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歌になにができたか?|エルヴィスから始まった

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8 1960―1970 アメリカ

〈2〉 歌になにができたか?

 ルイジアナ刑務所から一九四〇年に出所してきたレッドベリは『グッドナイト、アイリーン』をレコードにした。一〇年後に、ザ・ウィーバーズが、おなじ歌でヒット・レコードをつくった。さらに一〇年ちかくあと、一九五八年、ザ・キングストン・トリオと名のる三人のアメリカの白人の若者が、南北戦争時代の歌をむしかえし『トム・ドゥーリー』としてヒットさせた。LPから一曲ぬいてシングルにしたもののヒットだった。

 あくる年、五九年、ニューポートのフォーク・フェスティヴァルでジョーン・バイエズがデビューし、モルモン・タバーナクル・クワイアの『リパブリック讃歌』がレコードになり、売れていた。

 六〇年にはジョン・F・ケネディが大統領になり、六一年にはボブ・ディランが、ニュージャージーのグレイストーン病院で死にかけていたウディ・ガスリーに会い、ニューヨークのグリニジ・ヴィレジでは、フォーク・シンガーたちによるワシントン広場使用禁止の通達が出され、フォーク・シンガーたちは抗議に立ちあがり、通達を撤回させることに成功した。

 六二年はピーター・ポール・アンド・メアリーのはじめてのLPが出た年だし、ABCテレビに『フーテナニー』という新番組ができた年でもある。

 六三年にボブ・ディランはニューポート・フォーク・フェスティヴァルでスターになり、ワシントン大行進にはジョーン・バイエズといっしょにディランも参加し『ウィー・シャル・オーヴァカム』とか『風に吹かれて』が、テーマ・ソングになった。そして、一一月二二日、ケネディ大統領が暗殺された。

 ケネディのニューフロンティアとフォークソングのブームがぴったりかさなっているのは、歴史のなかの偶然でもなく、この場かぎりのこじつけでもない。ふたつは、もともとおなじ性格を持っていたからこそ、かさなりえたのだ。

 ロックンロールで育った若者が大学生となり、現在の社会の複雑さや不安定さに目覚めてそれに嫌気をおぼえ、田園の単純で素朴な安定した価値を求めはじめた。そしてフォークソングはその要求にこたえ、同時に、その歌は、現在おこりつつあることの正確な描写であった。

 と、フォークソングのブームは、説明されてきた。大いにちがっている。

 フォークソングは、消極的には、ロックンロールに対する解毒剤であった。ザ・キングストン・トリオのいでたちは、髪型から白いスニーカーにいたるまで、ロックンローラーのように批難される点はすこしも持っていなかった。昔ながらのアメリカが持っている価値観の具体像のようだった。

 もうすこし積極的にみた場合のフォークソング・ブームは、アメリカ古来の伝統の再確認だった。フォークソングまでひっぱり出してきて、アメリカはいい国だ、とひとりで勝手に確認しなければならないところまで、アメリカは低下していたのだ。一九四九年に中国の革命が成功し、アメリカが中国という無限にちかい広大なマーケットを失ったとき、これの反動として、アメリカ国内では、共産主義者狩りがおこなわれた。中国を失ったショックは、ただちに国内での狂気にちかい威信がためを必要とした。

 アナロジーではなく、ほんとに同性質のことが、ブームとしてのフォークソングのなかに、はっきりとみつけだすことができる。

 「アメリカは目覚めて奮起しなくてはいけない」と、ケネディは説いて大統領になった。この言葉は、アメリカが世界のなかでいかに困った状態にあるかを、正直に告白していたのだ。ケネディは、アメリカのそのような状態を利用して、大統領になった。

 これからさきアメリカの国際収支はずっと赤字をつづけることがはっきりしはじめたのは、一九五八年ころだった。予算は、軍事費が七、内政費が三の比率で、ヴェトナム戦争での出費がさらに大きく食いこみ、ケネディが提案した減税とか低金利は、たちまちのうちに、高い金利と一〇パーセントの増税となってしまった。

