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ヒッピー・ムーヴメント|エルヴィスから始まった

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8 1960―1970 アメリカ

〈6〉 ヒッピー・ムーヴメント

 ヒッピー・ムーヴメントは、風俗的な現象ではなく、精神面での新しい運動だった。アメリカ社会が持っている精神的な貧困さだけではなく、アメリカのすべてを否定するアナーキーな精神運動であり、強力なリーダーもきっかけもなしに、自然発生的に生まれた。

 リーダーなしに自然発生したということは、アメリカ社会に対して若者が持っていた個人的な体験が、ひとつの思想として人と人とを結びつけあうだけの力を持ちうるまでに複雑にしかもかなり高度に抽象化されていたことを示している。多くの若者が、リーダーなしにおなじことをほぼ同時に感じたわけで、アメリカ社会の部分的な変化ではなく、トータルな否定をその若者たちが考えていた事実は、画期的なのだ。

 アメリカの社会は、その創生から現在に至るまで、まずなによりも「仕事」を最優先させてきた点において、軍隊の組織と酷似している。「仕事」優先の社会は「技術」を重んじ、生活が持つ機械的な面の改良の洗練度をたかめていくことが、アメリカ社会内でなしとげられる「仕事」の目的だった。このような社会のなかでは、文化と呼びうるものはすべて仕事に対してはあくまでも従の位置にあり、もっともわかりやすくいえば、文化は気晴らしのひとつにしかすぎなかった。文化が物理的な環境と密接につながっていないため、気晴らしはどこへいってもおなじような気晴らしであり、逆に、自分たちがいま存在している環境は、進軍していく軍隊にとってとおなじく、まったく一時的なものであり、いつすて去ってもかまわないものだった。アメリカの社会が結局は技術改良主義にとどまったことが一九六〇年代なかばにヒッピー・ムーヴメントを生んだのだ。

 技術改良主義が日常生活のなかでもっともひんぱんにその悪い面をみせるのは、豊かなアメリカ、という神話の権化にされている中産階級の生活においてだった。だから、アメリカ社会の偽善、不正直さ、物質主義、などに対して身をもって否定の考えをとった人間ヒッピーの本質的な部分を占める人たちの多くが、中産階級の子供たちであった事実は、当然のことだ。豊かさが手をのばせばすぐに届くところにあってはじめて、アメリカの豊かさが持つ悪に気づくのだろう。ヒッピーのなかに黒人はめったにみかけないし、物質的・経済的な豊かさがまだ自分たちの理想になっている中産階級以下のマイノリティは、ヒッピーに対して常に攻撃的だった。

 若者がヒッピー・ムーヴメントに加わった理由は、個人によってさまざまにことなるだろう。現在のアメリカを全面的に否定する新しい価値の創造が直接の動機になったと同時に、まだ限られた適応力しか持っていない不安定な若者にとって、ヒッピー・ムーヴメントは、居心地のよい聖域となってくれたかもしれない。学校が休みのあいだだけヒッピーとなる夏のパートタイム・ヒッピーも多かったし、ヒッピーであろうがなかろうがはじめから一種の精神異常のような人たちも、多かった。

 ヒッピー・ムーヴメントのもっとも大切な部分は、個人的な体験の抽象化にあった。風俗でも流行でもなく、LSDの幻覚や恍惚でも、単なる自由な愛でもないのだ。

 ヒッピーのグループは、たとえばサンフランシスコのハイト・アシュベリー地区やニューヨークのイースト・ヴィレジでの最盛期でも、非常にあいまいな組織だった。リーダーシップが明確ではないし、メンバーは常に変化していてそれぞれの役がはっきりせず、グループとして一貫することもなく、すぐに解体したりなくなったりした。

 このことには、ヒッピーが主張した、彼らの信念があきらかに影響をあたえている。合言葉のひとつであったLOVEは、最大限の愛を持った人間こそもっとも美しい人間だ、という考え方から出てきたものなのだが、結局はフィーリングとジェスチャと性的な自由さにとどまり、それらをのりこえたアクションにはならなかった。

 愛のフィーリングが身辺にみたされているだけで充分であると考えてしまい、愛に必要な責任遂行のための行動力のようなものは、Do your own thing のはきちがえによって、否定されていた。責任、義務、期待などすべてからはなれきったところで各自が自分をフルに表現すれば理想の世界ができあがるという、一足とびの観念世界だけのためにしかLOVEは存在しなかった。

 アメリカを全面的に否定していて、アメリカ政府とのかかわりあいなどまったく持とうとしなかったビートとおなじく不思議な非政治性あるいはアナーキズムに片方では支えられ、他方ではフィーリングとしての愛と薬品による恍惚境によって支えられていたため、ヒッピー・ムーヴメントは、ほとんどなにもなしとげなかった。LSDを服用すると得られる幻覚の世界は、なにか重要なことを達成したような錯覚をヒッピーたちにあたえた。

