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消えた東京はゼニ・カネのために消えた

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〈書評〉富岡畦草、富岡三智子、鵜澤碧美著変貌する都市の記録

 写真に撮られた場所はまだあるだろう。しかしその場所にかつてあった建物、建造物、人、自動車など、もはやいっさい、どこにもない。どこへ消えたのか。1950年代、60年代を中心にした景色だから、いまから48年から67年前のものだ。時間のなかへ消えたのか。消えるとは、どういうことなのか。

 現物は消えたけれど、それらの景色を撮影した写真は、そのままに残っている。そしてそれらの写真は素晴らしい。だから僕はその写真を見る。ただ単に見るのではなく、鑑賞すると言ってもいいし、細部をひとつずつ手に取るかのように見ては感嘆する行為には、賞味する、という言葉をあたえてもいい。

 時間をもっともさかのぼる景色は1947年の名古屋駅から見た景色であり、もっともこちら側の景色は、1983年に大阪城の天守閣から見た景色だ。収録してある66点の写真のうち、56点までが東京の景色だ。

 とっくに消えて、もはやどこにもない景色を写真のなかに見ると、感銘は深い。興味はつきない。これが本当にあったのか、という不思議さをどの景色にも感じる。なぜ、あったのか。かつての景色はこうだったから、それをそのときそのままに写真に撮るなら、その写真をたとえばいまの僕のように、感銘とともに鑑賞することは、容易に可能だ。消えたとは、しかし、どういうことなのか。

 1947年の僕は赤子を脱した年齢だった。1983年の僕は40代の前半だった。だからこの本にある景色のすべてに、濃淡はあるとしても、見覚えのようなものを確かに感じる。この本にある写真が撮影された時代に僕もいたのだが、記憶してはいない。なんとなく既視感があるという程度だ。だからこそ、写真のなかにいまもある、かつての東京の景色が、不思議でならない。

 1958年の渋谷の、いまはスクランブル交差点と呼ばれている場所には、交差点だけがあり、その他のいまあるものすべてがない、という視点を楽しむことが出来る。1958年のここを、当時の僕はかなり頻繁にとおった。

 1959年の渋谷駅西口の写真もある。プラネタリウムのドームがすでにあるが、その向かい側では、広場や歩道を作るための工事がおこなわれていて、そこにあった店舗や住居は強制的に撤去されたという。かつてあったものがいまはないのは、取り壊されて打ち捨てられたからだ。写真は謎を解いてくれる。

 1964年の赤坂・青山通りの写真がある。東京オリンピックに向けて高速道路の工事がおこなわれている。大学を出た次の年の青年として、僕はここを何度も歩いた。そのときは思いもしなかったことを、いまは痛切に思う。それまでなかったものが作られるとは、それまではそこにあったものが、破壊されて捨てられることだ。この写真が記録した景色は、まさにそのような景色だ。

 ゼニ・カネの問題ではない、という言いかたが日本語にある。いまでも現役だろう。日本国家にとっては、ゼニ・カネだけが問題だった。木造2階建ての建物がかつてあり、それはいまでは三十数階建ての高層ビルディングだ。本書に小さく掲載されている、何年もあとのおなじ場所で撮った写真の説明文には、現在の跡地には高層ビルが建ちならんでいる、とあるのを見ると、確信は深まる。消えた東京は、ゼニ・カネのために消えた。したがって新しくそこに出来たものも、ゼニ・カネだけを問題にしている。

 1967年の銀座の写真がある。4丁目交差点の三愛ビルの前だ。この頃の僕はフリーランスのライターをしていた。20代後半の青年として、この景色のなかを毎日のように歩いた。東京に生活しているだけでも、東京を消すことに充分に加担しているとは露ほども気づかず呑気に。

出典:『週刊朝日』2017年11月17日号


2018年6月13日 00:00