アイキャッチ画像

ウッドストック|エルヴィスから始まった

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

8 1960―1970 アメリカ

〈9〉 ウッドストック

 金銭的な収益以外のすべてのものを無視しておこなわれた一九七〇年夏の、パウダーリッジ・フェスティヴァルは失敗という当然の結果だけを生んだ。

 コネチカット州ミドルフィールドにあるパウダーリッジは、ロック・フェスティヴァルのための場所としては理想にちかかった。スキーのための広いスロープを客席としてつかい、スロープの下にあるスキー・ロッジの屋根が、ステージになるはずだった。ロッジをこえたところには湖があり、起伏する周囲の山野は、キャンプに最適だった。ニューヨークから七五マイル、ボストンからは九八マイルなのだ。

 ジョセフ・ミドルトン以下一五名のプロモーター・グループによって計画されたこのフェスティヴァルは、はじめから地もとの反対にあっていた。コネチカット州から正式に禁止令がだされたのだが、プロモーターたちは強行した。客に約束されていたロック・グループは、ひとつもこなかった。禁止令がでた以上、でかけてみても無駄であることはわかりきっているからだ。禁止令に違反したという理由により、パウダーリッジへの電気の供給が断たれた。電気がなければ、アンプもつかえない。

 それでも、三万の人たちが、パウダーリッジにあつまった。二〇ドルのキップは、三万枚、売れたのだ。プロモーターたちがもっともおそれていたのは、ただで会場に入ってしまうゲイト・クラッシャーたちだった。ウッドストックは、はじめは入場料をとるつもりだったし、キップも売りさばいたのだが、現場では無料になってしまった。

 キップが三万枚も売れたところで、パウダーリッジのプロモーターたちは、「キップ売りきれ」を伝える広告を新聞にのせた。『ヴィレジ・ヴォイス』にのった広告には「キップは売りきれた。キップを持たない人たちは来てはいけない。キップのない人は会場には入れないどころか、半径五マイル以内にも入れないことになった。キップを持っていないかぎり、自動車を町に駐車することもできない。キップのない人たちは、ほんとに来てはいけない」というようなことだけが、ならべてあった。

 七月三一日から八月二日までの三日間、プロモーターたちはひとりもパウダーリッジに来なかった。キップ三万枚分の収益はあったのだが、プロモーターたちにとっては、これからがたいへんだろう。

 約束したロック・グループがひとつも来なかったのだから、キップを買った人たちには払いもどしをしなければいけない。スキー場の所有者たちは、ほかのロック・グループを急いで呼ぼうとしたため、コネチカット州の法廷を侮辱したかどで訴えられているし、禁止令の違反に対してはすでに一〇万ドルの罰金が決定している。プロモーターたちも、おなじようにひどい目にあうはずだ。

 大きなロックのコンサートは、あらゆる条件がそろって成功したとしても、興行的には複雑すぎて商売にならない。ウッドストックに便乗して映画フィルムでかせいだワーナー映画のようにでもしないかぎり、ロック・フェスティヴァルは、商売として手がけることはできない。

 成功させるためには、一年ちかい準備期間と、二〇ドルのキップを三万枚売ったくらいでは埋めることのできない投資が必要だ。会場にえらばれた地もとの市民が反対するだろうし、たとえ賛同されても、医療施設、電話、食料、飲料水、雨が降ったらどうするか、トイレなど、面倒な問題が数かぎりなくある。たとえば、推定入場人員数に対して用意されたトイレの数に文句がつくだけでも、そのロック・フェスティヴァルはもう中止されたも同然だ。フェスティヴァルの映画撮影権をプロモーターがだれかに売ったとして、予定していたタレントがひとつ欠けても、逆にプロモーターは映画権所有者から損害賠償を要求される。キップの売りあげ金が入りはじめてから準備にとりかかったパウダーリッジは、だから失敗して当然なのだ。入場料は無料にしてしまう覚悟がないかぎり、ロック・フェスティヴァルは成功しない。

 一九六九年一二月六日、カリフォルニアのオルタモント・レースウェイで、ローリング・ストーンズが無料のコンサートをひらいた。

 その年にアメリカ公演旅行をおこない非常な成功をおさめたローリング・ストーンズたちに対して、コンサートの入場料が高すぎるという批判が、いろんなところで出された。

 「人々が私たちのコンサートにいくらなら払えるのかわからないので、入場料についてはなにもいえない」

 と、ローリング・ストーンズたちは言っていたのだが、『ロサンゼルス・フリー・プレス』紙とのインタヴューで無料のコンサートの話が出され、それにローリング・ストーンズが賛意を示したため、ローリング・ストーンズはカリフォルニアで無料のコンサートを持つことになったのだ。

