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服を見ればわかる

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 引っ越しの話の続きを書く。二回に分けた引っ越しの最初の回〔「引っ越しという自己点検」(『自分と自分以外──戦後60年と今』〕では、ひとりの人が荷造りを手伝ってくれた。午後遅く、僕の衣服を段ボール箱に詰める作業を、その人は始めた。引っ越しはいい機会だから、もう着ないものを僕は整理しようと思っていた。しかし僕は他の作業でそれどころではなく、整理は後日のことにしてあるものすべてをかたっぱしから、その人の手で箱に入れてもらった。その衣類の箱はすべて、新しい家の僕のクロゼットにいったん収めた。クロゼットはいつぱいになり、隙間を縫ってなんとか奥までいける、というような状態だった。いくつあったか覚えていない箱のなかの衣類と、次の日から僕は格闘することになった。

 その第一回目の引っ越しが終わった夜、近くのレストランで全員で夕食をとりながら、手伝ってくれた人と引っ越しをめぐっていろんな話をした。その人が箱詰めしてくれた僕の衣類へと、話はやがて向かっていった。僕の持っている衣服ぜんたいについての、ひとつの大きな印象は、おなじようなものがたくさんあることだとその人は言った。もっともたくさんあるのは、シャツとジーンズだという。そしてそれ以外のものは、あれだけの数の箱になったにもかかわらず、これと言ってなにもないのが面白い、ともその人は言った。

 言われてみれば確かにそのとおりだ。僕はスーツを一着も持っていない。だからそれに関連したもの、たとえばドレス・シャツはないし、黒い革の靴もない。ネクタイはタンタンの絵柄のフランスみやげものが一本、探せばどこかにあるはずだ。ベルトもない、スラックスもない、コートもない、そしてジャケットは二枚か三枚だ。

 ジーンズは大量にある。シャツも多い。ただ単に多いのではなく、明らかにバランスを失している、という様相でその数は多い。引っ越しは六年前のことであり、それ以後の時間のなかで僕は自分の衣服を大整理した。いろんな服が姿を消し、クロゼットのなかは広々となった。そしてシャツとジーンズが多いという特徴は、ひと目見てわかるほどに、際立ってしまった。

 僕はシャツとジーンズの人なのだ。どちらも明らかに作業衣だ。だから僕は労働者なのだ、作業をする人だ。とは言え、額に汗して地道に働く地の塩のような人ではないし、粉骨砕身して積み重ねた労苦がそのまま人生となっているような人でもなく、犬のごとく労務するハード・デイズの人でもない。しかし、作業者であることは絶対にと言っていいほどに確かだし、これまでおこなってきた作業をこれからも続けること以外に、興味はなにもない。

 日常生活、つまり生きていく苦労のすべては、作業だと僕は思う。その日常生活に織り込まれているいわゆる仕事も、僕にとっては延々とひとつにつながった、脈絡も物語もある、無数の作業だ。僕は作業者であり、それ以外の何者でもない。だから衣服は、ごく基本的な作業衣としてのシャツとジーンズがあればそれで充分だ、他になにも必要ではない。着ている服を見ればその人のすべてがわかるという。どうぞなんでも、いくらでもわかるといい。なにがどうわかろうとも僕が一介の作業者である事実には、なんの変わりもない。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年


『自分と自分以外ー戦後60年と今』 ジーンズ 仕事
2016年1月28日 05:30
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