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ふたりで語り合う物語。記憶のなかの、過ぎ去った夏。──(13)

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彼「どこの誰で、なんという名前なのかすら知らない人と、ふとしたきっかけで、ほんのひと言ふた言だけ話をし、すぐに別れて、それっきり二度と会うことがない、というミクロ的にドラマティックな会いかた、というものがあるよね。いろんな場所で、いろんな機会に、かなり頻繁にこういうことはあるのだろうけれど、オートバイがあいだに入っていると、妙にいつまでも忘れないものだよ」

彼女「ほんの一例でいいから、聞いてみたいわ」

彼「ふたりの男性の友人たちといっしょに、三台のオートバイをつらねて、夏の高原を走っていた。午後遅く、その高原にあるリゾート・ホテルに、僕たちはチェック・インした。駐車場の端に、三台ならべてオートバイを停め、ホテルの建物のほうへ歩いていきかけると、一台のオートバイが停めてあるのを、僕たちは見た。三人はそのかたわらに立ちどまり、そのオートバイを見物した。獰猛な精悍さが、きわめて洗練されたかたちで、ぜんたいに鋭くゆきわたっている、素晴らしいオートバイだった。見物しながらいろんなことを語り合っていて、最終的に僕たち三人が下した結論は、このオートバイの持ち主は女性だ、という結論だった。このホテルに泊まっているような感じだから、ひょっとしたらその女性の姿を見ることが出来るかもしれない。いったいどんな女性だろうねと、僕たちは話し合った。明くる日の午前中、朝食をすませた僕たちがロビーで新聞を読んでいると、ライディング・スーツに身をかため、ブーツをはいてヘルメットを持ったひとりの女性が、僕たちのまえをとおりかかった。あ、あのオートバイの女性だ、と僕たちは思った。オートバイに似合った、素敵な人だった。三十代の前半かな。すっきりしたきれいな人で、寄らば斬るぞ、というシャープな雰囲気を、持ち味としていつも身のまわりに漂わせているような人だった。彼女は、チェック・アウトして出発なのさ。僕は駐車場へいき、片隅で待っていたら、やがてわずかな荷物を持って、その女性が出てきた。オートバイへ歩み寄って、彼女は出発の準備をはじめた。それが終わった頃、僕はさりげなく近づいていき、彼女に話しかけた。彼女のオートバイの、メカニズムに関する、かなり細かいことをいきなり僕は話したのだけれど、彼女は気さくに応対してくれた。メカニズムのことを、彼女はよく知っていた。なれなれしく喋るわけでもないし、僕とのあいだにつまらない距離をとったままでもない、じつにいい感じで、彼女はさらっと、僕に接してくれた。僕たちもオートバイなのです、と僕が言って指さすと、彼女は、ちょっとのび上がって駐車場のむこうに視線をむけ、僕たちのオートバイを見てくれた」

彼女「そして、そこで終わりなの?」

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『彼の後輪が滑った』太田出版 1996年

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2017年5月25日 00:00
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