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「いろんなことが同時におこる」ボブ・ディラン|エルヴィスから始まった

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8 1960――1970 アメリカ

〈1〉 「いろんなことが同時におこる」(ボブ・ディラン)

 一九六〇年のアメリカ大統領選挙でケネディはニクソンを破ったが、一般投票での得票差は一一万二〇〇〇にしかすぎなかった。アメリカの大統領は本質的には民主党でも共和党でもおなじことであり、ケネディであろうがニクソンであろうが、たいしたちがいはなかったことを、この得票差は教えてくれている。

 ではなぜケネディはニクソンをおさえて大統領になれたのか。ケネディもニクソンも、それぞれ有利な点と不利な点を持ち、票がどちらにかたむくかは最初からまったくわからず、開票がはじまってからも大統領はニクソンであろうと考えられていた。

 ふたりのあいだにちがいがあったとするなら、そのちがいは、ジェスチャの相違であった。ジェスチャは、戦術、と言いかえてもいい。戦術のちがいだけがこのふたりのあいだにはあり、そのちがいはどのようなちがいかというと、ケネディのほうが時代の新しさをかなり風俗的な面でとらえていた、ということだけなのだ。

 候補者指名予備選挙で、ケネディは、ヒューバート・ハンフリーと競争した。一六州のうちケネディは七つをえらび、ハンフリーは五州とった。ふたりが正面から対立したのは、ハンフリーの地盤ミネソタのとなりにあるウイスコンシンでだった。ケネディは、票の五六パーセントを勝ちとった。しかし、プロテスタントの農民票が落ちていたので、西ヴァージニアでもういちどハンフリーとたたかわなくてはいけないことになった。西ヴァージニアは、アパラチアの貧困地帯のなかのひとつで、宗教的にはプロテスタントだ。アメリカ人はみな移民なのだが、ケネディにあたえられていた移民のイメージと根本的には同質のものが、アパラチアの人たちにも押しつけられていた。カトリックは五パーセントしかいないこの州で負けることは、自身がカトリックであるケネディにとっては政治生命の終りにちかいものを意味した。もし勝てば指名は決定的であり、ハンフリーはウイスコンシンですら負けたのだから、とうてい競争相手ではなくなってしまう。キャンペーンに、ケネディはジェット機を、ハンフリーはバスをつかった。そして、ケネディが勝った。ケネディは民主党の大統領候補に指名され、北と南の利害バランスをはかるため、テキサスのリンドン・ジョンソンを副大統領にえらんだ。

 大統領選挙でのケネディの相手、ニクソンは、ケネディよりわずか三歳しか年上ではないのだが、実際には、そして特にテレビのスクリーンでは、はるかに老けてみえた。そしてこの事実は、ケネディのために有利に利用された。

 四回にわたっておこなわれたテレビでのニクソンとケネディとの共同討論は、そしてそこで討論されたことは、大統領選挙とは本質的にはなんの関係もないただの戦術だった。一八五八年に、リンカンとスティーヴン・ダグラスとのあいだにおこなわれた共同討論の焼きなおしなのだ。このときとおなじく、討論された内容よりも、ニクソンとケネディとのイメージの差のほうが重要だった。

 ケネディは、カトリックであった。宗教は自分の政治活動になんら影響をあたえない、という宣誓をおこなってケネディは人々を安心させ、投票にあとひと月もないというときになってマーティン・ルーサー・キング夫人に電話をかけ、夫が獄中の身である事実をなぐさめてみせた。戦術的にみて有利な州にだけ、ケネディはキャンペーンを集中した。ニクソンは、五〇州すべてにわたってキャンペーンをしくという約束を守りそのとおりにした。

 ニクソンがとなえる中道的な保守主義は、そのときのアメリカの大勢だった。キングストン・トリオが着ていた赤と白のキャンデー・ストライプのボタン・ダウン・スポーツシャツのように、ニクソンがとなえることはアメリカ的であった。しかし、アメリカは、結局、わずかな得票差で、より若くみえるほうを大統領にえらんだ。ジャクリーヌがニコチン中毒にちかいチェーン・スモーカーで、ケネディが強度の近眼であった事実を知って投票した人たちは、得票差よりもさらにすくなかったにちがいない。

