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ふたりで語り合う物語。記憶のなかの、過ぎ去った夏。──(12)

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彼女「あなたは、誰にオートバイを教えてもらったの?」

彼「父親の父親。祖父だね。子供の頃の僕は、祖父の実家のすぐそばに住んでいた。父親のほうの家系が、そこで何代も続いてきた場所さ。祖父が住んでいた家の裏には、祖父の所有する敷地が、山までずっと広く続いていた。庭に相当する部分は、平たくなって手入れがされているのだけれど、そこからむこうは、野原だった。トライアルやモトクロスの真似ごとを子供がおこなうには、ぴったりの場所だった。そこで、僕は、祖父にオートバイを教えてもらった。いちばん高い築山のようなところの頂上に、祖父が立っている。僕がオートバイでぐるぐると走りまわるのを、祖父はそこから見ていた」

彼女「そのお祖父さんの、まだ若い頃のエピソードを、なにかひとつ聞かせて」

彼「祖父がいまの僕とおなじ年齢だった頃の話。九月二十六日。祖父が語ってくれた日付を、僕は覚えている。台湾の東の海上に、台風がいた。のろのろと動く台風で、台湾の東の海上まで来て、そこで停止してしまったと言っていいほどに、速度を落としていた。そんなとき、祖父はオートバイでソロ・ツーリングをしていて、人里を離れた気象観測所を訪ねた。測候所だね。ひとりしか駐在していない係官にお茶をごちそうになり、話をして一時間ほど過ごした。祖父が出発しようとしたとき、台風が突然に駆け上がりはじめた、という情報が届いた。たいへんな速度で移動をはじめ、九州南部に不意打ちをくらわす気配が濃厚になった。動きの鈍い台風に注意しながらも、漁村の漁船はすべて漁に出ていた。漁村へ急を知らせなくてはいけない。その役を、オートバイの祖父が引き受けた。祖父は漁村まで全速力で走り、台風の突然の北上を伝えた。無線で連絡を受けた漁船は、いっせいに引きかえして来た。そのすぐうしろから、台風が追ってきた。そのあたり一帯は、台風の直撃を受けたけれど、海上で台風に襲われることだけは、避けることが出来た。というエピソード。昔という、いまとはまったく異なった時代のなかでしか成立しないような、のどかなエピソードだね」

彼女「お祖父さんの姿とオートバイとが、目に浮かぶようだわ」

彼「父親の実家へいくと、写真がたくさんあるよ。手帳なども残っているし、工具だってそのままある。八月の光のなかで、ツクツクボウシがどんなふうに鳴くか、その鳴きかたが手帳に書きとめてあったりするんだ」

彼女「楽しいわ」

彼「いろんなことを教えてもらったよ。気候その他、自然の現象は、五日ごとに次の段階の現象と入れかわる、というようなことは、子供の僕の頭に、しみこんだね。だからオートバイで旅に出たりすると、僕はいつのまにか、五日単位で時間を計っていることに気づく」

(底本:片岡義男エッセイ・コレクション『彼の後輪が滑った』太田出版 一九九六年)

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2017年5月24日 00:00
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