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フィルモア|エルヴィスから始まった

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8 1960―1970 アメリカ

〈9〉 フィルモア

 ビル・グレアムは、キャピタリスト(資本家)あるいはエクスプロイター(搾取者)と呼ばれることがしばしばある。ニューヨークのマンハッタン、セカンド・アヴェニューにフィルモア・イーストを持っている。一九六八年に映画館を買いとって、東部におけるロックの聖地にしたのだ。サンフランシスコには、フィルモア・ウエストがあり、さらにブッキング・エージェンシーとレコード会社を持っている。週末には、ふたつのフィルモアが、それぞれ五〇〇〇ドルほどの純益をあげてくれる。

 ビル・グレアムは、一九三一年に、当時のロシアで、ウォルフガング・ウオロディア・グラジェンカとして生まれた。第二次大戦のときにベルリンからマルセイユまで逃げ、妹が栄養失調で死に、母はナチスのガス・チェンバーで殺された。ニューヨークに渡りアメリカ人になり、朝鮮動乱に米兵として参加し、ビル・グレアムという、あってもなくてもおなじような普遍性を持ったアメリカ人の名前にかえ、大学でビジネス管理の学位をとり、ニューヨークでタクシーの運転手をやり、ヨーロッパに旅行し、カリフォルニアで会社づとめと演劇の勉強を交代におこなった。グレアムは、俳優になろうとしていたのだ。

 一九六五年、彼は前衛演劇集団・サンフランシスコ・マイムトループのマネジャーをやっていて、その職を辞するにあたり、置きみやげとして、資金あつめのための興行をおこなった。ローレンス・ファーリンゲティ、ジェファスン・エアプレーン、ザ・ファッグスなど、多くの人たちをあつめ、ロックとLSDと愛のパーティをひらいたのだ。

 パーティは成功した。経済的な成功だけではなく、グレアムは、ロックと愛、そしてそのふたつあるいはLSDによってSTONEされた人々の心に、スリルをおぼえた。「私がそれまでに経験したもっとも美しい経験だった」と、グレアムは言っている。

 経済的な理由もあって、グレアムは六五年のうちにもう一度、おなじようなパーティを開いた。場所は、会場費を安くあげるため、サンフランシスコの黒人ゲットーのなかにあったフィルモア・オーディトリアムだった。グレートフル・デッドやグレート・ソサエティなど、サンフランシスコのロック・グループが参加し、大成功だった。そして、六六年になってから、グレアムは、ケン・ケイシーから、三日間にわたるトリップ・フェスティヴァルの主催を依頼された。LSDをつかわずにLSD体験を再現する混合メディアのショウだった。グレアムは、フィルモアを買いとり、そのショウをおこない、成功した。トム・ウルフによると、「このとき、ハイト・アシュベリーの時代がはじまった」という。

 ヴァン・ネス・アヴェニューとマーケット・ストリートの角にべつな場所をみつけてうつり、そこをグレアムは、フィルモア・ウエストとした。そしてそこが、ポップ・ポスターやサイケデリック・ライト・ショウの発生地になった。

 グレアムの考えによると、ロックの才能を持っている人たちのために、その才能をもっとも発揮しやすい場所をあたえ、同時に一般大衆とその才能を接触させるのが彼の仕事なのだ。フィルモアの電気装置はたしかに最高で、イーストのは、音量はマキシマムで一二五デシベルに達する。ミュージシャンたちがおかねにこまれば、無利子でカネをかしている。バークレーのピープルズ・パーク(人民公園)事件では警察につかまった学生たちの保証金としてつかうために、一万八〇〇〇ドルの資金をつくった。

 しかし、グレアムがロックやライト・ショウでおかねをもうけていることはたしかで、このたしかな部分にたてついてくる人たちがいるのだ。

 ライト・ショウのアーティストたちが、六九年にまずチェット・ヘルムズのファミリー・ドッグをピケットし、ファミリー・ドッグを開店休業の状態においこんだ。そして、ビル・グレアムに対しては、ライト・ショウのアーティストに支払う報酬の新たな基準を、一方的にしかも書面で通告してきたのだ。

 話しあいに応じたグレアムは、数時間にわたって彼らにつきあい、最後に自分の信ずるところをのべた。はじめのうちはおだやかにしゃべっていたのだが、やがて激してきたグレアムは、

「私はアメリカのビジネスマンだ! 私のカネは私がかせいだのだ!」

 と怒鳴り、フィルモア・ウエストは借用契約がきれたらハワード・ジョンソン・チェーンのモーテルになるはずだ、と語った。フィルモア・ウエストがなくなってしまうとピケットどころではないので、問題は立ち消えになった。ファミリー・ドッグはその後たちなおり、経費をさしひいたのこりの利益を、参加者全員で平等分配するというやりかたでロックやライト・ショウをおこなっている。

 すぐれたロック音楽を提供することで非常にいい気分になっているとき、「もうけたね」と人に言われるのがグレアムはつらいという。ロックを楽しみつつも、人々の頭にあったのは結局は俺のかせぎか、とグレアムは落胆するのだ。

 クリエイティヴな、しかも無形にちかいながらも一種のコミュニティのための仕事と、単純なかねもうけとが、どこでどのように接しあうのかという面白い問題をはらみながらすべてはまだ未解決だ。

[この項、了]

(『エルヴィスから始まった』1994年/『ぼくはプレスリーが大好き』(1971年)改題 *青空文庫のテキストを用いて作成しました)

今日の一冊|romancer-books04|『エルヴィスから始まった』

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blog170102|エルヴィスから始まった|ロマンサー文庫04|公開]2016年4月より木曜に掲載してきた『エルヴィスから始まった』(『ぼくはプレスリーが大好き』改題)を電子書籍として無償公開しました。

エルヴィスから始まった|気になるタイトルを選んでみてください。

第1章|ミシシッピー州東テュペロ


第2章|心が爆発する


第2章|トータルな体験と目覚め|
   1|ロックンロールは「生き方」だ
   2|ティーンエイジ・アメリカ
   3|いつラジオの音量をあげたか?


第4章|カントリー・ミュージック|
   1|アパラチアのストラデヴァリアス
   2|エレクトリック・ギター
   3|真実としての日常生活
   4|バーミンガムに歩いて帰る
   5|ヒット
   6|マーティン・フラットトップ・テイクオフ


第5章|ブルース|
   1|ブラック・アメリカン
   2|ミスター・ブルース
   3|ブルースマン
   4|アメリカの革命
   5|白人にブルースがうたえるか?


第6章|ロックン・ロールとカウボーイ・ブーツ


第7章|なぜアメリカに「NO!」というのか?


第8章|1960-1970 アメリカ
   1|「いろんなことが同時におこる」ボブ・ディラン
   2|歌になにができたか?
   3|ビートルズはつまらない
   4|単純なものと複雑なもの
   5|ロバート・ジンママン
   6|ヒッピー・ムーヴメント
   7|LSDとマリワナの迷信
   8|FUCK NOW!
   9|フィルモア
  10|ウッドストック
  11|「頭にエサをやれ」(ジェファスン・エアプレーン『ホワイト・ラビット』)
  12|LOVE


第9章|ミシシッピー河により近く


第10章|ELVIS IS BACK


エルヴィス・プレスリーの物語


角川文庫版・あとがき


1960年代 1971年 1994年 『ぼくはプレスリーが大好き』 『エルヴィスから始まった』 アメリカ ビル・グレアム フィルモア ロック
2016年10月27日 05:30
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