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『山の音』

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──失われた日本、消えた昭和。半世紀以上も前の映画に触発されて蘇る、淡い記憶の数々。

 一九三五年(昭和十年)に『乙女ごゝろ三人姉妹(きょうだい)』、そして一九五一年(昭和二十六年)には『舞姫』と、成瀬巳喜男は川端康成の小説を原作に得て二本の映画を作っている。一九五四年(昭和二十九年)に公開された『山の音』は、成瀬にとって三作目の、川端康成・原作の作品となった。映画化されたとき原作はまだ未完だった。だから映画としての物語の決着のしかたは、脚本を書いた水木洋子による創作だ。

 この時代に刊行された文芸作品の単行本を古本で買うと、一例として、「東宝企画室」といった丸いゴム印が見返しに押してあるものを、かなりの頻度で手にすることになる。真面目でやや重苦しい雰囲気の、昔ふうなゴム印だ。外側の丸い枠が、細い罫といま少し太い罫の二本で構成されていたりする。映画の原作に使えそうな文芸作品を常に探し求めては、目についたものは購入していたのだろう。当時の日本では、映画はなにしろ多作されていた。玉石混淆の多作をもって、当時の日本映画は黄金時代のなかにあった、といまでもしばしば言われている。原作に対しては充分にそれを尊重し敬意を表するけれど、制作の現場における態度としては、けっして悪い意味ではなく、ちょっと拝借、というようなことだったのではないか。

『山の音』という成瀬の作品は、傑作、秀作、佳作、力作といった言葉のなかからもっともふさわしいものを見つけ出すなら、凡作がいちばんいいように僕は思う。なぜ凡作なのか、その理由には、確かなものがひとつある。原作となった川端の小説を読めば、それはすぐにわかる。かなりのところまで細々と作り込まれた虚構のぜんたいにわたって、著者の心境、つまり著者の肉体と精神がそのときあった境地が、存分に浸透させてある小説だ。「戦後の日本文学の最高峰に位するもの」(『山の音』新潮文庫、第九十一刷の、山本健吉による解説より。以下、鍵括弧内の引用はすべておなじ)であるこの作品は、どのようなフィクションなのか。

「日本の中流の家庭の、一種名状しがたい暗い雰囲気」が、物語の背景、つまりすべての発生現場となっている。断るまでもないかとも思うが、ここで言う「日本」とは、昭和二十年代の終わりから三十年代の初めにかけての日本だ。そしてそのような日本はもはやどこにもない。かろうじて、『山の音』のような小説のなかにだけ、フィクションとして残っている。「日本の中流の家庭の、一種名状しがたい暗い雰囲気」のなかに描き出されるのは、ひとつの家庭を構成する何人かの人たち相互の関係にほかならない。

 主人公の尾形信吾(山村聰)という男性は、丸の内にある小さな会社の社長をしている。六十二歳の彼は妻の保子とともに鎌倉の自宅に住んでいる。信吾には修一(上原謙)という息子がいる。彼は菊子(原節子)という女性と結婚している。子供はない。そして彼ら若い夫婦は、鎌倉の家に同居している。修一は父親の会社で働いている。家族構成としては親と子との二世代の同居であり、これは珍しくもなんともない。ここにどのようなフィクションをどう作れば、「戦後の日本文学の最高峰」が生まれるのか。

 信吾には娘もひとりいる。房子(中北千枝子)だ。夫の仕事がうまくいかず、なおかつその夫には他に女性がいる。生活はいろんな意味で立ちゆかなくなり、幼いふたりの子供を連れた房子は緊急避難的に鎌倉の実家へ戻ってきて、そこに居ついたようなかたちになる。これもよくあることだから、人数は増えても物語にはなっていかない、などと僕は思う。

 信吾の心のなかには、じつはあるひとつの過去が、過去にはなりきらないままに現在へとその触手をのばし、彼をめぐる現在になんらかの影響をおよぼしている。そしてこのことが、「一種名状しがたい暗い雰囲気」の発生源となっている。信吾はいまの奥さんである保子と結婚する前に、保子の姉に強い憧れを抱いていた。若い頃の保子よりもはるかに可憐なタイプの美人だった。そしてこの姉は、他の男性と結婚してのちに、若くして他界した。彼女に対して抱いた、「一人前に開花しない前の女の美しさへの憧憬」とおなじものを、修一の嫁である菊子に対して尾形信吾は抱いている。菊子は信吾にとって、かつて強く憧れた保子の姉と、内面も造形もおなじタイプの美人なのだ。いまだ消えていない過去が、身近にいるこの菊子をめぐって、信吾のなかには常にいろんなかたちで蘇っている。

