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『ハナ子さん』一九四三年(昭和十八年)(2)

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 隣組とは、昭和十五年に日本国家が制定した、最末端の一般市民組織だ。政府からの伝達を伝え合ったり、生活物資を配給したりするときに機能したそうだ。国民をひとからげに管理しようとした国家の試みのひとつだ。『隣組』という歌はNHKが国民歌謡として作ったものだ。たいへん流行し、市民の誰もが歌ったという。四番まである歌詞の四番めは、次のとおりだ。

「とんとんとんからりと隣組
何軒あろうと一所帯
こころはひとつの屋根の月
纏められたり纏めたり」

 昭和十五年の日本でこういう吞気な歌を歌いつつ、日常の日々をやり過ごしていける人々は、おそろしいまでに無防備な存在だ。なぜそこまで無防備になれるかと言うと、たとえば時局というものに関して、可能なかぎり正確で可能なかぎり広い範囲におよぶ情報というものを、なにひとつ持っていないからだ。よらしむべし知らしむべからずというお上の方針の効果的な運営の成果として、国民は時局情報に関しては丸裸であり、吞気に流行歌を歌うほかなかった。

 隣組の人たちが空き地に集まってラジオ体操をする場面がある。「歩け歩けの道」という標識の立っている、ゴルフ場的な起伏のある広い野原を、いくつもの隣組の人たちが、『歩くうた』という歌を歌いながら、ひとつの方向に向けて歩いていくという場面もある。撮影場所は東京だろうが、いまの東京からはこんな場所がいったいどこにあったのか、見当すらつかない広い野原だ。撮影カメラが野原を広くとらえたとき、画面の周辺に建物がひとつも入って来ない様子が興味深い。

 国民は体力を増進させ、それをもって国家に奉仕せよという考えのもとに、歩け歩け運動というものを日本国家は提唱していた。『歩くうた』はそのためのテーマ・ソングのようなもので、NHKが国民歌謡として作った。歩いている人たちは、遠目には兵士の行軍のようにも見える。しかも敗残のそれの。じつに奇妙な場面だ。

 ハナ子さんの夫、五郎さんは、会社に勤めている。賞与の出る日が来る。賞与とはボーナスのことだろう。お父さんたちみんなを誘って外で夕食を食べよう、ということになる。ハナ子さんはお父さんたちを誘いにいく。無駄づかいになるからふたりだけで食べなさい、などとお父さんたちは言う。ハナ子さんひとりが夫と落ち合う。賞与は国債でもらった、と夫は言う。だから現金は手もとにない。どうしよう、と言う夫に、お父さんのところでお茶漬けをごちそうになりましょう、とハナ子さんは答える。「ああ、それがいいや」と、夫は笑顔で言う。丸の内あたりだと思うが、歩きながらふたりは歌う。「一日のお勤めすんで日が暮れて、楽しい家庭のひとときを」という歌詞のある、もの悲しい歌だ。「なにはなくとも、せめてみんなで」などと、ふたりは歌う。

 親類の娘に、チヨ子という愛らしい女性がいる。高峰秀子が演じていて、まだ少女のように見える。傷痍しょうい軍人となって帰国した青年と、彼女は結婚する。隣組の人たちが座敷に集まり、披露宴をおこなう。生めよ増やせよですから早く子供を生んでください、と出席者のひとりが挨拶する。そこへ号外が届く。日本、イタリー、ドイツが三国同盟を結んだことを伝える号外だ。市民生活の細部に分け入って広報活動をしている軍部の男が、「起立!」と声を張り上げる。全員が立つ。彼らは万歳を三唱する。

 隣組が防火訓練をする場面がある。空襲を受けると爆弾が落ち、民家が燃える。それをバケツ・リレーで消すことの訓練だ。映画のために演出された場面ではあるけれど、隣組の防火訓練がどのようなものだったかは、よくわかる。

 東京が夜間に空襲を受ける。その次の朝、空襲警報が解除されたことを隣組が触れてまわる頃、ハナ子さんに子供が生まれる。男の子だと知って、家の前に集まった人たちは大喜びする。男だね、と五郎さんも喜ぶ。よかったわね、と布団に寝ているハナ子さんは答える。もしこれが女の子だったなら、この国家非常時に兵隊になれない女を生むとはなにごとだ、と検閲でひどく叱られたことは確実だ。厳しく処罰された上で、男の子で撮りなおしを強制されたのではないか。

 五郎さんに召集令状が届く。すでに書いたとおり、親子三人が公園のような場所で楽しくひとときを過ごす場面で、『ハナ子さん』という映画は終わっている。「健全」と「明朗」を旨とした『ハナ子さん』だが、見終わった印象としてはたいそうもの悲しい。きわめて深く劇的に悲しいという種類の悲しさではなく、浅さと淡さが最初から最後まで一定に保たれて進行する画面を見ていくと、見ている自分の周囲や背後にいつのまにか悲しさがふと漂っているという、そういった種類の悲しさだ。

 この当時の日本を客観的に俯瞰するなら、状況はすでに厳しさをきわめていた。その状況が片方に巨大に存在し、もう一方には、素朴な善良さを基調とした撃ちてし止まむ映画が一本あった。素朴で善良で無防備な人たちは、ごくごく軽いコメディそして歌という、もっとも手軽な娯楽をその映画から受け取り、おそらくは相当なところまで楽しんで満足した。

底本:『映画を書く──日本映画の原風景』文春文庫 二〇〇一年

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1943年 『映画を書く──日本映画の原風景』 太平洋戦争 映画 社会
2017年8月9日 00:00