 対外投資の利益は高く、第二次大戦後に過剰になったドルをばらまき、低開発国への投資とその投資圏につくる軍事基地によるなおいっそうの深入りとドルによる支配の完成をアメリカは目ざした。イランによる石油の国有化とイギリスのあいだに立ってイラン石油の支配権を握ったことなどは、ドル支配樹立の成功にかぞえられる。しかし中南米では失敗し、キューバでは革命が成功し、アフリカの新興諸国は独立をなしとげ、ヨーロッパではEECが力を得はじめ、ラオス、南ヴェトナムの重圧は、直接的にアメリカ中産階級や黒人の生活に悪い影響をあたえるまでになった。国内には、右翼の勢力がひろがっていった。対外的には軍事力を背後に持った孤立主義、国内的には、政府の干渉を許さない州権主義があり、ともに実現不可能なひどく矛盾したものなのだが、この反動勢力をひとつの影響力にしてしまうほどに、アメリカはおくれていた。

 ドルの力が、なくなりはじめた。国内では物価があがり、公定価格(一九三四年)をきめたときにくらべると四倍の値あがりなので、ドルの購買力は四分の一でしかない。この公定価格はドルのねうちをさげないため、一九三四年以来、保持されつづけた。海外では、国際収支の赤字を改善しようという方向にアメリカが出るととたんに、ドルの価格が低下し、ドルは有効な支払手段にはならなくなった。

 いまのアメリカ資本主義が海外での投資から利益をあげるには、ふたつの進み方がある。ひとつはヨーロッパへの投資で、ウォール街の金融資本に代表される、国際的には経済的な理由から安定的な平和を求めるグループだ。もうひとつは、低開発諸国に投資する石油利権グループで、経済のためには力ずくで押し進もうという考え方をする人たちだ。このふたつのグループは、海外での利益のみを目標に行動しているという点で共通し、世界征服からとてもいまとなっては手をひくことのできないアメリカをつくりだしている。

 この人たちがたとえばヴェトナム戦争に反対する場合は、ドル価格の低下をまねくほどの深入りに対して反対する場合にかぎられ、ドルさえたしかならば戦争は利益をあげる商売でしかなく、その商売がいまアメリカでは増税、物価の値上がり、インフレ、赤字財政、失業を生んでいる。アメリカの軍部は独占資本のいいなりだから、朝鮮動乱のきっかけやトンキン湾事件のような、戦争のでっちあげですら、自由にできるのだ。

 ケネディは、アメリカの若い革命を前進させるニューフロンティアの、伝説的な美しい悲劇の英雄とされている。これもまちがいだ。ニューフロンティアという架空の国(現実には、アメリカがドルで支配することを考えている海外の諸国)では平和部隊のような費用のかからないことしかできず、国内には軍事費の半分以下の予算しかふりむけることができなかった。ニューフロンティアは、たとえば『リパブリック讃歌』のなかのアメリカでしかなかった。現実には、どこにも存在しないのだ。

 ケネディ自身は、たしかにリベラルなのだが、この場合のリベラルは前進的な意味を持たず、トルーマン以来、アメリカのなかで戦争経済を前進させていく大統領のひとりにしかすぎなかった。

 自由放任の企業競争と、経済に干渉しない政府のなかで生まれたアメリカのリベラルは、不況で決定的に打撃をうけ、ニューディールで修正され、第二次世界大戦では政府の大きな力によりかかった軍事経済となり、これに反対する“ほんと”[原文では傍点]のリベラルは共産主義者にされてしまい、リベラルとはもはや名前だけで、ケネディは現実的にはアメリカを支配する保守的資本主義機構の、とりあえずの代弁者だった。次のジョンソンですら、テキサスがまだ農業国だった第二次大戦以前は、ニューディールを支持したリベラルだった。戦後、テキサスが石油工業地帯になると、すぐにそれと結びつき、ヴェトナム戦争をすすめながら骨抜きの公民権法に署名してみせるリベラルとなったのだ。ケネディはケネディ以上に保守的なアメリカによって殺された。キューバもヴェトナムも失業も、すべてケネディのせいなのだ、という判決がすなわち暗殺だった。

