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ティーンエイジ・アメリカ|エルヴィスから始まった

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3 トータルな体験と目覚め

〈2〉 ティーンエイジ・アメリカ

 45回転シングル・レコードは、ティーンエージャー専用だった。一九五〇年代の終りにはアメリカにはジューク・ボックスが五〇万台ちかくあり、シングル盤売り上げの大半がジューク・ボックスに依存していた事実をみても、45回転レコードがいかにティーンに対して強く向けられていたか、わかるのだ。

 アメリカのなかに、ティーンというまたべつの国が、ひとつできた。一九五五年、ジェームズ・ディーンが主演した映画『理由なき反抗』によって、アメリカのなかのティーンは、理由なき反抗の世代とされてしまった。彼らの反抗に、理由がないというのは、まちがいだ。理由(正しくは〔目的〕と訳すべきだった)は、あった。しかしその反抗は、大人の世界との境界線上にいる両親に向けられていて、結局、その両親をこえることはできなかった。逆に考えれば、両親たちが、それぞれの子供たちの反抗を、とりあえずまだ押えることができていた。

 ティーンの世界と、両親に象徴される大人の世界とは、変化していく社会が生んだ、対立するふたつの異なった価値だった。ロックンロールにも、このふたつの価値は、持ちこまれていた。一九五〇年代の後半、特に五六年から五九年にかけて、この事実が目立った。

 エルヴィス・プレスリー、ロイド・プライス、リトル・アンソニー、エヴァリー・ブラザーズ、エディ・コクラン、ジーン・ヴィンセント、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ザ・ドリフターズ、ザ・シルエッツ、フィル・スペクターたちがひとつの価値だとすると、これに対立する、従来どおりの、なんの変化も改革もない、つまらない大人の世界の価値として、コニー・フランシス、ニール・セダカ、ボビー・ライデル、ボビー・ヴィー、リッキー・ネルスン、フランキー・アヴァロン、フェビアン、ポール・アンカ、パット・ブーンたちがいて、彼らのすこしもすぐれてはいないロックンロールは、すぐれたものとおなじように、そして時にはそれ以上に、売れていた。大人の世界の価値のほうが、ティーンたちのそれよりまだ力がはるかにまさっていたからでもあるのだが、ロックンロールのいまだ力の足らない部分、社会的な広がりを持った影響力が欠けていた部分に、テレビの力が、ものをダメにする力として働いたからでもある。

 いっこうに売れないロックンロールのレコードでも、テレビでさらされると、とたんにヒットになる傾向は、一九五四年頃から、顕著にはじまった。そして、それより前、一九五二年、フィラデルフィアのABCテレビで《アメリカン・バンドスタンド》という番組がはじまっていた。三時から五時までというおそい午後の時間を埋めるために、なかば投げやりにつくられたショウ番組だった。内容は、簡単だった。男性の、大人のホストがひとりいて、新しいロックンロールのレコードをかける。そのレコードについて、番組に参加しているティーンエージャーたちが、パネル形式で、批評をする。「踊れるレコードだから、ボクは85点です」というような、踊れるか踊れないかに主眼点をおいた批評だった。ゲスト・スターが登場する。しゃべったりうたったりする。参加しているティーンエージャーたちの、ごくみじかいインタヴューがおこなわれる。ひとりずつカメラの前に進み出て、かよっているハイスクールと自分の名前、年齢、それに、好きな食べものとか趣味について、ひと言。《アメリカン・バンドスタンド》は、こんなような番組だった。テレビで見ている人たちにとってはあまり面白くなかった。しかし、中継の現場にいるティーンエージャーたちは、はりきっていた。彼らは、テレビ局の番組制作者が予想していなかった行動に出た。レコードがかかるたびに、立ちあがって踊ったのだ。番組の主役は、この、”踊る”〔傍点〕ティーンエージャーたちだった。

 一九五七年、このテレビ・ショウは、全米にネットされることになり、ホストは交代し、DJをやっていたディック・クラークが選ばれた。あくる年の八月には、全米で一〇五のテレビ局が、この番組を放映していた。ディック・クラークは、道徳を守って仕事に忠実で、たびたび床屋にかよい月賦の支払いはおくれず、シャワーを浴びたばかりでとても清潔なよきアメリカ市民、というイメージの視覚上の権化のような顔と姿をしていた。番組そのもののなかでは押しつけがましく表面に出てくることはなかったが、パット・ブーンとおなじように、古いモラルにべったりと密着したお説教の本を書き健康明朗なティーンエージャーの守護神のようなイメージが、クラークにはあたえられた。

 《アメリカン・バンドスタンド》は、つまらないほうのロックンロールばかりながしていたが、そこに登場する若者の服が全米で流行になり、踊りが真似されてこれも流行や生活の一部になるにおよび、遠くテキサスから、この番組に出演するためにヒッチハイクでやってくるティーンエージャーがあらわれるほどになった。

