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ヒット|エルヴィスから始まった

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4 カントリー・ミュージック

〈5〉 ヒット

 ナッシュヴィルで、カントリー・ソング名所案内の観光バスにのると、ハンク・ウイリアムズの家をみることができる。カーポートには、一九五二年モデルのキャデラックが、いまでも置いてある。このキャデラックのうしろの席でハンクは、一九五三年一月一日、死んだのだ。彼がのこした歌やレコードの印税は、いまでも、一年で一〇万ドルに達する。息子のハンク・ウイリアムズ・ジュニアは、父の歌をうたうときは、その場を暗くし、スライドで父の顔を大きく壁に映し、そのわきに立ってうたうのだ。

 ナッシュヴィル・サウンドは、なにしろカネになる。

 ナッシュヴィルに生活と仕事の本拠をかまえているサイドメンたちは、なんらかのヒット・レコードに何度も参加して一流とされている人たちならば、レコーディングのときのスタジオ・セッションだけで、一回に八五ドルとれる。他人のレコードづくりでちょっとギターを弾くだけで、年収五万ドルは楽につくれるのだ。

 歌手でヒットが出ると、そのヒットが姿を消さないうちに、巡業のワン・ナイター(ここで一夜、あそこで一夜と、バスや飛行機でとびまわるコンサート旅行のこと)にでかける。これは、カントリー・シンガーにとっては、貴重な財源だ。『グランド・オール・オプリイ』のステージに立っても、ヴェテランのハンク・スノウやアーネスト・タブでも、おもてむきは一夜が七〇ドルくらいにしかならず、一曲だけのゲスト出演なら、悪くすれば無料にされる。しかし、ワン・ナイターなら平均して一夜で三〇〇〇ドルにはなる。

 ワン・ナイターが三〇〇〇ドルの歌手になるためには、まずどこからかナッシュヴィルにやってきて、誰かのバンドにバックアップ・メンのひとりとしてもぐりこむ。レギュラーとしてそのバンドで人気をとり、スタジオの録音にも参加し、腕をあげると同時に、ファンをつかむ。そして自分でも曲をつくってみる。その曲を誰よりもうまくうたえるのは自分であることを、デモンストレーション・レコードでレコード会社に示し、自分でレコードにし、売り出してヒット。ヒットの程度にもよるが、大きければすぐに自分のバンドを持てる。そしてワン・ナイターに出る。

 一台が五万ドルから七万ドルもする、カスタムメイドのバスが持てるようになれば、ナッシュヴィルでも超一流だ。このバスに、楽器からコスチューム、バンドのメンバーすべてをつみこみ、一年に最小限一〇万マイルのハイウェイをワン・ナイターを追いかけて走りまわる。経済的な理由から、また、ファンに生の姿を見せる必要から、ほとんどのスターが、一年にすくなくても一〇〇のワン・ナイターをこなしている。テックス・リターですらそうだし、キティ・ウエルズは、最近でもワン・ナイターに出ていないのは、一年のうち一〇〇日くらいのものなのだ。ジョニー・キャッシュほどになると、一回のコンサートで四万ドルくらいの利益をあげることができる。サイドメンの給料、場所代、広告費、税金、保険などを払ったのこりからキャッシュがギャランティの七万五〇〇〇ドルをとり、さらにそののこりの五〇パーセントが、キャッシュにいく。最後にのこった金額は、キャッシュのショウのプロモーターの手に入るのだと、ポール・ヘンフィルは『ナッシュヴィル・サウンド』のなかで書いている。

 ジミー・ロジャーズやハンク・ウイリアムズは、貧乏から身をおこしてチャンスと努力で大金持ちのスターになった。アメリカの夢としての成功物語りの主人公でもある。彼らの歌に影響をうけて自分のサウンドをつくり、それぞれスターになっていった人たちは多いのだが、歌以上に、成功やおかねのほうからも強い衝撃をうけたにちがいないのだ。

 ナッシュヴィル・サウンドは、技術が生んだものではなく、雰囲気がつくりあげたものだ。カントリー・ソング地帯に入る田舎の貧乏な家に生まれ、幼いころから教会やギターで音楽になじみ、二十代に入ったときにはすでにほとんどのことがこなせるカントリー・ミュージシャンになっていて、ホンキイ・トンク、ワン・ナイター、スタジオのレコーディング・セッションなどを渡り歩いてさらにタフになり、ヒット・レコードづくりに何度も加わり、ナッシュヴィルにたくさんいる優秀なサイドメンのひとりとなる。

