化する社会は、自分たちの理解をこえたものを次々に生み、オートメーションとサイバネーションで、「仕事」はどんどんすくなくなっていった。たとえば、一九五四年には四〇〇人の手をかけてつくられていた自動車のカービュレーターは、わずか一〇年後の一九六四年では、一〇人の職工がいれば足りるところまでにきていたのだ。

 不況は、アメリカ人に恐怖をうえつけ、アメリカ資本主義は、この恐怖感情を好きなようにあやつることを学んだ。法と秩序、のようなもので、なにごとも理解できていない社会をひとつに安定的にまとめあげる錯覚をあたえて大統領になったのはニクソンであり、彼にあやつられた声なき多数は、もっとも密度のたかい恐怖を持った不況世代を中心にしている。

 経済的な成功のための努力、ということの矛盾に気づいたのは、不況による恐怖を持たない、文字どおり豊かな世代の若いアメリカ人たちだった。

 矛盾は、ごく単純なものだった。自分が努力をしてかせげば、そのとばっちりでかせげるものもかせげなくなる人がどこかにいるはずだ、ということなのだ。彼らの発想の根源は具体的ではなく、私企業のあまりにも多くが個人の悲劇を前提にしている、というような抽象的なところにある。たとえば生命保険は、人が死ぬことを前提にしてさかえているではないか。悲劇を資本にした商売の最大のものは、戦争だろう。

 ニューレフトが、漸進的改良主義をとなえなかった事実は、後世の歴史家によって、アメリカにとっての非常なる幸せであったととらえられるはずだ。ようするに諸悪の根源は、アメリカにおいて独特の進展をみせた資本主義なのだから、その枠の内部でほころびをつくろってみてもなにごともはじまらない。非人間的なものをとりはらうには、アメリカのすべてをトータルに否定しなければならなかった。

 この事実を、SDSのグレゴリー・カルヴァートは、次のように表現した。

「革命運動とは、人間の持っている可能性と抑圧されている現実との間の矛盾を知覚することから生まれる自由のための闘争だ」

 いまのアメリカを否定しくつがえすためには、アメリカの構造に即した現実的な闘争がなされなければならない。一九六六年二月一日、北カロライナ州の大学生四名によってはじめられた、レストランのコーヒー・カウンターでのシット・イン(坐りこみ)は、現在のアメリカがかかえている問題の核心を、抽象的にだが、みごとについていた。

 レストランでのシット・インは、黒人を差別することに対する本能的な義憤によって動かされた抗議運動なのだが、人種差別の単なる撤廃ではなく、そのような人種差別がおこなわれているアメリカの一部分をとおし、アメリカ全体を批判し否定することであった。そうでなければ、あのようにシット・インがみじかい期間に急激にアメリカ各地にひろがるはずがないのだ。

 政府に訴えたりはたらきかけたりしても、なにごとも解決されるみこみはない、という正しい認識から出た必要最小限の効果を持つ抗議手段が、坐りこみだった。政府をあてにしない点において、シット・インは、いまのアメリカの外につくられるべき、代議制の二党にかわる第三党の予言となりえた。

 ニューレフトの非暴力思想は、シット・インにもっともよく表現された。人間はただそこに生きて存在するだけでひとつのモラル上の価値を形成する、というような考え方がニューレフトの非暴力主義の根底にあり、SNCCのテーマでは、

「愛は非暴力の中心的モチーフである」

 となっている。

 この「愛」については、生ぐさい誤解がされやすい。アメリカの若いラディカルが言う「愛」とは、人間関係が持ちうる最高のユートピアの、仮定された姿なのだ。社会的には、国の経済全体への、全員による直接参加によって、この「愛」は支えられる。

 経済全体への直接参加には、次のようなすばらしく単純な哲学がある。

 人間の経済活動は、地表における肉体的な存在を維持するためであると同時に、人間が持っているはずの創造的なエネルギーをできるだけ多くその人からひき出すためでもなければならない。

 ようするに、経済活動が、つまりもっとも一般的には、会社につとめて給料をもらう作業が、個人の存在を決定的に左右しているのであり、だからこそ個人は、自分の経済活動の成立基盤であるその国の経済全体に対してなんらかのかたちで影響力を持たなければならないとする考えかたなのだ。

 この哲学を、単なるユートピア幻想にとどめているかぎり、これからさきなにごとも解決されないはずだ。

 マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、次のように言っている。

「アメリカの生産機構はたえず豊富な食糧をつくりだすので、私たちはますます大きい倉庫をたて、余剰分を貯蔵するため毎日一〇〇万ドル以上をつかわねばならない。どうしたらよいのか。ここでも答は単純である。夜、空腹のまま床につく数百万の神の子たちのへこんだ腹の中に、無料で余剰食糧を貯蔵することができるはずなのだ」

 はずなのだ、ではない。現実に、しかもごく簡単に可能なのだ。一〇〇年前のアメリカでは、総人口の八〇パーセントちかくが、農業にたずさわっていた。しかし、農業労働が機械化されたため、現在では、農業労働人口は、総人口の六パーセントくらいまで落ちている。六パーセントというわずかな人たちが農業によって食糧を生産し、その生産されたものを九四パーセントの人たちに売って利益があがるだけではなく、なおまだ農業生産物には余剰があるのだ。

