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白人にブルースがうたえるか?|エルヴィスから始まった

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5 ブルース

〈4〉 白人にブルースがうたえるか?

 プロフェッショナルな歌手によってうたわれるブルースがレコードをとおして娯楽のひとつになり、また、劇場で人々にものになったのは、一九二〇年代がはじまる前後のことだ。一九二〇年の二月、マミー・スミスがオケーに吹きこんだ二枚目のブルース・レコード『クレイジー・ブルース』が売れたのが、レイス・レコード(黒人市場専用のレコード)時代の本格的にコマーシャルなはじまりだとされている。

『クレイジー・ブルース』がペリー・ブラッドフォードによって作曲されたように、レコード用のブルースはあきらかに作曲されたもので、レコードは、南部から出てきた黒人たちに売る商品であり、録音されているブルースは、南部を思い出させたり逆に南部から黒人を切りはなしたり、あるいはもっと単純に、娯楽をあたえるものだった。

 一九二九年の大不況でだめになるまで、このブルース・レコードの時代はつづいた。女性歌手が多かったのは、面白い。アルバータ・ハンター。クララ・スミス。ローラ・スミス。トリクシー・スミス。ベッシー・スミス。ガートルード・レイニ。ヴィクトリア・スパイヴィー。

 男の黒人でブルースをうたうものは、まだ仕事を求めて、あるいは病身で仕事がないため、さまざまな土地を流れ歩いている時代だった。女性たちはすでに定職にありつき、黒人中産階級になっていた。放浪している男性のブルース・シンガーをみつけだしてレコードをつくるのはたいへんなことだった。だから、まず女性が、商品になった。そして、この女性ブルースのレコードをとおして、男のブルース・シンガー、たとえばアーロン・ウオーカー、ライトニン・ホプキンズ、レッドベリ(ハディ・レッドベタ)、ブラインド・レモン・ジェファスン、マディ・ウオーターズ(マッキンレー・モーガンフィールド)たちの存在が知られていったのだ。

 奴隷解放から一九二〇年代のレイス・レコードの時代までに、音楽的形式としてのブルースの基本が、できあがった。

 ブルースの三行詩がなぜ三行なのかは、リロイ・ジョーンズが面白く説明している。まずはじめの一行がうたわれ、それとおなじものが、二行目として、もういちどくりかえされる。なぜくりかえすかというと、おなじ文句を何度もくりかえすフィールド・ホラーの影響と、三行目を考えだすための間(ま)、そして、英語がまだあまりうまくできなかったので、聞いている人たちの理解をよりよくするために、二度くりかえされたというのだ。一行、二行にこたえるかたちで、三行目が、詞の全体をしめくくっている。この応答歌のスタイルは、アフリカの宗教歌の尾をひいているのだ。

 三行の詩のそれぞれ一行が、楽譜でいう4小節になっている。全体は12小節構成のA―B―Bのフォームで、使用されるコードは、1、4、5度の三つのコードであり、3、5、7、9度が、フラットされて、いわゆるブルー・ノートになっている。

 ブルースを、ヨーロッパの全音階音楽にあてはめて考えると、ブルースは基本的にはこうなっているといえるだけで、なぜこうなのかは、わからない。こうなっていったプロセスを状況だけでとらえると、リロイ・ジョーンズが言うように、黒人が放浪しつつ自由なスタイルでうたっているうちに、誰のスタイルがいちばんいい、というような一定のスタンダードができあがり、やがてほとんどの人が、それに自分をあわせていくようになった、ということだろう。ブルーな音は、たとえばギターなら、ストリングを押えている指先を、フレットにそってネックの外に向けてグイとひっぱれば、最もブルーな音がつくれる。なぜそれがブルースにあるかは、アフリカ音楽あるいは、アフリカ人がしゃべるときの音声を徹底的に研究すれば、ひょっとしたらわかるかもしれない。

 一九三〇年代から四〇年代の後半にかけて、白人のジャズ世界は、ビッグ・バンドの時期だった。それまでに、受け手の側からとらえたレイス・レコードのブルースは、どんな役をはたしただろうか。なぜ、ブルースが、商品になったのか。ブルースは、なんの役に立ったのか。ブルース・レコードは、どのような状況の反映だったのか。