 はじめはゴールデンゲート・パークでおこなうはずだったのだが、反対にあい、結局、会場はデモリション・ダービーとドラグ・レースのためのレース場に決った。ガラスの破片がいたるところに散乱し、こわれた車がほうり出されたままという、ウッドストックとは正反対の、殺ばつとした雰囲気を持った場所だった。ウッドストックでステージをつくったチップ・マンクが下見をして、あまり気はすすまないがほかにないのでしかたなく会場として承知したのだった。無料コンサートのマネジメントはまったく無責任だったが、三〇万人もの人々があつまった。ローリング・ストーンズとステージとの警備には、ヘルズ・エンジェルズ(地獄の天使たち)が、あたった。五〇〇ドル分のビールを無料で飲ませてもらう、という報酬で、ヘルズ・エンジェルズたちはガードマン役をひきうけた。一九六五年にケン・ケイシーによってヘルズ・エンジェルズとヒッピー文化は結ばれていて、グレートフル・デッドのようなサンフランシスコのグループの警護役をそれまでもたまにおこなっていた。

 なぜだか会場の雰囲気はよくなく、ローリング・ストーンズがステージにあがったときは、彼らにむかって「おまえたちを殺してやる!」とステージちかくで叫んだ若者もいた。そして、ローリング・ストーンズたちが演奏しているときに、メレディス・ハンターという黒人青年がピストルをとり出してふりかざし、すぐにヘルズ・エンジェルズにおさえこまれ、そのうちのひとりによってナイフで刺されて死亡した。

 このオルタモントのコンサートが失敗した原因は、さまざまにあげられている。もっともいけなかったのは、入場無料というつかのまの事実だった。いまのコンサートだけが無料であるという事実は、ほかのすべてのコンサートが圧倒的に有料である事実を露呈していた。有料と無料のはざまから、いまの悪しき社会のしくみのすべてが、凝縮されたかたちで、一瞬、見えた。そして、その場にいたほとんどの人たちが、悪しき社会のしくみにふさわしい態度をとった。この態度のひとつのあらわれを、ティモシー・リアリイは、ステージのマイクのつかわれ方のなかにみている。ウッドストックでは、ステージのマイクは全員のコミュニケーションのために用いられたのだが、オルタモントでは、ステージから客を統制し命令する一方的な伝達にしかつかわれなかった、というのだ。

 無料だったウッドストックでも、スポンサーつきのフェスティヴァルが必然的に持つ搾取的な性格に気づいたアビー・ホフマンは、ステージにあがって「こんなフェスティヴァルはやめてしまえ」と怒鳴り、主催者たちからロック文化全体のための資金として一万ドルださせることに成功した。

 七〇年の七月にニューヨークのランダールズ・アイランドでおこなわれたニューヨーク・ポップ・フェスティヴァルのプロモーターたちは、フェスティヴァル計画が発表されるとすぐに、ロック文化の搾取反対を名目にいろんな条件をもちだしてくる人々の応対をしなくてはいけなかった。ブラック・パンサーの保釈金、黒人ゲットーに配る無料入場券、フェスティヴァルをうつしたヴィデオ・テープのコピーなどを、その人たちは要求したのだ。

 映画『ウッドストック』があげた収益を誰が最終的に手にすべきかをめぐって裁判がおこなわれているし、アメリカで『ウッドストック』を上映した映画館のいくつかに対してはピケットがおこなわれた。ひとり五ドルという法外な入場料に疑問を感じた人々が、入場者ひとりひとりに語りかけ、犠牲者として搾取に加担しないよう説得したのだ。

 ロック・フェスティヴァルの総体的な失敗は、ふたつのことを教えてくれている。

 ひとつは、ロック・フェスティヴァルは無料以外ではありえない、ということだ。無料のフェスティヴァルは、アメリカを支えている中間搾取的民主主義に根底から対立するものになりうる。さらに、いかなるかたちの企業もやがて持たざるをえなくなる公共への無料サービスの予言的な先がけにさえなりうるのだ。

