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蒼くはない時にむかって

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『百恵』というタイトルの大きな写真集を、友人がただでくれた。この写真集について、みじかい文章を書いてくれるなら、ただであげるというのだ。ただはいいけれど、気に入らなければなにも書けないかもしれない、とぼくはこたえた。

 山口百恵の写真集は、一九八〇年五月八日から、スタートしている。

 現在、いまこの日の百恵、という感じの、映画にたとえるならごくみじかいスケッチ・ショットだ。

 五月八日の山口百恵の写真が、九枚、つづいていく。

 現代用語で言うところの、「ファッションふう」な写真なのだろう。

 撮影のための用意をととのえてもらっている彼女からはじまって、九枚目は、「ファッションふう」にできあがった彼女の顔のアップだ。

 べつにこれといって、どうということはない。いまの百恵、というものの、ひとつの姿ではあるのだろう。被写体とか素材としての彼女にカメラのほうがぴったりあわせている印象を、ぼくは受ける。

 この九枚の写真が終って、フラッシュ・バックする。

 時間は、過去にもどっていくのだ。

 もどったさきの時間は、一九七八年七月十日だ。

 背景はおそらく東京だろうと思うのだが、日本の夏の、ある暑い日の午後、という感じが、山口百恵そのものを撮らなくてはいけない写真であるにもかかわらず、ちゃんと表現されている。フラッシュ・バックしてとりもどした時間のはじまりの、トップ・シーンとしてはかなりいいのではないか、とぼくは思う。わかりやすくていい。

 百恵は、セーラ服だ。

 右手に、ハンカチを持っている。このハンカチが、いい。白いガーゼのハンカチで、黄色で細くふちどりがしてある。少女たちがよくやっているように、百恵もまた、この白いガーゼのハンカチを、たたんで持っている。

 こんな少女が、ひょっとしてぼく自身、身におぼえがあるのではないだろうか、というような、不思議な気持になってくる。

 コーヒー・ショップで夏の日の午後、さしむかいでひとときをすごすと、そんな少女は、ヨーグルト・ゼリーを注文するのではないだろうか。そして、席を立つときにふと見ると、あらかた食べたヨーグルト・ゼリーのガラスの容器の底に、赤いチェリーがひとつ、残っていたりして。

 ページをめくる。

 見開きになった二ページに、やはりセーラ服の百恵がいる。

 百恵は、雨に降られている。

 こんなふうにしてはじまったフラッシュ・バックされた時間は、ページをめくるスピードにあわせて、現在へと、進行していく。

 写真がたくさんある。おそらく、撮った順番にならべてあるのだろう。セーラ服の似合う少女から、すこしずつ成長していく過程のうえで過ぎ去った時間を、ページをめくりながら、見る人たちは再体験できる。

 セーラ服にかわって、いつのまにか百恵は、フィオルッチを着たりしている。

 一九七八年七月十日にフラッシュ・バックした時間は、現在にむかって、進んでいく。

 百恵は、いろんな姿で、いろんな顔をしている。

 現在までもどってきて、最後の二ページの見開き写真が、ぼくはいちばん好きだ。なにかのビルの裏手のようなところに、いまの百恵が立っている。コーラやビール、サイダーなどのクレートが雑然とつんであるコンクリートの一角に立って、百恵はふと横をむいている。ここまでの時間が、自叙伝の題名のように「蒼い時」だったのなら、蒼くはない時にむけて、百恵は進んでいくのだ。

 写真集をただでくれた友人に約束したみじかい文章は、以上のようだ。

底本:『コーヒーもう一杯』角川文庫 1980年

今日の1冊|『百恵』(撮影・篠山紀信、1980年)

20171005_百恵

この写真集が発売された直後の1980年10月5日に、山口百恵のファイナルコンサートが日本武道館で開催された。


1980年 『コーヒーもう一杯』 写真 山口百恵
2017年10月5日 00:00
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