 ストークリー・カーマイクルも、とっくにおなじことに気づいていた。

「政府はUSスティールやジェネラル・モーターズなどの大企業をすべて接収すべきだ。一〇〇人以下のバカな人間が国の産業の六割を統制しているなどという状態をやめさせたい。大農場はすべて分割して農場で働くものは誰でも自分の土地を持てるようにするべきだ」

 キングもカーマイクルも、生産手段や資源の開放のほうから、もうひとつべつなアメリカを考えている。黒人問題をとおして彼らが考えているアメリカのつくりなおしは、アメリカの経済機構つまりここまで進んできた資本主義の再編成なのだ。たとえば個人的な経済活動の結果である個人の収入は、その人の生産的な努力だけが生みうるものだと考えられていた。しかし、ほんのわずかな人々が生産にたずさわることによって大多数の需要をみたしうる社会の利益分配組織をつくりかえてしまうと、収入はかならずしも生産的努力の結果ではなく、むしろ人が生まれたときから死ぬまで自動的に常に存在する当然の権利にちかくなる。生産とか労働とかが、これまでとは完全にちがった意味をやがて持つようになるであろうことは、マルクスでさえも「富の尺度になるのは労働時間ではなく自由時間のほうだ」と、早くから予言していた。オートメーションとサイバネーションが生産し労働するのを、少数の人々がただ管理すればよい社会では、労働と私有財産の神聖さに土台をおく資本主義の根底は、やはり考えなおされなければいけないのだ。

 オートメーションやサイバネーションは、進歩とか繁栄とかの影にかくれて静かにゆっくりとやってくるから、それが資本主義の改革のために用いられるチャンスは、いまよりもはるかにすくなくなるかもしれない。私的な利益のみを追求する私企業は、生産という幻想をさらに自分の利益に帰結するよう操作するかもしれない。絶対に必要なものが広くいきわたってしまった市場は、気まぐれな消費を得意とするようになるから、消費の「自由」は広告によって巧妙にあやつられつづけるだろう。

 しかし、私企業が私的な利益エゴのみを追うことによって、公共の場たとえば地球をどれだけ傷つけてきたかは、すでに人々の気づくところとなった。これをきっかけに、公的な利益に関する思想がかたちづくられていくと、人間の単なる経済活動と創造的活動とはやがて完全に切りはなされるはずだ。全体主義とかファシズムのようなものではなく、想像を絶してパブリックな計画経済や管理社会のなかでは、地球の上にいる人間グループに対して個人がどこまでエゴをすてることができるかが、神聖な労働とされる。一日八時間労働、といった意味での労働は、たとえば一生に一年だけ働けばよいとか、働く働かないは個人の自由ということになり、ごく単純な交代労働になってしまい、それにかわって重要問題としての創造的な意味での労働は、エゴに公共性を持たせるという至難事にむかい、そのためには現在の段階で考えられうるもっともパブリックな労働である教育が、つくりかえられなければならない。

[この項、了]

(『エルヴィスから始まった』1994年/『ぼくはプレスリーが大好き』(1971年)改題 *青空文庫のテキストを用いて作成しました)

今日の一冊|romancer-books04|『エルヴィスから始まった』

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blog170102|エルヴィスから始まった|ロマンサー文庫04|公開]2016年4月より木曜に掲載してきた『エルヴィスから始まった』(『ぼくはプレスリーが大好き』改題)を電子書籍として無償公開しました。

エルヴィスから始まった|気になるタイトルを選んでみてください。

第1章|ミシシッピー州東テュペロ


第2章|心が爆発する


第2章|トータルな体験と目覚め|
   1|ロックンロールは「生き方」だ
   2|ティーンエイジ・アメリカ
   3|いつラジオの音量をあげたか?


第4章|カントリー・ミュージック|
   1|アパラチアのストラデヴァリアス
   2|エレクトリック・ギター
   3|真実としての日常生活
   4|バーミンガムに歩いて帰る
   5|ヒット
   6|マーティン・フラットトップ・テイクオフ


第5章|ブルース|
   1|ブラック・アメリカン
   2|ミスター・ブルース
   3|ブルースマン
   4|アメリカの革命
   5|白人にブルースがうたえるか?


第6章|ロックン・ロールとカウボーイ・ブーツ


第7章|なぜアメリカに「NO!」というのか?


第8章|1960-1970 アメリカ
   1|「いろんなことが同時におこる」ボブ・ディラン
   2|歌になにができたか?
   3|ビートルズはつまらない
   4|単純なものと複雑なもの
   5|ロバート・ジンママン
   6|ヒッピー・ムーヴメント
   7|LSDとマリワナの迷信
   8|FUCK NOW!
   9|フィルモア
  10|ウッドストック
  11|「頭にエサをやれ」(ジェファスン・エアプレーン『ホワイト・ラビット』)
  12|LOVE


第9章|ミシシッピー河により近く


第10章|ELVIS IS BACK


エルヴィス・プレスリーの物語


角川文庫版・あとがき


1960年代 1971年 1994年 『ぼくはプレスリーが大好き』 『エルヴィスから始まった』 アメリカ ストークリー・カーマイクル ブラック・パワー マーティン・ルーサー・キング・ジュニア ワシントン大行進 公民権運動
2016年11月17日 05:30
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