 ブルース・レコードは、都市黒人に売れた。そのときの都市黒人の感情の集約がブルースだったとすると、その感情は、なにか。極端に簡単に言ってしまうと、それは、南部体験の都市における普遍化だった。普遍化された南部体験が、都市におかれている黒人の状況の変化にそって、次のなにか新しいものに成長していく過渡期として、一九四〇年代があった。グレン・ミラーの人気。ベニー・グッドマンの人気。それを支えた黒人編曲者、フレッチャー・ヘンダスンのブラックさ。それよりもさらにブラックなものとして、デューク・エリントンやカウント・ベイシー。そして、もっとブラックで激しいものは、リズム・アンド・ブルースの名で総括される、新しいかたちの都市ブルースだった。

 ブルースの歌手は、絶叫のようなうたい方をするようになった。バックアップ・バンドの楽器編成の変化、それによってつくり出されるリズム・セクションのサウンドと張りあうためには絶叫するよりほかなかった、というのは外面の説明で、内面はどう説明できるのか。なぜ音が大きくなり、うたい方が、激情的になっていったか。

 ゴスペルをとおした、黒人としての現世の再認識に、すべてはむかっていた。

 たとえば、一九四〇年代の終りから、一九五〇年代のはじめにかけて、ナット・キング・コールのまねをやっていたレイ・チャールズは、一九五二年、アトランティック・レコードと契約し、五四年に、『女を手に入れた』というヒットをつくった。この歌は『私の世界はイエスがすべて』というゴスペルから曲をかり、新しくブルースの詩をつけたものだった。

 これは、意味を失った12小節ブルースの脱出であり、ブラックなプライドとしての現世への回帰だった。ニグロの世代は、交代しつつあった。ブラック・アメリカンとして、どこかなにかの方向をみつけはじめたときの激情のかたまりが、アメリカの再発見だった。アメリカに対してはじめに怒ったのは、黒人のジャズマンだろう。彼らは、白人のクール・ジャズをけとばしたのだ。

 一九四〇年から一九五〇年代のなかばまで、黒人のリズム・アンド・ブルースの世界は、白人たちにはほとんど知られていなかった。

 一九四〇年、B・B・キングがメンフィスからカリフォルニアに出ていった。おなじ年、ファッツ・ドミノは、インペリアルからヒット『でぶ』を出した。四四年ころには、オハイオのシンシナティで、シドニー・ナザンが、氷倉庫を改造したスタジオで、キングというレーベルのもとに、録音をはじめた。ラッキー・ミリンダー、アイヴォリー・ジョー・ハンター、ブルムース・ジャクスン、ザ・ドミノスのクライド・マクファター、あとでツイストのスタートをつくった、ミッドナイターズのリーダー、ハンク・バラード。このようなタレントが、キングに入った。

 一九四八年になると、シカゴのサウスサイドに、チェスができた。マディ・ウオーターズ、プレスリーの体の動かし方のお手本となったボ・ディドレー(エリス・マクダニエル)、ハウリン・ウルフ、やはりプレスリーに、歌唱上の見本をみせたアーサー・クラダップ。こんな人たちを、チェス・レコードは、ひろいあげた。あくる年には、ヒューストンに、ピーコック・レコードができた。

 一九五四年にレイ・チャールズが、五五年にはチャック・ベリーの『メイベリーン』、五六年にエルヴィス・プレスリーの年なのに、リトル・リチャードは、人気順位で第一位まであがったレコードを四枚も出した。

「彼(リチャード・ペニマン)は美しかった――だぶだぶの上衣に象の脚のようなズボン、裾幅は二六インチで、髪はうしろにとかしつけ、水がいっせいに噴きあげたときの噴水を思わせる奇怪なかたちに仕上げられていた。細い口ヒゲが唇にそってたくわえられてあり、完璧に恍惚な丸い顔をしていた。

 ピアノを弾くときには両脚のヒザをくっつけるようにしてキーボードの前に立ち、ピアノを叩きこわそうとでもするかのごとき勢いで、弾きまくるのだ。クライマックスに達すると、彼は片足をあげてそのかかとでキーを叩きつけ、ズボンの裾が凧のようにふくらみはためくのだった。