 この段階で、風俗あるいは現象としてとらえられたヒッピー・ムーヴメントは終ってしまった。生きのこってまだヒッピーをやっている人間たちは、もともとかなり重症のミスフィットであるうえに麻薬によってほとんどいつも錯乱状態にあるため、完全に自由な人間の末路の、ひとつの見本となっている。

 たとえば、サンディエゴからカリフォルニアの西側を北上していくUSハイウェイ101は、ヴェンテューラからサン・ルイ・オビスポあたりまでの部分がヒッピー・ハイウェイとして知られていて、ハイウェイを行動の拠点にして、一〇〇〇名ほどのヒッピーが、奇妙なノーマッドの生活を送っている。

 麻薬、食料、女性、金銭まですべてを共有し、基本的にはパンハンドリング(物乞い)と盗みによって生活を支えている。ハイウェイのほかの部分にいるヒッピーたちとは連絡があり、麻薬や女性を融通しあうのだ。

 ひとつの町でひとつの仕事をかかえて生きていくことのつまらなさと対比して考えるとたしかにすばらしい自由な生活で、寝袋さえあれば、栄養失調、性病、皮ふ病、麻薬常用による精神異常や虚脱症などになるのをいとわないかぎり、現金は一銭もなくても生きていける。

 風俗を生きのびたヒッピーは「フリー」の思想をへて「ヒッピーの葬儀」をきっかけに、いまのアメリカをすこしでもましなほうに方向転換させるため、かつては全面的に否定したアメリカ社会のなかに再びもぐりこんだはずだ。

「フリー」(無料)の思想は、ハイト・アシュベリーの時代に、ザ・ディガーズというヒッピー団体によってひろめられた。彼らはヒッピーたちのためにフリー・ストア(無料の店)を開き、金銭をまったく使用せず、物々交換あるいは無料で、衣服、食料、本、などを配布した。

 豊かさをすて、自らすすんで体験する貧困と、人間はすべてのものを分けあわなければいけない、という考え方を日常生活の現実のなかで支えるものとして、無料の思想は、ヒッピーの哲学をかためるうえで重要な役をはたした。一九六七年九月の『ロサンゼルス・フリー・プレス』には、次のような意見が発表されていた。

「アメリカ社会のジレンマから脱出するための唯一の道は、結局のところすべての人に一定の収入を保障することだ。それはどういうことかというと、店へ入って欲しいものを勝手に持ってこれるような時代へ、なるべく早くに移行していくことだ」

 このフリー・ストアの思想は、現実のアメリカ社会にあてはめられたときには、独占的私企業の横暴な利益追求とからみあわせて、グッド・プライス・ストア(適正価格の店)の思想にまで修正され、さらに自然食品や公害への運動につながっている。ノーマッドなヒッピーと、アメリカ社会のなかに帰ってアメリカを正面から相手にしはじめたヒッピーとの中間あたりに、ヒッピー・コンミューンが存在する。

 いまヒッピーのコンミューンは、都市のなかにあるものは除外して、アメリカに五〇〇はある。多くて五〇名ほどのヒッピーがひとつのグループをつくって、かつてのアメリカ・インディアンたちのような種族を形成し、山や畑のなかに土地を買い、そこに自分たちの手でテントをはり小屋をつくり、ごく初歩的な農耕と現体制の片すみでのアルバイト的な労働によって、自給自足の生活をしていこうというのだ。アポロが月に降りたとき、そのことをまったく知らないまま、粗末な野菜の収穫に歓声をあげていた若者たちが、アメリカにはいたのだ。

 しかしこのヒッピー・コンミューンも、成功させていくことはたいへんむずかしい。LSDがすべてである、というような状態でのコンミューンは、失敗が目にみえている。LSDよりも冬にそなえたマキ割りのための組織力と、グループのために自分のオナニスティックなエゴをあるていど埋没させる必要を学んだコンミューンもすでにあり、歴史を逆行させる実験のなかで、アメリカを相手にするための戦術的な思想が、かたちづくられつつあるのだ。

「ヒッピーの葬儀」は、一九六七年の冬に、ハイト・アシュベリー地区でおこなわれた。現象としてのヒッピーを、ヒッピーが自らほうむった儀式で、大きな火のなかで、ヒッピー・ポスター、ボタン、レコード、ヒッピーふうなレディメードの服などが、ヒッピーの本質とは関係ないものすべてが、焼かれたのだった。

 このときのヒッピーたちにとって、信念はすでにLOVEでも Do your own thing でもなく、「ムーヴメントはそれぞれの頭と手のなかにある。ここをはなれて、ほかの土地へいけ。散れ!」であった。

 ヒッピー・ムーヴメントはアメリカ社会の否定あるいはその内部での改革力であると同時に、きたるべきサイバネーション社会のなかでの大多数の人間のあり方を予言してもいる。いまの社会では「仕事」が主で「楽しみ」は従なのだが、これが逆転したとき、仕事をしなくてもいい長い期間を人間がどうやって毎日をなんらかの存在意義のようなものをもったうえですごしていくかに対する、初期的な回答であるのかもしれない。

