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名曲を生み出したスリルに満ちた共同作業

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〈書評〉佐藤剛著「黄昏のビギン」の物語

『黄昏のビギン』という歌謡曲は一九五九年、昭和三十四年、水原弘の二枚目のシングル盤レコード『黒い落葉』のB面として発売されたものだ。『黒い落葉』は一枚目の『黒い花びら』のようなヒットにはならず、したがってB面の歌とともに、発売とほぼ同時に、忘れられた。

 昭和三十四年の日本は、しばしば語られるとおり、皇太子の結婚パレードがあり、沿道に五十三万人の見物人が出て、TV中継を一五〇〇万人が視聴し、TVの受信契約数はパレード直前に二〇〇万を突破した、という日本だった。

 それから三十二年後、一九九一年、歌手のちあきなおみは、『すたんだーど・なんばー』というアルバムを発表した。それまでの日本でヒットした歌謡曲をちあきなおみがカヴァーしたもので、このアルバムの一曲目が『黄昏のビギン』だった。この歌が持っている良さを、ちあきなおみなりに広く宣言した行為だ、と解釈されている。

 次の年、一九九二年には、この歌の作曲者の中村八大が死去した。七年後、一九九九年の秋、ネスカフェのTVCMに『黄昏のビギン』は使用され、二〇〇〇年にはちあきなおみのシングルCDが再発売された。そしてこの頃から、多くの思いがけない歌手たちが、『黄昏のビギン』をカヴァーしていくこととなり、その積み重なりのひとまずの結果として、『黄昏のビギン』に対する評価はいま、高いところにある。

 いまから五十五年前、第一回レコード大賞を受けた歌手の二枚目のシングル盤のB面として発売され、すぐに忘れ去られたひとつの歌謡曲がたどった歴程として、以上のような展開には、数奇な運命、という言葉をあてはめていい、と僕は思う。

 本書『「黄昏のビギン」の物語』は、この歌のこのような運命をたどり、その歌がどのような状況のなかで生まれたかをほぼつきとめ、作曲者の背景を点検し、彼の作った歌がどのような時代に支えられていたかを、検証している。『黄昏のビギン』のすぐ前に、おなじ作曲者による『黒い花びら』があったことを、忘れてはいけないようだ。

 一九五九年の春先、音楽家として心機一転の重要な局面にあった中村八大は、大衆と向き合う音楽活動という原点への復帰の最初の一歩として、ロカビリー映画の音楽監督の仕事を打診され、引き受けた。劇中の音楽ぜんたい、そして主題歌や挿入歌など、すべてを作る仕事だ。

 そのロカビリー映画は二本あった。『青春を賭けろ』と『檻の中の野郎たち』だ。『青春を賭けろ』の主題歌が『黒い花びら』であった事実はきわめて興味深い。なぜなら、一週間後に封切られた『檻の中の野郎たち』のなかには、のちに『黄昏のビギン』となる歌の断片があったのだから。

 この二本のロカビリー映画は、低予算のなかで大急ぎに粗製された。とは言え、中村にはオーディションを受ける義務が課せられ、十曲の歌を作って提出することを求められた。まだ単なる知り合いの段階にあった永六輔を歌詞の共作者にして、中村は十曲の歌を作り上げ、オーディションには合格した。

『檻の中の野郎たち』の劇中、少年院を脱走した不良たちという役の、ミッキー・カーチス、山下敬二郎、守屋浩の三人が、ジャズ喫茶のステージに飛び入りして即興で歌う、一分あるかないかの場面のなかでの歌が、『黄昏のビギン』の原型の断片だったことを、本書の著者はつきとめている。この断片は『黄昏のビギン』へと完成し、水原弘の二枚目のシングル盤のB面に使用された。

 永六輔が作る歌詞のなかから、もっとも気に入った一行を選び、それにメロディをつけていき、ぜんたいへと広がってやがてまとまると、作詞者は詞をメロディに合わせて書きなおした。このスリルに満ちた共同作業からすべては生み出された。

出典:『週刊朝日』2014年9月12日号


2018年5月9日 00:00