 絶叫のたてつづけだった。奇怪な声だった。疲れを知らず、ヒステリカルでなにものにも完全にうち勝ち、怒り狂った牛のうなり声よりも低い声でうたったことは一度もなかった。どのフレーズも、引き裂くような悲鳴、しゃがれ声、金切り声で飾られた。スタミナやドライヴは無限だった。歌は、ほとんどが、ただ単なる歌を超越していた。彼は必死の確信を持ってうたい、真に宗教的な激情をこめていた」(ニック・コーン)

 五七年にビル・ドゲットの『ホンキイ・トンク』と、アリーサ・フランクリンの、アトランティックからのデビュー。五八年にジェームズ・ブラウンの『プリーズ・プリーズ・プリーズ』そして、デトロイトでの、モータウン(モーター・タウン)の創生。一九五〇年代のなかば、白人のカントリー・アンド・ウエスタンと、黒人のリズム・アンド・ブルースがひとつになり、白人による水増し版ではないブラック・オリジナルが白人の世界に、コマーシャリズムの力を背後にして、入っていった。そして、エルヴィス・プレスリーが、あらゆる意味で、ホワイトとブラックとの中間に、そのときはいた。

 ブルースがリズム・アンド・ブルースにまで進展しながら、そのときどきの時代のなかで白人にうけ入れられていく歴史は、白人に真似されていく歴史だった。リトル・リチャードの『トゥティ・フルッティ』を最も真似しやすい体質を持っていたのがエルヴィス・プレスリーであり、プレスリーを真似することは誰にもできず(スローな曲でエコーの助けをかりて、エディ・コクランが、うまくやっていた)、バディ・ホリーを真似るのはたやすく、ザ・ビートルズだってそれをやっていた。

 白人が黒人を真似るのは白人にとって商売になることだったし、黒人が、たとえばモータウン・サウンドのように、白人むけにもなるようにソウルのポップ版をつくることも、またおなじように商売になることだった。

 あらゆるものの本物と、その本物に新しい意義をあたえていく前衛との中間にコマーシャリズムという怪物がいて、本物や前衛が社会と接するときのクッションになり、ショック・アブソーバーの役をはたすのだ。と同時に、本物をひろめ、前衛を前進させる推進力に、コマーシャリズムはなっていく。

 ヒットとはラジオでひんぱんに放送されることであると悟ったモータウンは、カー・ラジオでできるだけ多くの人たちに聞かれることを目標に、一定の方程式にのっとってヒットをつくった。そしてそのヒットが、ポップの水準からいくと、ほかのヒットよりはすこしよくできている、という事実を持っていて、このような数多いヒットは、人々をモータウンのあとで本物に目覚めさせる役すらはたすのだ。

 相手の外側をただ真似するだけであるならば、白人が黒人を真似ても、黒人が白人を真似ても、できのわるいジョークにしかならない。ところが、アメリカのポピュラー音楽のなかでは、白人が黒人的な音楽をつくる作業が、歴史のひとつの中心になっている。トミー・ドーシーという白人、そして彼のジャズ・バンドは知っていても、ロイアル・サンセット・セリネイダーズという、黒人のジャズ・バンドのことは誰も知らない。ラルフ・グリースンに指摘されるまでもなく、トミー・ドーシー楽団のヒットのひとつ『マリイ』は、このフィラデルフィア黒人バンドのレパートリイの、コピーだった。グレン・ミラーはテナー・サキソフォンのジョー・ガーランド(もちろん、黒人)に負うところが多く、ベニー・グッドマンは、編曲料としてフレッチャー・ヘンダスンやチック・ウエッブに、一曲につき五〇ドルを大幅に下まわる、しかもおかしなはんぱのついた金額の報酬しか支払っていなかった。

 黒人にしかブルースはできない、つまり、黒人とまったくおなじ生活を体験しないことにはブルースはできない、とする説がある。黒人であることが、ブルースに対する唯一の権利証だと定めるこの考え方は、ある特定の音楽はある特定の生活環境からのみ発生するという考え方に、とらわれすぎている。

 レッドベリが言った「白人にブルースは一度もなかった。白人に心配事は一度もなかったから」は、生活のみが音楽を生むという考えのなかでは、これ以上に正しくなれないほどに正しい。