 このようなアメリカに対立する新しい価値として、キューバの革命とその成功をあげないわけにはいかない。ケネディの失策として伝えられているベイ・オブ・ピッグス事件はカストロが言ったように、「ハリウッドでも買わない」ような幼稚なプロットで、アメリカ政府の手ですすめられた。反カストロ革命軍としてアメリカによってしたてあげられた爆撃機がカストロ体制に攻撃をしかければ、それをきっかけにキューバ内部の反カストロ勢力がカストロを倒すために立ちあがる“はずだ”[原文では傍点]、というプロットだった。

 実際にやってみるとまったく逆の結果になった。アメリカは世界に対して信用を失い、キューバへのソ連による核兵器の持ちこみでフルシチョフに会ったケネディは、アメリカにかえると、庭に原爆用の防空ごうを掘れ、としかアメリカ国民に言えなかった。

 アメリカがなぜキューバにこだわるかというと、すぐ近くに社会主義国ができてアメリカの民主主義をおびやかすからでも、キューバでのアメリカ利権を確保しておきたいからでもない。

 キューバ革命の成功、およびその後にキューバでおこったことすべてが、アメリカの独占資本主義にとっては、都合のわるいことばかりだからだ。アメリカに利用されるだけに終始してきたラテン・アメリカの国々にとって、キューバはひとつの理想となっている。キューバの政治的、経済的な独立は民族解放の勝利だし、人種差別の徹底的な廃止は、アメリカの黒人に力づよい影響をあたえている。アメリカによるキューバの侵略は、中南米民族の現実を無視することであり、おなじことが中国の否認でもおこなわれている。自分の利益以外はすべてを無視することが、アメリカが海外で利益をあげるための唯一の道なのだ。

 すこしでも冷静に理論的に頭をはたらかすことのできる若者なら、アメリカはもうおそらくだめだろう、という事実が、おそくともケネディの死までには、わかっていなければならない。

 オートメーションとサイバネーションは人間を生産からきりはなしている。しかし、社会は、これまでどおりの鋳型を自分たちにあてはめようとする。自分たちが拒否している時代が、自分たちを追いかけてくる。ヴェトナム戦争での最大の被害者は若い自分たちだし、その次が、中産階級なのだ。農業を機械化して黒人を都市のゲットーに追いこみ、その黒人を白人の半値の労働力にしておきながら、オートメーションで次々に整理し、失業者にしていく。自分たちもまた白人失業者のなかでは最大のパーセンテージを示していて、失業者というよりも、労働力の世代交代がなかなかこないため、はじめから職のない、アメリカのなかでの異人種なのだ。豊かな社会のなかでアメリカの伝統の正統なにない手であったはずのホワイトカラー中産階級は、インフレ、物価の値上がり、増税、失業など、すべての被害をま正面からうけている。中産階級を支えていた価値観は、個人的な生活の不安をきっかけに、もろくも崩れつつある。

 ここで、自分たちは、なにをすればいいのか。

 ひとまず、全アメリカに対して、NO! と宣言する必要があった。そして、そこから、生産になんら関与しない新人種として大胆な冒険をはじめたのが、ヒッピーだった。

 「わが同胞であるアメリカ人諸君。諸君の国が諸君のためになにをなしうるかを問い給うな――諸君が諸君のためになにをなしうるかを問い給え」

 ケネディの就任演説中にあったこの有名な文句は、ほとんど意味を持っていない。勇気を持って、ひと言、「ノー!」と叫んだらそれで終りで、「諸君」はアメリカをどうすることもできないのだ。平和運動で「反戦フォークソング」をうたうことはできたが、ジェームズ・ボッグズが提案しているように「わが国のミサイル産業労働者にミサイル生産の停止を呼びかけ、わが国の水兵たちに艦船出動の停止を呼びかけ」なければならなかったのに、それはしなかった。

 トピカルな歌が、プロテストも含めてなんらかの政治的な意味を持ってうたわれることは、「反戦フォークソング」にはじまったことではなく、古い記録では、一七三四年、政治的な意味を持ちすぎるからという理由で、ある種の歌がニューヨークで抑圧されている。一九三〇年代の労働者運動のときにも歌がつかわれた。