 ロックンロールにあわせて踊るティーンエージャーたちの踊りは、基本的には、一九二〇年代のリンディ、四〇年代のジタバグ、チャールストンなどと、おなじだった。ただ面白いのは、踊りのヴァリエーションが、週のはじめと終りではもうちがっている、という事実だった。興味を持たない大人の目でみるとおなじような踊りなのだが、それぞれに、明確にちがっている部分があったのだ。この番組を中心に考案された踊りを全部あつめるのは、不可能だろう。その場で即興的につくられ、おたがいに真似しあって、せまい範囲の人たちのあいだに広まっていったのだから。ヒッチハイク、マディスン、フライ、ポニー、ドック、ワツシ、マッシュドポテト、ブーガルー、モンキー、ハリーガリー、リンボ、スイム、フラッグ、シェイク、ボストン・モンキーなど、さまざまにあった。

 ステップのどこがどうちがうかは、しかしさほどの重要事ではなかった。大切なのは、最も新しいステップでロックンロールに反応することだった。新しい踊りを知っているということは、ロックンロールに対して全生命的でしかも真剣な反応をしていることの証明だった。ロックンロールが持っていたトータルなインパクトを、ティーンエージャーたちは受けとめ、受けとめている証拠を、逆に自分の体をつかって表現してみせた。

 踊りのヴァリエーションの多さは、おなじような、正確には、ただひとつの、ロックンロールに対して、さまざまな反応が可能である事実をも示していた。眼を閉じて腕を組み悩み深い哲学的な顔で「クラシック音楽を鑑賞」している人たちのグロテスクでワイセツな姿と比較すると、ディック・クラークの番組で踊っていたティーンエージャーたちは、やはり救世主だった。この若者たちのなかに、あとでフランク・ザパのマザーズ・オブ・インヴェンションに加わるデニー・ブルースのような少年もいたのだから。

 ロックの天啓的な衝撃は、個人的な体験だった。どうあらねばならない、ということは絶対にないのだが、衝撃と接続できる人は接続(コネクト)し、どう接続してなにを考えるかは、個人の問題だった。だから、天啓をたまたまなんらかの理由によって受けられなかった人は、それっきりなのだ。六〇年代なかばのゴーゴーではっきりするのだが、ロックンロールで踊る踊りは、革命的だった。完全にそうではないものもあったけれど、その場にいあわせた人はみんな、それぞれひとりで踊った。手を握りあうことすらまれで、かつてのグレン・ミラーやベニー・グッドマンの演奏にあわせて踊られたソーシャル・ダンスのように、男女が一定のフォームで触れあうことは、なかった。ロックが、密度の高い個人的な体験である事実が、このことにはっきり証明されている。トランジスタ・ラジオは、ティーンエージャーたちをさらに個々に切りはなす役を果たした。かわっていく時代のなかで、ものの考え方は、もっと劇的にかわっていきつつあり、これに気づかないことは、おそろしいことだった。ティーンエージャーたちの踊りは、ツイストとして、大人たちの世界でも、流行になった。一九五九年にハンク・バラッドとミッドナイターズというグループが『ザ・ツイスト』を出し、あくる年、黒人のチャビー・チェッカーが白人的なカヴァーをつくり、六一年の一〇月、エド・サリヴァン・ショーに出て、ツイストは大人の流行になった。ニューヨークのペパミント・ラウンジというディスコテークが、その風俗的な中心だった。流行が若者からつくられていくその後の歴史の、はじまりだった。

 除隊してきたエルヴィス・プレスリーが、ハリウッドでつまらない映画づくりに専念しはじめたのとおなじように、つまらないロックンロールのスターたちは、多くが映画に向った。リッキー・ネルスン、フランキー・アヴァロン、フェビアンたちがその代表で、この三人は、プレスリーとほとんどおなじように、安全で健康で、まだ世になれていない未熟な、しかしやがては良識ある市民に成長するであろうところの青年として、大衆に提供された。フロリダからきた、五代前がダニエル・ブーンの、パット・ブーンも映画に主演し、ニグロのカヴァーでヒットをつくり、「私の今日の成功は神のたまものです」と言っていた。コニー・フランシスは、これもカヴァーだが、いい歌をあたえられていた。しかしそのサウンドは、殺菌のきいた清潔な白い冷蔵庫のようであり、内部のペンキを塗りかえたばかりのアメリカ中産階級の住居のような香りを持っていた。商品としてはよくできていて、マーケットに出れば役を立派に果たしたが、スピリチュアルには、いずれもどうしようもなかった。

 ロックンロールには、当然、批判があった。すぐれたロックでもつまらないロックでもごっちゃに批判されたのだから、批判の程度がいかに低かったかは見当がつく。ソヴィエトの『プラウダ』紙は、エルヴィス・プレスリーのことを、資本主義国の若者をダメにするためのアメリカの陰謀だ、と表現した。ロックに対するおろかな批判の、これが頂点だろう。ロックンロールになんとか水をぶちかけようとはかる良識派の動きが、アメリカのあちこちにあった。