 ゲイリー・スナイダーが言うように、サイバネーションの巨大な中心地以外はバッファローの遊ぶ草原になったとき、いまのヒッピーの放浪生活やコンミューンづくり、あるいは麻薬による錯覚の人生は、あらたな意義を持つ。だからヒッピーは、働かなくてもいい人、としての最前衛でもあり、この点でも充分に革新された人間であるのだ。

 ヒッピーは、ぜいたくなアメリカのなかでももっともぜいたくな人たちだった。ヒッピーの最初の聖地、サンフランシスコのハイト・アシュベリー地区は、一九六五年の秋から六六年のはじめにかけて、一〇〇〇名のヒッピーからなるコミュニティを持った。この地区は、ハイト・ストリートとアシュベリー・ストリートが交叉する点を中心に一〇〇ブロック平方ほどの広がりを持った土地だ。ダウンタウンからゴールデンゲート橋までの自動車による便をはかるため、この地区は、新設されるフリーウェイでつぶされることになっていた。ここにフリーウェイをとおすと、ダウンタウンからゴールデンゲート橋まで、自動車による所要時間が六分みじかくなるというのだ。

 フリーウェイの計画は、数年前から出されていた。周辺の人たちはフリーウェイに反対していて、一九六六年三月、フリーウェイ建設は中止にきまった。だが、フリーウェイをのがれるためにほかへ移転していった人たちはすでに多く、ハイト・アシュベリー地区は、そのために無人になった土地の中心だった。したがって家賃が安く、ヒッピーが住みつくには最適で、気候はよく、町の人たちは進歩的でヒッピーに思想的に共鳴してくれた。パーキング・メーターに二五セント貨をひとつ入れておけば、道路の駐車スペースに三〇分ねそべって陽にあたっていることもできた。

 最低限の生活は、物乞いだけでも確保できた。アルバイト的な仕事につくことによっても、最低生活の保証は手に入った。いまのアメリカでの、ひとりの生活資金は、一年に五〇〇ドルがギリギリだ。この金額は、郵便局でのもっとも簡単な職種への試験にうかれば、七時間労働の一か月で誰でもかせぐことができる。だから、一二名のヒッピーがコミュニティをつくれば、その一二名は、それぞれが一年にひと月だけ働けば全員が生活していけるのだ。

「フラワー・パワー」という、風俗ヒッピーすれすれのところにいるヒッピーたちは、ゴールデンゲート公園の花を摘んでは人々にくばった。ある日、パトロール・カーがやってきて、

「その花はすべての人たちのものだから、摘んでくばりたければ自分たちの花を植えなければいけない」

 と、ヒッピーたちをさとした。

 自分たちの花を植える運動は、たとえばあとになってバークレーの人民公園ムーヴメントにあらわれるのだが、これはもののみごとに弾圧されてしまった。

[この項、了]

(『エルヴィスから始まった』1994年/『ぼくはプレスリーが大好き』(1971年)改題 *青空文庫のテキストを用いて作成しました)

今日の一冊|romancer-books04|『エルヴィスから始まった』

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blog170102|エルヴィスから始まった|ロマンサー文庫04|公開]2016年4月より木曜に掲載してきた『エルヴィスから始まった』(『ぼくはプレスリーが大好き』改題)を電子書籍として無償公開しました。

エルヴィスから始まった|気になるタイトルを選んでみてください。

第1章|ミシシッピー州東テュペロ


第2章|心が爆発する


第2章|トータルな体験と目覚め|
   1|ロックンロールは「生き方」だ
   2|ティーンエイジ・アメリカ
   3|いつラジオの音量をあげたか?


第4章|カントリー・ミュージック|
   1|アパラチアのストラデヴァリアス
   2|エレクトリック・ギター
   3|真実としての日常生活
   4|バーミンガムに歩いて帰る
   5|ヒット
   6|マーティン・フラットトップ・テイクオフ


第5章|ブルース|
   1|ブラック・アメリカン
   2|ミスター・ブルース
   3|ブルースマン
   4|アメリカの革命
   5|白人にブルースがうたえるか?


第6章|ロックン・ロールとカウボーイ・ブーツ


第7章|なぜアメリカに「NO!」というのか?


第8章|1960-1970 アメリカ
   1|「いろんなことが同時におこる」ボブ・ディラン
   2|歌になにができたか?
   3|ビートルズはつまらない
   4|単純なものと複雑なもの
   5|ロバート・ジンママン
   6|ヒッピー・ムーヴメント
   7|LSDとマリワナの迷信
   8|FUCK NOW!
   9|フィルモア
  10|ウッドストック
  11|「頭にエサをやれ」(ジェファスン・エアプレーン『ホワイト・ラビット』)
  12|LOVE


第9章|ミシシッピー河により近く


第10章|ELVIS IS BACK


エルヴィス・プレスリーの物語


角川文庫版・あとがき


1960年代 1971年 1994年 『ぼくはプレスリーが大好き』 『エルヴィスから始まった』 アメリカ ヒッピー・ムーヴメント
2016年10月6日 05:30
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