「ロックは電池だ。充電するにはブルースが必要だ」と、エリック・クラプトンは、言った。アーネスト・タブは「ブルースは、人間におこりうる最悪のことをうたっている。ブルースにうたわれていることがまだあなたの身におこっていなければ、それらはやがてあなたにふりかかってくるだろう」と言う。ジャニス・ジョプリンは、「ブルースのようにしか、やりようがない。田舎でひとりなにかに目覚めかけているとき、まわりの状況に耐えきれず、そんなときレッドベリを聞いてショックを受け、サンフランシスコに家出した。私は、いまでもそうだが、常にひとりだ」と言った。白人中産階級の若い女性にも真剣な心配事があることに、レッドベリは気がつかなかった。

 クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルのジョン・フォガティは、自分のブルースを次のように表現した。

「世の中と極度に緊張した関係に立ったとき、フリーウェイをひとりで車で走り、肺活量のありったけをしぼって意味のない絶叫をあげる」

 チャールズ・カイルは「この四〇〇年のあいだ黒人を悩ませてきたのとおなじ強さで、白人の若者たちがなにかに悩まされている」と言い、アルバート・キングは「いまの若い白人たちは、私があの年代に感じていたのとまったくおなじことを感じている」と言う。レッドベリは白人の悩みに気がつかなかったが、アルバート・キングは、うっすらと気がついているようだ。

 白人のブルース・プレーヤーに、なぜブルースをうたい演奏するのかと訊けば、ブルースが好きだからだ、とこたえるだろう。好きになるきっかけは、子供のときに聞いたロイ・ロジャーズのギターが好きになり、ずっとあとになって、それとおなじ音が、もっと豊かにジョシュ・ホワイトのギターにあることを知り、よし、自分の音楽はこれだ、と決めるようなことでも、すでに充分なのだ。

 ブルースは、非常にすぐれた、力のある面白い音なので、白人の若者が真似したがっても当然だ。

 なぜ、ブルースの音が好きになるのか?

 ある種の心の動きができる人たちは、おなじ音を本能的に好みあう。音は、土地や生活にもたしかに密着するだろうが、心の最も抽象的な部分に強く働きかけるひとつの確実な力を持っている。

 では、どんなふうに働きかける、どのような力なのか?

[この項、了]

(『エルヴィスから始まった』1994年/『ぼくはプレスリーが大好き』(1971年)改題 *青空文庫のテキストを用いて作成しました)

今日の一冊|romancer-books04|『エルヴィスから始まった』

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blog170102|エルヴィスから始まった|ロマンサー文庫04|公開]2016年4月より木曜に掲載してきた『エルヴィスから始まった』(『ぼくはプレスリーが大好き』改題)を電子書籍として無償公開しました。

エルヴィスから始まった|気になるタイトルを選んでみてください。

第1章|ミシシッピー州東テュペロ


第2章|心が爆発する


第2章|トータルな体験と目覚め|
   1|ロックンロールは「生き方」だ
   2|ティーンエイジ・アメリカ
   3|いつラジオの音量をあげたか?


第4章|カントリー・ミュージック|
   1|アパラチアのストラデヴァリアス
   2|エレクトリック・ギター
   3|真実としての日常生活
   4|バーミンガムに歩いて帰る
   5|ヒット
   6|マーティン・フラットトップ・テイクオフ


第5章|ブルース|
   1|ブラック・アメリカン
   2|ミスター・ブルース
   3|ブルースマン
   4|アメリカの革命
   5|白人にブルースがうたえるか?


第6章|ロックン・ロールとカウボーイ・ブーツ


第7章|なぜアメリカに「NO!」というのか?


第8章|1960-1970 アメリカ
   1|「いろんなことが同時におこる」ボブ・ディラン
   2|歌になにができたか?
   3|ビートルズはつまらない
   4|単純なものと複雑なもの
   5|ロバート・ジンママン
   6|ヒッピー・ムーヴメント
   7|LSDとマリワナの迷信
   8|FUCK NOW!
   9|フィルモア
  10|ウッドストック
  11|「頭にエサをやれ」(ジェファスン・エアプレーン『ホワイト・ラビット』)
  12|LOVE


第9章|ミシシッピー河により近く


第10章|ELVIS IS BACK


エルヴィス・プレスリーの物語


角川文庫版・あとがき


1971年 1994年 「第5章 ブルース」 『ぼくはプレスリーが大好き』 『エルヴィスから始まった』 アメリカ ブラック・アメリカン ブルース 音楽
2016年8月18日 05:30
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