 「どんなことをしてもカネはつくれるでしょう。私はハートを売っているのだから、彼らはカネを払うべきよ」

 と、ジャニス・ジョプリンは言うのだ。しかし、かつて彼女が属していたホールディング・カンパニーのリード・ギタリスト、ポール・カントナーは、次のように言う。

 「ロックのフェスティヴァルはタダであるべきだ。フェスティヴァルにはもう参加しない。そもそもの母胎である、日曜の午後の公園での無料コンサートにもどるのだ」

 これからさきのことを考えると、カントナーのほうがはるかに正しい。

 ロック・フェスティヴァルが教えてくれたもうひとつのことは、攻撃すべき目標をまちがえてはいけない、ということだ。映画『ウッドストック』は、たしかにボイコットに価するのだが、たとえばロックのレコードを売っているレコード会社の大手はそれぞれテレビ網を持ち、そのテレビは、戦争と深くかかわりあっている産業のコマーシャルによって成り立っている。だから映画『ウッドストック』をせめるまえにレコード会社やテレビを攻撃するのかというとそうではなく、アメリカが独立以来しずかにしかもアメリカの理想の樹立という美名のもとにおこなってきた、長い時間かけたもうひとつの革命に対して攻撃をしかけなければいけないのだ。ロックのフェスティヴァルがあろうとなかろうと、アメリカはとっくに「精神的にはファシストの国」(ドン・ヘックマン)ではないか。

 七〇年の夏には、シカゴでも無料のロック・コンサートがおこなわれた。これは、シカゴ市当局がたくらんだ面白いプロットだった。七月二七日、午後四時から、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンズが無料でコンサートをひらくという。ファミリー・ストーンズは、それまでに三度もシカゴでのコンサートをすっぽかしている。一〇万人ちかくの人々が、公園にあつまってきた。時間がきても、ファミリー・ストーンズはいっこうにあらわれない。ステージでは、ほかのグループが演奏している。数人がそのステージにあがり、スライを出せ、とさわぎはじめた。その数人に対して、ステージを降りろ、と命令する人たちがいて、この対立からさわぎは大きくなり、警官が仲裁にはいると、さわぎは警官にむけられ、パトロール・カーがひっくりかえされ警官が発砲するという事件になってしまった。この日、多くの人出が当然予想されていたにもかかわらず、警備にあたっていた警官の数は、おどろくほどすくなかった。この事件を理由に、シカゴ市でのロック・フェスティヴァルやコンサートは、そのすべてが禁止されることになった。

[この項、了]

(『エルヴィスから始まった』1994年/『ぼくはプレスリーが大好き』(1971年)改題 *青空文庫のテキストを用いて作成しました)

今日の一冊|romancer-books04|『エルヴィスから始まった』

rb_elvis_cover

blog170102|エルヴィスから始まった|ロマンサー文庫04|公開]2016年4月より木曜に掲載してきた『エルヴィスから始まった』(『ぼくはプレスリーが大好き』改題)を電子書籍として無償公開しました。

エルヴィスから始まった|気になるタイトルを選んでみてください。

第1章|ミシシッピー州東テュペロ


第2章|心が爆発する


第2章|トータルな体験と目覚め|
   1|ロックンロールは「生き方」だ
   2|ティーンエイジ・アメリカ
   3|いつラジオの音量をあげたか?


第4章|カントリー・ミュージック|
   1|アパラチアのストラデヴァリアス
   2|エレクトリック・ギター
   3|真実としての日常生活
   4|バーミンガムに歩いて帰る
   5|ヒット
   6|マーティン・フラットトップ・テイクオフ


第5章|ブルース|
   1|ブラック・アメリカン
   2|ミスター・ブルース
   3|ブルースマン
   4|アメリカの革命
   5|白人にブルースがうたえるか?


第6章|ロックン・ロールとカウボーイ・ブーツ


第7章|なぜアメリカに「NO!」というのか?


第8章|1960-1970 アメリカ
   1|「いろんなことが同時におこる」ボブ・ディラン
   2|歌になにができたか?
   3|ビートルズはつまらない
   4|単純なものと複雑なもの
   5|ロバート・ジンママン
   6|ヒッピー・ムーヴメント
   7|LSDとマリワナの迷信
   8|FUCK NOW!
   9|フィルモア
  10|ウッドストック
  11|「頭にエサをやれ」(ジェファスン・エアプレーン『ホワイト・ラビット』)
  12|LOVE


第9章|ミシシッピー河により近く


第10章|ELVIS IS BACK


エルヴィス・プレスリーの物語


角川文庫版・あとがき


1971年 1994年 『ぼくはプレスリーが大好き』 『エルヴィスから始まった』 アメリカ ウッドストック ロック・フェスティヴァル 青空文庫
2016年11月3日 05:30
サポータ募集中