 ケネディをおもてむきひきついだのはわずかひと月で、そのあとは「貧困との戦い」を「偉大なる社会」にかえてアメリカの利益の代弁者になったジョンソンは、一九六四年の大統領選挙でバリー・ゴールドウォーターを破った。

 アメリカでは常に右翼の力は強いのだ。右翼のとなえる思想が、かつてはアメリカをつくりあげるための実際的な支柱となった真実であり理想だからだ。なにものをもってしても動かすことのできない保守的な中産階級でも、アメリカの理想とか反共とかを梃子にすれば、たやすく動く。

 しかし、ゴールドウォーターの単純さにくらべると、ジョンソンのほうがまだ現代にふさわしく複雑だった。「自由のための過激主義は、たたえられるべきである」がゴールドウォーターの思想であり、彼によればアメリカがかかえている問題はすべて単純なものであり、したがって単純な策によってたやすく解決できるのだ、ということだった。

 時代が、若くてしかも複雑であることは、あきらかだった。そのような時代のシンボルとして、強引にひとりの人間をえらび出すなら、その人間は、うたがいなくボブ・ディランなのだ。

 ディランは、自分の時代について、
「いろんなことが同時におこる」
 とだけ言った。

 歴史的な便宜のために一〇年間ひと区切りにされた一九六〇年代について、これほどに正確になされたステートメントは、ほかにない。一九六〇年代は深い分裂と疎外の時代であったとよく言われるが、これは精神的には意志薄弱で肉体的には虚弱体質な観察的概括以上のものではありえない。

 いろんなことが同時にたくさんおこった。ただそれだけのことであり、たとえばふたりのケネディが暗殺された事実が持つ暗いショックが時代の象徴にされるという、そのようなかたちでの統一は、一九六〇年代にはありえない。

 統一がなければそれではばらばらに分裂していたかというとそのようなことはなく、目覚めない人たちは目覚めない人たちどうしで無形の団結を誇り、目覚めた人たちは、あらためて無限の独立性を持った個人にたちかえった。

「いろんなことが同時におこる」というステートメントは、その同時におこるさまざまなことのどれひとつにも、他に対する優位性がないことを語っている。ジョンソンのカウボーイ・ブーツがアメリカの好戦的保守主義のシンボルではありえないとおなじく、ボブ・ディランもまたアメリカの若い世代のメサイアではなく、『風に吹かれて』であやうくメサイアになりかけたディランは、自分がメサイアになることの不当性と不可能性に気づくと同時に電気ギターをとりあげた。私ひとりにすべてを託さず、自分は自分でひとりで勝手に独立した個人になれ、という別れの歌が『すべては終りだ、ベイビー・ブルー』だった。

 象徴とかシンボルとかは、すべて自然に反し、まちがっている。

 たとえば個人主義はアメリカのシンボルのひとつなのだが、この個人がまとめられてアメリカ社会としてひとつになると、個人は個人ではなくなり、マジョリティというひとつのあたらしい怪物となる。自分が怪物の一部分ではないのか、という新鮮な疑問を持つことは、個人は生まれながらにして平等であるというアメリカ原理にそむくことなので、マジョリティのなかの個人は、疑問を持つことを知らない愚鈍な消費者として、それにふさわしい穴のなかにはめこまれることになる。この穴のなかから、一九五〇年代のなかばに、ある種の人たちを這いあがらせてとりあえず解放したのが、すぐれてハッピーで同時にペシミスティックなあのロックンロールだった。その人たちのあいだに共通している特性をしいてさがすなら、それは、若い、という事実だった。解放された人たちは、自分が怪物の尻に生えている毛の一本であったことに気づき、一本の毛であることをやめてこんどはほんとの個人として、マイノリティとなるのだった。このマイノリティはアメリカニズムを否定し、人間とはいったいなになのかを、原点にできるだけちかいところで考えなおしていこうとする。ウッドストックでの雷雨のなかで、ぬかるみに腰をおろしひたすら雨にうたれてじっとしていた人間は、原点にできるだけちかい部分での人間を体験的に悟ったにちがいない。しかし、この原点はかならずしも実地に体験される必要はなく、それはLSDやマリワナを用いなくても心の爆発を自分のものにすることができるのとおなじことだ。

