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彼とぼくと彼女たち 1-(1)

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 彼はぼくよりふたつ年上だ。おなじ大学のおなじ学部を卒業している。先輩にあたるわけだが、二歳ちがいなら、先輩であると同時に、親友にもなりうる。彼はぼくのことを、「おい、片岡」と呼ぶ。いつでも、かならず、「おい」が、つくのだ。

 このふたつ年上の友人についての物語をどのへんから書いたらいいだろうかと思いつつこうして書きはじめていまふと思い出したのは、彼とのつきあいがはじまってまだ間もないころ、秋の夜ふけに、「おい、片岡」と、彼から電話がかかってきたときのことだ。「俺の家はどこだったかな」と、彼が、そのとき電話でぼくにきいたのだ。

 この電話のふた月ほどまえ、彼は引越しをした。東京都内のアパートから、おなじく東京都内の別のアパートに移ったのだ。引越しの理由は、下水を中心としたくさいにおいがいつも漂っているから、ということだった。弱点の非常にすくない男なのだが、彼はくさいにおいに弱い。

 引越しのときには、当時のぼくが愛用していた一トン積みのピックアップ・トラックで、手伝った。持物の極端にすくない男だから、引越しといってもピックアップ・トラックの荷台のフロアがどうやらすべてかくれる程度の荷物しかなかった。引越したあくる日に、彼は、旅に出てしまった。650cc、4サイクル直立2気筒の、頑健をむねとした朴訥なオートバイにテントや寝袋を積み、どこへというあてはまったくなしに、しかしどこかへ、ふらりと、ひとりで、長距離ツーリングの旅に出た。

 二カ月ちかく、旅に出たままだった。旅さきから、二度、絵葉書をくれた。二枚とも、白い灯台の絵葉書だった。一枚は塩屋崎の灯台、そしてもう一枚は、丹後半島の先端、経ヶ岬の灯台の絵葉書だった。

 ぼくの部屋の、電話台がよせてある壁に、この二枚の絵葉書はプッシュピンでとめてあった。ふたつの白い灯台を見ながら、ぼくは、俺の家はどこだったかな、という彼の言葉を、電話のむこうに聞いたのだ。

 引越してすぐ次の日にオートバイで旅に出て二カ月ちかくすごしたため、引越したさきの所番地をまだ覚えていず、道順は引越しのときぼくがピックアップ・トラックを運転したためやはり覚えていず、東京へもどってはきたものの、自分の部屋へ帰ることができなかったのだ。

「電話番号は、ひかえてあるんだ」

 と、彼は言っていた。引越したさきの部屋は、なぜだか電話つきだった。

「さっきから、一生懸命、電話していた」

「どこへ」

「俺の部屋へ」

「誰か電話に出たか」

「出ない。誰もいないのだから誰も電話に出っこないのだということに、いま気づいた」

 そう言って、彼は笑っていた。

 新しい住所、そしてそこまでの道順を、ぼくは電話で彼に教えてあげた。

 二、三日後、ぼくは彼の部屋に電話をした。久しぶりに会いたいと思ったからだ。彼は、いないようだった。電話には、誰も出なかった。

 それから何度か電話をしたのだが、彼はいなかった。久しぶりに東京へもどってきて、あれやこれやと忙しいにちがいない、とぼくは思っていた。

 すると、彼のほうから、電話がかかってきた。

 いまは西宮に来ている、と彼は言った。そして、

「おまえ、最近、風呂に入ったか」

 と、彼はきいた。

「昨夜、入った」

「そうか。俺は一週間ちかく、入ってない」

「なにをしてるんだ、西宮で」

「オートバイで、ふと、来てみた。これから、風呂に入ろうと思う」

「入ってくれよ。一週間分のよごれを、しっかりと落としてくれ」

「おまえも、来ないか」

 近くならピックアップ・トラックで出かけていってもいいが、西宮はすこし遠くて都合が悪い。

「西宮は遠いよ」

 と、ぼくはこたえた。

「風呂は九州だ」

 と、彼はこたえた。

「なんだって?」

「これから九州へいって、風呂に入ろうと思う」

 ごくあたりまえのことのように、アパートのすぐ近くの銭湯へ出かけていくみたいな口調で、彼は言った。

 いったんオートバイに乗ってしまうとほとんどいつもこんな調子の男だから、いつのまにか西宮へ来ている彼がこれからオートバイで九州へいって風呂に入るつもりだと聞かされても、ぼくはべつにおどろかない。しかし、爽快な気持にさせられることはたしかだ。