 サイドメンたちはナッシュヴィルに長くいるから、ミュージシャンたちどうしよく知りあった仲だし、レコード会社の人たちも顔なじみでスターとは友人のつきあい。おたがいに相手を、そして相手のサウンドを知りぬいているから、新曲のレコーディングでも、歌手がメロディを口ずさんだだけでリード・ギターはその場で頭のなかで編曲してしまい、バックのヴォーカル・グループは、コード進行をのみこみ、掌にチェンジを書きとめ、それを見るだけでいきなりレコーディングに入りヴォーカルのバックを見事につけ、一回でマスター・テープができあがってしまうことだって珍しくはない。

 スタジオのなかの全員に美しいインタプレイがあり、ひとりひとりが、素晴らしくタフなミュージシャンなのだ。たとえば、グレン・キャンベルでさえ、そうだ。五歳でギターを自由にこなし、教会、ラジオでソウルフルなゴスペルからフランク・シナトラまで、全身でうけとめた。十代で修業に出た。ホンキイ・トンクめぐりでどんなものでもこなせるようになり、スタジオ・ミュージシャンとして、マール・ハガード、ディーン・マーティン、ボビー・ダーリン、ビーチボーイズと、多様なタレントのバックをつとめ、デモンストレーション・レコード用の歌い手になり、自分にぴったりの曲をみつけて吹きこみ、スターになった。六弦、十二弦のギター、五弦バンジョー、ベース、マンドリンを、思うままに奏することができる。

 ミュージシャンを、そしてカントリー・ソングを聞く人たちをタフにしたものに、忘れてはならないラジオがある。カントリー・ミュージシャンのスタート初期には、たいてい、ラジオ局で演奏あるいはDJの仕事をやっていた時期がある。ワンダ・ジャクスンは一三歳のとき、オクラホマの高校のすぐちかくにあったKLPR局で毎週おこなわれていたタレント・コンテストで一等をとり、これが縁でその局で毎日一五分間、自分ひとりのショウ番組を持たされた。ギターを弾き、歌をうたい、語った。番組は人気があり、すぐに三〇分にのばされ、高校をでるまで、つづいた。このようなことが、ごく普通に、アメリカではいまでもおこりうる。

[この項、了]

(『エルヴィスから始まった』1994年/『ぼくはプレスリーが大好き』(1971年)改題 *青空文庫のテキストを用いて作成しました)

今日の一冊|romancer-books04|『エルヴィスから始まった』

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blog170102|エルヴィスから始まった|ロマンサー文庫04|公開]2016年4月より木曜に掲載してきた『エルヴィスから始まった』(『ぼくはプレスリーが大好き』改題)を電子書籍として無償公開しました。

エルヴィスから始まった|気になるタイトルを選んでみてください。

第1章|ミシシッピー州東テュペロ


第2章|心が爆発する


第2章|トータルな体験と目覚め|
   1|ロックンロールは「生き方」だ
   2|ティーンエイジ・アメリカ
   3|いつラジオの音量をあげたか?


第4章|カントリー・ミュージック|
   1|アパラチアのストラデヴァリアス
   2|エレクトリック・ギター
   3|真実としての日常生活
   4|バーミンガムに歩いて帰る
   5|ヒット
   6|マーティン・フラットトップ・テイクオフ


第5章|ブルース|
   1|ブラック・アメリカン
   2|ミスター・ブルース
   3|ブルースマン
   4|アメリカの革命
   5|白人にブルースがうたえるか?


第6章|ロックン・ロールとカウボーイ・ブーツ


第7章|なぜアメリカに「NO!」というのか?


第8章|1960-1970 アメリカ
   1|「いろんなことが同時におこる」ボブ・ディラン
   2|歌になにができたか?
   3|ビートルズはつまらない
   4|単純なものと複雑なもの
   5|ロバート・ジンママン
   6|ヒッピー・ムーヴメント
   7|LSDとマリワナの迷信
   8|FUCK NOW!
   9|フィルモア
  10|ウッドストック
  11|「頭にエサをやれ」(ジェファスン・エアプレーン『ホワイト・ラビット』)
  12|LOVE


第9章|ミシシッピー河により近く


第10章|ELVIS IS BACK


エルヴィス・プレスリーの物語


角川文庫版・あとがき


1960年代 1971年 1994年 「第4章 カントリー・ミユージック」 『ぼくはプレスリーが大好き』 『エルヴィスから始まった』 アメリカ グレン・キャンベル ナッシュヴィル・サウンド ハンク・ウイリアムズ ビートルズ ワンダ・ジャクスン 青空文庫 音楽
2016年7月14日 05:30
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