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僕はチャーリー・ブラウンなのだから

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 僕が『ピーナッツ』を読み始めたのは、一九五六年ないしは一九五七年のことだった。どちらの年だったにせよ、信じられないことに、その僕は世田谷区で高校生だった。父親の仕事の関係で、自宅にはアメリカの新聞がいつも何種類もあった。最後に読むのは僕ときめてあり、僕が読んでしまえば、すべて捨てていいことになっていた。『ピーナッツ』を読み始めた僕は、読み始めた第一回から、連載のコミック・ストリップを切り抜くことも始めた。新聞から切り抜く、ということを僕に最初に試みさせたのは、チャーリー・ブラウンだ。

『ピーナッツ』のアメリカにおける連載は、一九五〇年の十月から始まったから、僕が世田谷区で読み始めた頃には、連載はすでに六年目あるいは七年目に入っていて、アメリカにおけるこのコミック・ストリップの人気は、早くも確立されていた。一九五五年には、作者のチャールズ・M・シュルツは、「ザ・カートゥーニスト・オヴ・ジ・イアー」に選出されていたのだから。

 毎日の連載を、左から右へさっと横目で読んだあとの、あるいは見たあとの、自分の内部のどこかに残る、なんとも言いようのない不思議なものの魅力に、僕はあっさりとからめとられた。『ピーナッツ』というタイトルは、アメリカ全土の新聞に連載物を配信していたユナイテッド・フィーチャー・シンディケートという会社がつけたもので、作者自身はたいそう嫌っていた、という話をずっとあとになって僕はどこかで読んだ。僕も『ピーナッツ』というタイトルには不満があった。いったいなにがピーナッツなのか、といつも思ったものだ。いまでもその思いは、新鮮なまま、僕のなかにある。僕にとって『ピーナッツ』は、チャーリー・ブラウンだ。

 平日は横に一本だけのストリップ、そして日曜日には『ピーナッツ』というタイトルのついた、いま少し長いストリップが、新聞のコミックス・セクションに印刷されていた。切り抜いていくチャーリー・ブラウンは、その数をたちまち増やした。机の引き出しがいっぱいになったとき、これをどうすればいいのか、僕は真剣に考えた。僕がチャーリー・ブラウンになった、いちばん最初の瞬間だ。

 アメリカにおける標準的なサイズの三穴バインダーとそのフィラー・ペイパーが自宅にあった。そのペイパーへ横向きに貼っていくと、一ページに確か四日分、貼ることが出来た。僕は毎日ひとつずつ、ストリップを貼っていった。一冊の三穴バインダーは、チャーリー・ブラウンを貼ったフィラー・ペイパーで、すぐにいっぱいになった。二冊目に貼り始めた。三冊目もすぐに完成した。机の上に置いておき、高校生にしてすでにうまくいかない人生についてひときわ思いをめぐらせるとき、この三穴バインダーを無作為に開いては、チャーリー・ブラウンの日々を読み、それらを自分の日々に重ねた。

 自宅にある英字新聞がひとつだけになっても、そこにチャーリー・ブラウンは連載されていた。だから切り抜くことは続けたのだが、大学生になってすぐに、チャーリー・ブラウンはペイパーバックで次々に出版され始めた。僕はそれを買い始め、いつのまにか新聞は手に取らなくなった。ペイパーバックの数は増えていった。それまでの連載の蓄積を思えば、いくら増えても当然だった。大学生だった期間ずっと、そして卒業してフリーランスのライターになっても、僕はペイパーバックのチャーリー・ブラウンを買い続け、読み続けた。あなたってそんな漫画を読むの、といきつけの神保町の喫茶店の、美しいウェイトレスに呆れられたことを、いまでも覚えている。オー、まさに、グッド・グリーフだったよ。

『ザ・コンプリート・ピーナッツ』というハード・カヴァーの全集がいまはある。この全集はとっくに完結した。『ピーナッツ』作品は一点残らず集め終えた、と何巻目かの解説で読んだ。この全集の読破を、僕は人生の目標としている。無理ですよ、と言うよりもそれは不可能です、と編集者に諭されたことがある。なぜ不可能なのか、その理由を説明され、そのときの僕は深く納得した。しかしその理由を、忘れてしまった。なぜ不可能であるのか思い知るためにも、読破には挑戦しなくてはいけない。

 チャーリー・ブラウンの物語の背景にほのかに聞こえる音楽は、カントリ・ソングだと僕は長いあいだ思っていた。しかしアメリカのTVで『ピーナッツ』がアニメーテッド・フィルムになったのを見たとき、音楽がジャズのピアノ・トリオだったのには、驚いた。しかもヴィンス・ガラルディのピアノではないか。驚いたけれど、いまではたいそう好いている。ガラルディのCDは四枚持っている。連載四十周年記念のときのジャズCDもあるし、ジョージ・ウィンストンがガラルディをカヴァーしたCDもある。こうしたジャズを聴きながらチャーリー・ブラウンになる至福のひとときも、いまの僕は楽しんでいる。

『芸術新潮』2013年10月

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2020年7月1日 07:00
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