 指宿いぶすきの近くにある、誰も知らないようなひなびた温泉の露天風呂を思い出したらむしょうにその風呂に入りたくなり、いまガス・ステーションでオートバイの燃料タンクにガソリンを入れたところだと、彼は言う。

 では俺ひとりで九州の指宿へいき、風呂に入ってくる、と彼は言い、電話を切った。

 このときの旅の経過をあとで彼から聞いたところによると、二週間かかって指宿へ着いたという。それまでに風呂にはすでに何度も入ったのだが、心のなかに思い描いていた露天風呂はやはり素晴らしく、九州まで走ったかいは充分にあったそうだ。

 彼は、オートバイを、ほんとうに愛している男だ。ソロの長距離・長期間ツーリングによる、放浪の旅のような生活をもっとも愛していて、ぼくと知り合ってまだ間もないこの頃は、さすらいのビッグ・ツイン・ライダーとしての本格的な充実期に入りはじめたときだった。

 愛する一台のオートバイとともに野外に出て、山や河、海岸などの豊富な自然を相手に、アウトドアでの生活を送っている時間が、彼にとって最高の時間なのだ。

 3気筒以上のオートバイを苦手とし、レース場でレーサーにまたがって走ったりするのは得意ではなかったが、それ以外なら、オートバイによるありとあらゆる楽しみに精通していたし、ライディングやメインテナンス、そして野外での生活に関する、理想にごく近いかたちでの、エキスパートだ。

 アウトドアの大好きな少年が、その少年時代のエネルギーや夢をなんら失うことなくそのまま大人になったような、じつにいい雰囲気を彼は持っていた。オートバイ、自然、そして野外での生活を野太く愛している彼なのだが、そのような男によくありがちな、むさくるしくて意外に鈍感で、古くさい男らしさだけが取柄というような退屈な野暮さは、すこしもなかった。

 なにごとに関しても微妙なニュアンスや色あいのちがいが的確によくわかり、感覚は鋭敏で、非常に洒落しゃれていた。その気になりさえすれば、たいへんに都会的に洗練された言動をとることができた。

 体つきは中肉中背の、肩幅が広くて胸板が厚く、腕の太い、がっしりしたものだった。いつも大いに健康で、浅黒く陽焼けし、たくましかった。

 顔つきは、俳優で言うと性格俳優のような、渋味のほどよくきいた、二枚目なのだ。人としてのぜんたい的な雰囲気は、おだやかでやさしくて奥行きが深く、品があって知的だった。信頼するに足るちゃんとした男だということは、初対面でもすこしだけ話を交わしてみればすぐにわかったし、価値判断に関してたいへんに厳しい基準を自分のものとしてはっきりと持っていた。

 暴力的にならなくてはいけないときには、目もさめるほどの鮮明さで、そうなることができた。

 オートバイで走っている自分をささいなことを理由にして停止を命じた白バイの警官と論争をし、らちが明かないとみればその警官をハマチの養育池に投げこむことくらい、平気でできた。

 交通ルールの解釈をめぐって白バイの警官と意見が対立し、相撲すもうを取ってその勝ち負けで決着をつけようではないかと提案し、利根とね川の土手で相撲を取ったという話は、適量のバーボンが気持よく全身にまわってくると語って聞かせてくれる、お好みのエピソードだ。

 彼も警官も全力を出して相撲をとり、その取組はえんえんと三〇分以上にもおよんだという。

 組み合ったままのふたりは、横だおしになり、ふたりはまったく同時に着地した。そして、こんどは地面に腹ばいになり、腕相撲をとったという。

 この腕相撲の取組も両者ともに全力を出しきって完璧に互角だった。ふたりの腕はやがてしびれきって役に立たなくなり、最後はおたがいに左手を握り合い、親指を立てて指相撲となった。

 指相撲に彼は勝ち、その白バイ警官から無事に逃がれることができたという。指相撲で決着が着かなければ脚相撲をいどむつもりであったと、彼は言う。

《(2)へつづく》

底本:『彼とぼくと彼女たち』新潮文庫 一九八六年

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2017年10月10日 00:00