  「病めるアメリカ」という間抜けな成句がある。いまのアメリカ(資本主義国、と言いかえてもよい)が病んでいるとするならば、病まないまえのアメリカあるいは病気がなおったあとのアメリカを前提としているはずなのだが、その前提はいったいどこにあるのだろうか。

 アメリカはけっして病んでなどいなく、むしろはじめから現在にいたるまで終始一貫している点ではほめたたえられるべきであり現在ではその一貫性が極端に徹底してきたため、それだけをみると病んでいるようにみえるだけなのだ。

 南部に黒人がいたことは、アメリカにとっては、巨大な幸せであった。南部(ブルース地帯)は、楽観的で単純で技術的なアメリカのなかでの、唯一のペシミズム地帯であった。この場合のペシミズムは、「つらい浮世のこの裏町で」というようないきどまりのすてばちさではなく、現状および現状の将来的延長の肯定に対するとらえどころなくてしかも断固たる疑問のかたちでのペシミズムであり、ギターの六本の弦からつくれる音にこのペシミズムを託しえた黒い人たちに対して、喝采を叫ばなければならない。ブルースは、ホワイト・アメリカのバカげた単純さに正面から対立する複雑さのはじまりであった。

[この項、了]

(『エルヴィスから始まった』1994年/『ぼくはプレスリーが大好き』(1971年)改題 *青空文庫のテキストを用いて作成しました)

今日の一冊|romancer-books04|『エルヴィスから始まった』

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blog170102|エルヴィスから始まった|ロマンサー文庫04|公開]2016年4月より木曜に掲載してきた『エルヴィスから始まった』(『ぼくはプレスリーが大好き』改題)を電子書籍として無償公開しました。

エルヴィスから始まった|気になるタイトルを選んでみてください。

第1章|ミシシッピー州東テュペロ


第2章|心が爆発する


第2章|トータルな体験と目覚め|
   1|ロックンロールは「生き方」だ
   2|ティーンエイジ・アメリカ
   3|いつラジオの音量をあげたか?


第4章|カントリー・ミュージック|
   1|アパラチアのストラデヴァリアス
   2|エレクトリック・ギター
   3|真実としての日常生活
   4|バーミンガムに歩いて帰る
   5|ヒット
   6|マーティン・フラットトップ・テイクオフ


第5章|ブルース|
   1|ブラック・アメリカン
   2|ミスター・ブルース
   3|ブルースマン
   4|アメリカの革命
   5|白人にブルースがうたえるか?


第6章|ロックン・ロールとカウボーイ・ブーツ


第7章|なぜアメリカに「NO!」というのか?


第8章|1960-1970 アメリカ
   1|「いろんなことが同時におこる」ボブ・ディラン
   2|歌になにができたか?
   3|ビートルズはつまらない
   4|単純なものと複雑なもの
   5|ロバート・ジンママン
   6|ヒッピー・ムーヴメント
   7|LSDとマリワナの迷信
   8|FUCK NOW!
   9|フィルモア
  10|ウッドストック
  11|「頭にエサをやれ」(ジェファスン・エアプレーン『ホワイト・ラビット』)
  12|LOVE


第9章|ミシシッピー河により近く


第10章|ELVIS IS BACK


エルヴィス・プレスリーの物語


角川文庫版・あとがき


1971年 1994年 『ぼくはプレスリーが大好き』 『エルヴィスから始まった』 アメリカ ボブ・ディラン 第8章「1960-1970 アメリカ」 第8章|1|「いろんなことが同時におこる」ボブ・ディラン」 音楽
2016年9月1日 05:30
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