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『スローなブギにしてくれ』

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 角川文庫から出た僕の作品の、最初から数えて四作めに、『スローなブギにしてくれ』というのがある。一九七九年に文庫で出た。それ以前に『野性時代』に書いた五つの短編が収録してある。表題作はそのうちのひとつだ。まず最初にこれも単行本で出た。一九七六年あたりではないだろうか。『野性時代』に書いたのは、そのさらに一年前、おそらく一九七五年のことだ。

『スローなブギにしてくれ』は、コミックスを言葉で書いた試みだ。この頃、そのような試みを、いくつかの短編で僕はおこなった。小説を書くための模索の経路のひとつだった、と言っておこう。仮にそう言っておくのではなく、本当にそうだった。文庫本のジャケットの袖に印刷してある文章を、またもや引用しよう。これも僕が書いたものだ。

「彼の第三京浜は今日も薄曇り。走っても止まってもうんざりの毎日へ、類は友を呼んであいつがあらわれた。ヘッドライトを消すと夜明けが来て、いよいよ朝のどんづまり。わかってない奴らは、これを青春と呼ぶ」

 これだけを読むと、この短編集をつらぬく主題は、かなり救いのない世界であるかのように思える。しかし、本当はそうではなく、救いはある。『彼のオートバイ、彼女の島』のところで書いた、「四畳半」的な世界が、救いとして存在している。『スローなブギにしてくれ』に限って言うなら、それは特に顕著だ。若い男女の主人公が、オートバイによって路上にほうり出してある印象を強く受けるかもしれないが、最終的にふたりは「四畳半」に落ち着く。これから先、彼らの人生はおそらく多難だろう。しかし、若い彼らは、普通の男と普通の女であることによって、「四畳半」的な世界にひとまず手を触れる。そしてその感触は、かならずしも悪いものではない。

 普通の男と普通の女。小説の主人公として、彼らに進路はもはやないように僕は思う。普通に見えてじつは普通ではないなら、そこにだけ、彼らの進路はある。小説を二十年にわたって書いて来て、そのことを僕は学んだと言っていい。その僕のデビュー作にあたる『ロンサム・カウボーイ』も、僕の角川文庫の三冊めとして、文庫になった時期がある。アメリカを舞台にした十四編のストーリーのなかに、オートバイに乗る男の話がひとつある。助走路をオートバイで走って来てジャンプ台を踏み切り、その向こうにならべて停めてある何台もの車を慣性で飛び越えるというショーを人々に見せている、一見したところ単純きわまりない男性の物語だ。小説の主人公に男性を持って来るなら、このようなたいそう変わった男でないことには、書く意味はほとんどない。

(初出・底本:片岡義男エッセイ・コレクション『彼の後輪が滑った』太田出版 一九九六年)

今日の1冊|スローなブギにしてくれ

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2017年5月22日 00:00
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