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『ときには星の下で眠る』

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 一九八〇年までさかのぼると、『ときには星の下で眠る』という、中編よりやや分量の多い小説がある。高校の同級生だった親しいオートバイ仲間が、ある年の秋、高原に集まって来て再会する、という単純なストーリーだということは記憶している。再会の物語には、過去と現在というふたとおりの時間のほかにもうひとつ、過去と現在のあいだですでに経過し去ったにもかかわらず、過去と現在をいまも結びつけている時間が、必要だ。過去と現在とを結びつけている時間とは、要するにあのときから現在までのあいだに、親しい仲間たちのそれぞれが体験して来た人生のエピソードだ。エピソードをさまざまに語りながら、再会した人たちは過去と現在とのあいだを、行ったり来たりする。

 再会物語のほうには、しかし、僕はさほど興味はなかったらしい。ほんとに興味があるなら、もっと凝った再会物語を書いたはずだ。あるいはこの頃の僕に書けたのは、せいぜいこの程度だったのか。再会物語よりも僕が書きたかったのは、秋という季節と気象条件のなかにある、どことはいいがたいけれども確かに日本であるはずの、一定の地形の上をオートバイで走ることだった。秋という季節感、そしてその季節感にくるみ込まれた地理体系そのものに、オートバイで走る人はなってしまう。そのことを書くために、僕は再会の物語を借りている。ある程度のストーリー、つまりある程度の量の時間のなかにまんべんなく引きのばしたかたちで、季節感そのものになってしまうライダーというものを、僕は書こうとしたのだろう。

 冒頭の四ページほどを、採録してみよう。再会物語の主人公のひとりが、かつての自分たちの場所であった町へ、オートバイで戻って来る情景だ。峠道の底にある町や村に秋の夜の冷気がたまっている状態は、冷気湖と呼ばれている。


 一〇月の終り、快晴の夜、つづら折れのながい道路を、彼はオートバイであがってきた。峠のてっぺんまでのぼりきると、そこがちょうど標高二〇〇〇メートルだった。標高二〇〇〇メートル、と簡単に記した小さな標識が、ヘッドライトの光りの輪のはじっこに、一瞬、浮かんだ。
 峠の頂上をしばらくいくと、展望台のようなスペースが、道路の左側に、広くつくってあった。彼は、オートバイをそこに入れた。減速しつつ展望台の突端までいき、オートバイをとめた。
 小さな盆地のなかの町の明かりが、眼下に見渡せた。盆地は四方を山にかこまれ、細長い地形だ。町は夜の底に沈んでいる。エンジンをアイドリングさせたまま、左足を地面につき、彼は町の明かりをながめた。
 その盆地を北から南へつらぬいている街道を、点在する明かりのなかに、彼はたどることができた。盆地のちょうどまんなかあたりに、明かりがひとかたまりにあった。彼が生まれ、育った町だ。
 町のむこうに、明かりのひとつもない黒い部分がある。湖だ。湖のほとりを、ごく一部分、明かりが縁どっていた。
 湖の南には、となり町の明かりが、これもひとつにかたまって見えた。
 四年ぶりに、彼は自分の故郷を、峠のうえから見おろしている。ここからこうしてながめているかぎりにおいては、自分の町は四年まえとなんら変わりはなかった。
 風が吹いた。風は、冷たかった。昼間は典型的な小春日和で、返り咲きしているタンポポを見たほどだが、夜になると、風の冷たさは、秋が確実に冬とかさなりはじめる季節の冷たさとなっていた。
 地面につく足を右足にかえた彼は、クラッチ・レバーを握り、ギアを一速に踏みおろした。大きく半円を描き、展望台のスペースから道路に出ていった。4サイクル2気筒で合計650CCに近い排気量を持ったエンジンは、夜の峠の冷気のなかへ、乾いた粘りのある排気音を、排気管から叩き出した。
 北からこの峠へのぼってくるには、文字どおりつづら折れの道路をこなさなくてはいけない。だが峠の頂上をこえ、盆地にむかって南へくだっていくときには、大きなS字のカーブがひとつあるだけで、あとはほとんどまっすぐに、山裾のスロープを町にむかって、道路はのびている。
 峠の南側は、樹のすくない牧草地のスロープだ。視界をさえぎるものはなにもなく、夜の盆地の底にむかって滑降していくような錯覚が、オートバイなら楽しめる。
 彼は、久しぶりに、その錯覚を楽しんだ。標高二〇〇〇メートルの峠から、標高一〇〇〇メートルの盆地の町にむかって、降りていく。オートバイと彼の体とが一体になって切り裂く風は、その一〇〇〇メートルの落差のなかをくだるにしたがい、冷たさを増した。透明感をたたえた冷たさだった。冷たい空気が盆地いっぱいに満ちていて、そのなかへ降りていく実感が、はっきりとあった。
 今夜のこの盆地は、早くも冷気湖だ。よく晴れた夜、大地は昼のあいだにたくわえた熱を空気中に解き放ち、急激に冷えていく。その大地と接しあっている空気も冷える。冷えた空気は、重い。重さにまかせて山裾のスロープをすべり落ちていき、冷たい空気は盆地にまるで湖のようにたまる。
 町にむかってスロープをほぼ降りきったところで、国道と合流した。古くからある街道が、そのまま国道に昇格した道路だ。国道と併行しつつ見えかくれしている鉄道の線路は、この地点から大きく離れていき、湖の東側をまわり、となり町の南へ抜けていく。国道は彼の町の西側をまわり、湖の西を抜けてから、湖ととなり町とのあいだを東にむかう。
 自分の町の西のはずれで、彼は国道から県道に入った。この県道が町をつらぬいていて、鉄道の駅でいきどまりになる。駅から一キロほど離れたところから、この町の中心的な町なみがはじまっている。
 赤信号でとめられたとき、彼はグラヴの裾を指さきでまくり、腕時計を見た。九時をすぎていた。この時間になると、信号は一定の間隔を置いて赤になるだけで、それによってとめられる車の流れは、ほとんどなかった。
 見なれた町なみは、四年ぶりという時間の経過のせいだろう、多少の違和感があった。二軒か三軒を残して、明かりの消えている商店街は、彼が記憶している町なみよりも小さく感じられた。
 町のまんなかにむかってゆっくり走っていき、十字路を彼は左折した。そのまましばらくいくと、道路の左側に、先生の店があった。

(初出・底本:片岡義男エッセイ・コレクション『彼の後輪が滑った』太田出版 一九九六年)

今日の1冊|ときには星の下で眠る

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2017年5月20日 00:00