 一九六〇年代のはじめのフォークソング・リヴァイヴァルは、労働者の闘争意識の高揚にあわせて自然発生した抗議運動である、とする説明は、楽観的にすぎるし、ピート・シーガーが言うように、ギターで弾きうたうフォークソングは、日曜大工とおなじ、「あなたにもできる」ことのひとつだった、との説明も、やはりあたっていない。おなじギターでもロックはできない人たちが、もっと簡単なフォークソングにむかった、とみるべきだろうし、古い歌やすでに意味の失われてしまっているアメリカ民謡を、キングストン・トリオのようないでたちでうたうことは、ポップ・アートであり、そのポップ・アートは、アメリカをもはやどうすることもできない人たちの、自分自身に対する嘲笑あるいは、アメリカ全体に対してしかけたサタイアであった。バリー・マクガイアの『全壊の夜』は「詩」としての評価はしないとして、あのときのアメリカが自らを置いていた状況のなかでは、故意に意図されたとしか思いようのないほどに、見当ちがいだった。ピーター・ポール・アンド・メアリーがテレビの『フーテナニー』でうたう『この国はあなたの国』は、バリー・サドラーの『悲しき戦場』やデイヴ・ダドレイの『ヴェトナム・ブルース』とおなじく、反戦どころか戦意を逆に高揚させるタカ派の音楽であった。

 歌には、なにもできなかった。ニューフロンティアは、うたい終られると同時に消えていく、ひとつの歌だった。

 ヴェトナム反戦の運動と結びついたフォークソングについては、ふれておかなければならない。

 いわゆるヒューマニズム的な立場からなされるヴェトナム反戦運動は、ほとんど力を持ちえない。アメリカの理想がじつは戦争にかかっていて、その戦争すらがアメリカにとっては不利な投資になっている、という冷たい事実に目ざめさせる反戦でないかぎり、どうにもならないのだ。

 だから、反戦を目的としたフォークソングは、まずなによりもさきに、アメリカのGIたちにむかってうたわれた。テレビの『フーテナニー』などには絶対にあらわれることのない場所で、フォークソングは、すさまじく巧みにうたわれたのだ。

 GIたちに反戦をうたいかけることを無報酬の仕事にしている人たちがアメリカにはたくさんいて、このなかには、バーバラ・ガースン、フィル・オクス、ピート・シーガー、ジョー・マクドナルド、ドナルド・ダンカンたちも含まれている。

 どのようにしてGIたちに反戦をうたいかけるかというと、まず基地のある町まで、でかけていく。適当なコーヒー・ハウスでもみつかればよいのだが、みつからなければ、地もとYMCAのなかにあるUSOでおこなうことだってあるのだ。『シング・アウト』に、以下に紹介する実例を、バーバラ・デインがつたえた。

 兵士たちに娯楽をあたえるためにアメリカの伝統であるブルース歌手たちが当地にきているが場所をつかわせてはもらえないだろうか、とUSOの管理者に申しこむ。反戦歌をうたうとはいわないから、許可はおりる。

 路上、街頭で、GIたちにチラシをくばる。USOにあつまってフォーク・シンガーの歌を聞こう、と呼びかけるチラシだ。外出許可のある兵士たちはアメリカ国内で退屈しきっていることが多く、七、八〇名はあつまる。

 なんの予備知識もない彼らに反戦を呼びかけるのだから、歌は慎重にえらばれる。ただなんでもいいから漠然とうたえばいいのではないのだ。

 まず、あたりさわりのないブルースではじまる。おかねがないことをうたったブルースである場合も多い。GIたちは常におかねがないからそのようなブルースに同化できるし、うたいおわってからの語りかけで、おかねのないつらさをジョークにしてGIたちを笑わせようという意図があるからだ。

 次に、プリティ・ボーイ・フロイドについての歌がうたわれる。ギャング・エイジの主役のひとりであるフロイドは、伝説やノスタルジアとしてうたわれるのではなく、トムスン軽機関銃で金銭をうばう者もいれば、大企業のように合法的な手段で人々からおかねをまきあげるものもいる、という事実を語るためだ。

