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リアル・マヨネーズの473ミリ・リットル

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 ベストフーズのマヨネーズを久しぶりに買った。ガラスの瓶に入っている。瓶の胴体に紙のラベルが巻いてある。ラベルのデザインに用いてあるこのダーク・ブルーやこの黄色、そして赤と白などには充分に見覚えがある。キャップもダーク・ブルーだ。プラスティックに変わっているけれど、見覚えというものを僕が記憶のなかに作った頃には、このキャップは金属製だった。

 473ミリ・リットル。ワン・パイントだ。液体アウンス(オンス)だと16になる。日本の家庭の基準では、大きな瓶の範疇に入るのではないか。倍近い量が入っている瓶もある。多くの店で売っている。どの店でも棚のいちばん下にならべてある。大きな瓶は重い、だから下に置く、ということか。

 このベストフーズのマヨネーズが、いまも日本で市販されているとは。しかもたいていの店には置いてある。日本のものに駆逐されずに残った、珍しい例だと思っていいのだろうか。固定ファンがいるのではないか、などとも僕は思ってみる。アメリカでの生活を体験した人たちだろうか。なんらかの理由でこのマヨネーズを集中的に使う人たちが、かなり広い範囲にまたがって存在しているのか。マヨネーズの好きな育ち盛りの男の子がふたりいる家庭なら、473ミリ・リットル入りのガラス瓶など、たちまち空になるだろう。

 僕はキャップを開けてみる。半世紀ぶり、とまではいかないかもしれない。しかし少なくとも四十年ぶりくらいであることは、確かだ。匂いをかいでみる。いつかどこかで何度となく食べた、ポテト・サラダの匂いがする。ではそれは、いつ、そしてどこで食べた、ポテト・サラダなのか。この問いに対する正確な答えはない。記憶とはなんと曖昧で脆弱なものなのだろう。ベストフーズのマヨネーズの匂いの記憶が、いまの僕のどこにもない。本当にこの匂いだったかな、などと僕は思う。長い年月のどこかでフォーミュラが変わり、それとともに匂いも変化したのかなどと、記憶の曖昧さをマヨネーズのせいにしかねない。

 なめてみたい、という気持ちを抑えながら、僕はさらに思う。子供の頃、このマヨネーズを、どのようにして食べていたのか。野菜にからめてサラダのようにした記憶はまるでない。野菜ではないものに用いたのではなかったか。ではそれは、なにだったか。記憶はなにもない。なめてみれば、突然に思い出すかもしれない。なめてみろよ、と僕のなかの僕が言う。

 ひと頃までこのベストフーズのマヨネーズは、ダーキーズのマヨネーズとならべて陳列されていた。日本の話だ、アメリカではない。ひと頃、と曖昧に書くけれど、それがいつなのか、正確な記憶はまたもやない。ああ、いまでも両方あるのだな、と何度も思ったのは、いつ頃のことだったか。ダーキーズのマヨネーズはアメリカにもうないのだろうか。それとも日本には入って来ないのか。つんとくる独特な酸っぱさのような味と香りはダーキーズのものであり、僕はそちらのほうが好きだった。

底本:『白いプラスティックのフォーク──食は自分を作ったか』NHK出版 2005年


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2020年5月27日 07:00
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