 そんなとき、都合のよい事件がひとつ、おこった。大学教授がテレビのインチキなクイズ番組に加担していたことが発覚し、クイズ番組が議会の調べを受けた。そのあと、ロックンロール番組も、調べられることになった。レコードをテレビやラジオで流してもらい、売り上げをのばすために、レコード会社がDJたちにワイロを提供していて、DJたちはそれを受けとり、レコード会社の言うなりになっていた、というのだ。ワイロ(〔ペイオラ〕と呼ばれた)は、昔からあった。いろんなかたちで、存在した。歌手やレコード会社が、曲をDJにプレゼントし、版権も彼にあげてしまう。すると、レコードになってヒットした場合、版権所有者は印税でたいそうもうかる、というようなシカケのワイロもあった。ロックンロールが盛況で、しかもレコード会社間の競争が厳しかったため、ワイロも、数が多くなった。アラン・フリード、ディック・クラーク、その他、たくさんのDJたちが調べられ、アラン・フリードはワイロを受けとったことを泣きながら認めたため、一九六〇年にはこの世界での生命を断たれてしまった。ディック・クラークは、ワイロで自分が動いた事実はない、と主張しとおし、いまでも、《アメリカン・バンドスタンド》とともに生きのび、レコードに関連したいろんな事業を手におさめて無事なのだ。

 ロックンロールは、このペイオラ事件で、やっつけられたような印象をあたえられてしまった。ロックンロールはやはり悪い音楽だった、一時の気ちがいじみた流行でしかなかった、ということになった。一九五九年、ロックンロールのシングル盤の売り上げは、二五パーセントちかく、ダウンしたという。

 ロックンロールは、悪くはなかったし、一時的なものでもなかったが、やはり幼稚だった。テレビによって新風俗として平たく押しなべられると、ロックは力を失った。たとえば、社会的な自覚としての第一歩であった両親に対する反抗は、結局、両親どまりで、それを越えていくことはできなかった。新しい価値観の蜂起を予言してはいたが、五〇年代から六〇年に移っていく時代の思想や哲学は、支えきれなかった。そのためにはもっとタフで鋭いものでなければならなかった。8トラックの録音が実用になっても、ロックンロールには、まだ足らない部分があった。

 エルヴィス・プレスリーが陸軍に入ったとき、彼が除隊するまでの二年分のカレンダーを一枚ずつはがして自室の壁へ順番にはりつけ、七三〇日をすべて×印で消すということが流行した。消された日々は、死んだロックンロールの墓石ではなく、さらに新しくてはるかにタフなものの登場の予言であり、どうか出現してくれという祈りであった。

[この項、了]
(『エルヴィスから始まった』1994年/『ぼくはプレスリーが大好き』(1971年)改題 *青空文庫のテキストを用いて作成しました)

今日の一冊|romancer-books04|『エルヴィスから始まった』

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blog170102|エルヴィスから始まった|ロマンサー文庫04|公開]2016年4月より木曜に掲載してきた『エルヴィスから始まった』(『ぼくはプレスリーが大好き』改題)を電子書籍として無償公開しました。

エルヴィスから始まった|気になるタイトルを選んでみてください。

第1章|ミシシッピー州東テュペロ


第2章|心が爆発する


第2章|トータルな体験と目覚め|
   1|ロックンロールは「生き方」だ
   2|ティーンエイジ・アメリカ
   3|いつラジオの音量をあげたか?


第4章|カントリー・ミュージック|
   1|アパラチアのストラデヴァリアス
   2|エレクトリック・ギター
   3|真実としての日常生活
   4|バーミンガムに歩いて帰る
   5|ヒット
   6|マーティン・フラットトップ・テイクオフ


第5章|ブルース|
   1|ブラック・アメリカン
   2|ミスター・ブルース
   3|ブルースマン
   4|アメリカの革命
   5|白人にブルースがうたえるか?


第6章|ロックン・ロールとカウボーイ・ブーツ


第7章|なぜアメリカに「NO!」というのか?


第8章|1960-1970 アメリカ
   1|「いろんなことが同時におこる」ボブ・ディラン
   2|歌になにができたか?
   3|ビートルズはつまらない
   4|単純なものと複雑なもの
   5|ロバート・ジンママン
   6|ヒッピー・ムーヴメント
   7|LSDとマリワナの迷信
   8|FUCK NOW!
   9|フィルモア
  10|ウッドストック
  11|「頭にエサをやれ」(ジェファスン・エアプレーン『ホワイト・ラビット』)
  12|LOVE


第9章|ミシシッピー河により近く


第10章|ELVIS IS BACK


エルヴィス・プレスリーの物語


角川文庫版・あとがき


1960年代 1971年 1994年 『ぼくはプレスリーが大好き』 『エルヴィスから始まった』 エルヴィス・プレスリー 第3章「トータルな体験と目覚め」 青空文庫 音楽
2016年4月21日 05:30
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