 こんどは外国の話しを持ち出す。トピカルなもの、たとえばメキシコで学生運動が弾圧されていたころなら、その話しをして、自国の軍隊が自国民にさしむけられることへの疑問と憤りを、かるくかき立てて、そして、エクアドルの歌をメキシコにあわせて歌詞をつくりかえたものをうたう。「私が死ぬときは革命家のように葬むってくれ。手にはライフルを持たせ、赤い旗に体をつつんで」といった文句でしめくくった歌だ。GIのヒロイズムをくすぐる。

 ここで、ドナルド・ダンカンが登場する。ヴェトナム戦争に疑問を持ち、グリーン・ベレーをやめた男だ。ヴェトナムでアメリカ兵がいかにいつわりの目的のために戦争させられているかを、彼は説得力をもって語る。

 これが終ると、軍人として最も正しい態度についていささか感情的な美文でうったえた歌をはなち、GIの気分を盛り立てる。拍手がくる。すかさず、ヴェトナムで死んだメキシコ系のアメリカ兵についての歌にうつる。テキサスとかカリフォルニアにはメキシコ系アメリカ人のGIが多いので、メキシコがひんぱんに登場する。地理的にも親近感があり、GIたちの気分をつなぐために有利なのだ。

 最後は、よく知られたアメリカの古い歌の歌詞だけをとりかえた替え歌でしめくくられる。この替え歌は、重要だ。聞きなれたメロディに、もと歌からは想像もつかないような歌詞をつけることにより、新しい価値の世界が自分たちの目の前にひらけた感じを、GIたちにあたえるからだ。反戦フォークソングに替え歌はよくあった。単なる諷刺やあるいは下品にしただけのものではなかった事実に注意すべきだ。しかもその替え歌は、うたわれる状況を適確に判断したうえで、非常に効果的にうたわれた。

[この項、了]

(『エルヴィスから始まった』1994年/『ぼくはプレスリーが大好き』(1971年)改題 *青空文庫のテキストを用いて作成しました)

今日の一冊|romancer-books04|『エルヴィスから始まった』

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blog170102|エルヴィスから始まった|ロマンサー文庫04|公開]2016年4月より木曜に掲載してきた『エルヴィスから始まった』(『ぼくはプレスリーが大好き』改題)を電子書籍として無償公開しました。

エルヴィスから始まった|気になるタイトルを選んでみてください。

第1章|ミシシッピー州東テュペロ


第2章|心が爆発する


第2章|トータルな体験と目覚め|
   1|ロックンロールは「生き方」だ
   2|ティーンエイジ・アメリカ
   3|いつラジオの音量をあげたか?


第4章|カントリー・ミュージック|
   1|アパラチアのストラデヴァリアス
   2|エレクトリック・ギター
   3|真実としての日常生活
   4|バーミンガムに歩いて帰る
   5|ヒット
   6|マーティン・フラットトップ・テイクオフ


第5章|ブルース|
   1|ブラック・アメリカン
   2|ミスター・ブルース
   3|ブルースマン
   4|アメリカの革命
   5|白人にブルースがうたえるか?


第6章|ロックン・ロールとカウボーイ・ブーツ


第7章|なぜアメリカに「NO!」というのか?


第8章|1960-1970 アメリカ
   1|「いろんなことが同時におこる」ボブ・ディラン
   2|歌になにができたか?
   3|ビートルズはつまらない
   4|単純なものと複雑なもの
   5|ロバート・ジンママン
   6|ヒッピー・ムーヴメント
   7|LSDとマリワナの迷信
   8|FUCK NOW!
   9|フィルモア
  10|ウッドストック
  11|「頭にエサをやれ」(ジェファスン・エアプレーン『ホワイト・ラビット』)
  12|LOVE


第9章|ミシシッピー河により近く


第10章|ELVIS IS BACK


エルヴィス・プレスリーの物語


角川文庫版・あとがき


1960年代 1971年 1994年 『ぼくはプレスリーが大好き』 『エルヴィスから始まった』 アメリカ ジョン・F・ケネディ フォークソング 第8章「1960-1970 アメリカ」 第8章|2|歌になにができたか? 音楽
2016年9月8日 05:30
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