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近未来を書きませんか

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 八月をあと十日残す、雨のような薄曇りのような日の午後、下北沢の喫茶店で二十代の編集者と会った。コーヒーと打ち合わせのひとときは気象の話から始まった。日本のとびきり暑い夏を体験しようとした彼がお盆休みに出かけた日本海側の町は、雨続きでしかも寒く、裏起毛の長袖スウェット・シャツを買い、旅館の部屋でTVを見て過ごし、東京へ帰る途中で風邪をひいた、というような話だ。僕はずっと東京にいて仕事がはかどった。

 来年からいよいよ始まるはずの、日本から夏がなくなった。という近未来の、今年がその最初の年だと思えばいい。あるいは、来年はすさまじい夏が来る。七月の初めからお盆過ぎまで、連日三十八度以上の気温を記録し、四十度以上の日が六日あった、というような夏だ。

 自然環境を人間が破壊してきたことの、遠まわしの証明のひとつである異常気象その他の変化は、ある程度までは段階的に異常が高まっていく。そしてある限度を越えると、段階の振幅が急激に大きくなり、異常な変化はいっきにとんでもない次元に到達する。息苦しくて目が覚める、という日も近いのではないか。全地球的に酸素が不足し、いくら呼吸をしても苦しいのだ。まず東京に局地的にあらわれ、三日後には全世界へ波及している、というのはどうか。

 ある日、突然、世界じゅうの海の海面を、死んで浮かんだ魚がびっしりと覆いつくす、という近未来が接近しつつあるかもしれない。世界のどこからどの海を見ても、その海の水平線の果てまで、そしてそこからさらにその果てまで、大小さまざまな魚がすべて死体となって、びっしりと海面を埋めている光景を、地上の人間はかならずや見ることになるのではないか。ものすごく臭い空気が海の上に立ちこめ、やがて魚は沈み、海面にはなにもなくなってもとに戻るけれど、その海はもはやかつての海ではない。だからまず世界じゅうで魚が獲れなくなる。

 海と接している、世界じゅうのありとあらゆる場所で、三日のうちに海面の水位が五メートルも上昇する近未来は、いつ未来ではなくなるか。水びたしあるいは完全に水没する場所が次々に報告される、というような生やさしい事態ではない。地球の終わりとして世界は大騒ぎになるだろう。上昇する水位は五メートルで止まる。いっこうに水は引かない。引くわけがない。とすれば、水位がさらに上昇するのは、いつのことか。

 こんな話を若い編集者としていたら、「近未来を書きませんか」と彼は真顔で言った。「コンビニ閉店あいつぐ」という見出しを新聞に見るのは、近未来とも言いがたい、すぐ先のことではないか。売上の低下は止まらず、最盛期の四十パーセント減で、閉店と統合が進む。スーパーの売り場面積が半分になるという空想も、あっけなく現実となり得る。インスタント・ラーメンがいま何種類あるか誰も知らないが、撤退や種類削減で半分に減ったなら、理屈では棚のスペースが半分は空くことになる。スナック菓子が半分になれば、そこのスペースも半分空いてしまう。こうしてすべての商品が半分になれば、売り場も半分の広さになる。急ごしらえの間仕切りで仕切られた裏は、段ボール箱の置場となるだろう。

 TVの放映が午前一時で終わる、それが真夜中の十二時となり、さらに十一時で終わる局も出てくると、新聞は全国紙がすべてタブロイドのサイズになる。雑誌はいまの三分の一以下に減り、書店は寂しくなるどころか、そもそも成立しなくなるだろう。地下鉄には運行停止となる路線がかならず出来る。駅への入口にはシャッターが降りたままだ。

 近未来でもっとも現実性が高いのは、水ぶくれで倍にふくらんでいた日本が、削り落とされて半分に、つまり適正値に戻るという事態だ。少なくとも半分までは確かに水ぶくれだったことをなによりも証明するのは、ふくれていた半分が削り落とされる過程で発生していく、失業者の数だ。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 二〇〇四年


『自分と自分以外ー戦後60年と今』 下北沢 未来 編集者
2017年8月26日 00:00
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