 信吾と長年連れ添った奥さんである保子は、このことをよく承知している。だからと言って、現在の彼らの関係がいまさらどうなるわけでもないのだが、承知していることは確かだ。長女の房子もおそらくとっくに気づいているが、そのような父親が、菊子も含めて、彼女にとっては単にうっとうしいだけなのではないか。たとえば菊子を自分と重ね合わせると、とうてい憧れてなどはもらえない不美人な自分、というものが浮かび上がってくるだけだし。

 修一も気づいている。菊子のどこに、どのような内容で、父親の気持ちが強く向かっているのか、彼はよく知っている。こうしたことぜんたいが彼にとっては不愉快であり気に入らないから、お前は子供だ、という言いかたでことあるごとに菊子をなじり、常に批判的で冷たい。その延長として、自分が勤めている会社で父親の秘書のような役を担当している若い女性(杉葉子)を遊び相手にし、戦争未亡人(角梨江子)という大人の女性を愛人にしてもいる。

 当の菊子は、どうなのか。夫の父親が自分に向けてくる気持ちの内容に、気づいてはいるのだろう。自分に対してそのようなかたちで優しくある舅(しゅうと)の信吾に菊子はなついているし、きわめて親しい感情も持っている。自分に対する夫の冷たい態度がどこから生まれるものなのか、舅を経由して充分に理解出来るはずなのだが、尾形家というひとつの家族の関係のなかで、この菊子が映画のなかではいちばんわかりにくい。

 小説を知った上でそれを映画に重ね合わせると、『山の音』という映画はいっきょに暗くなる。そしてその暗さは悲しくもあるだろう。しかし小説では核心となっているものが、映画からはすっぽりと抜け落ちている。だからこの一編の長編劇映画が、いったいなにを目ざしているのか、なにもわからない。脚本にそのような意図があるからだろう、と僕は判断している。信吾にとってはいまだ消えていない過去が、彼を中心とした現在の家族の関係を暗くするという物語を、そのような家族から自らを断ち切ることによって自由を獲得していく女性たちの物語へと横滑りさせることを、脚本の水木洋子は考えたのではなかったか。

 

170426_『山の音』

山村聰、原節子 1954年, TOHO Co., LTD.

 六十二歳の尾形信吾さんは信州の出身であるようだ。すでに書いたとおり鎌倉に住んでいて、丸の内にある会社の社長をしている。会社の名は東神産業という。なにを営業品目としている会社なのか不明だ。台詞のなかにひと言ふた言、手がかりがあるかと思いながら最後まで見ても、判明しないままだった。社内がセットで何度か画面に出てくる。社員の数は少ない、小さな会社のようだ。この映画が制作・公開された一九五四年には僕はまだ子供だった。だから丸の内にある会社とは、それが小さくても大きくても、接触はいっさいなかったはずだが、セットで作られた社内が画面にあらわれるたびに、この光景はどこかで見て知っている、と僕は思った。なぜそう思うのか、これもいまだに不明だ。

 ささやかに成功して静かに生きている穏やかな中道の人、それが尾形さんだ。映画の画面で見るかぎり、彼はそれ以外ではあり得ないような人物だ。「凡人の生涯はどうやら無事に生きられれば成功だ」と、彼は言っている。この尾形さんが奥さんの保子さんと住む家に、長男の修一とその嫁の菊子が同居している。修一は三十代なかばで、父親の会社に勤めている。映画に描かれているかぎりでは、彼は論外の駄目男で、箸にも棒にもかからない。結婚して四年ほどにはなるはずの菊子との夫婦仲は、もはや修復は不可能と思えるほどに冷えきっている。

 なぜそうなったのか、映画を見ているかぎりでは、これもよくわからない。菊子のなにかが気に入らないのだろうな、という程度まではわかるけれど、なにがそれほど気に入らないのかについての説明はいっさいない。「お前は子供だ」と、修一が菊子に言う場面が二度か三度ある。では修一にとって大人の女性とはなになのか、それも提示はされないが、あとのほうになって彼が外に作った愛人が画面にあらわれる。その女性を見て、修一にとって菊子が子供ならこの人が大人なのだろうな、と思う人はいるかもしれない。

 その菊子は、その修一の父親の尾形信吾とは、きわめて良好な関係にある。尾形さんは菊子をたいそう好ましく思っているし、菊子も彼に親しくなじみ、気持ちを大きく彼に預けている。なぜこんなにふたりは仲がいいのか、それも説明はないから、これはいったいなんだろうか、と思う人は少なくないだろうし、修一が菊子を気に入らないのは父親と仲が良すぎるからなのか、と思ったりもするだろう。そもそもなぜ修一は菊子と結婚したのか、その理由や状況も不明のままだ。前方に向けて展開するはずの夫婦関係への手ごたえなどなにもないままに、とにかく結婚だけはした、ということなのか。だから菊子という人もよくわからない。「あれで芯がきついんですねえ」と、保子さんが菊子を評する台詞がある。「あれで強情ですからね」と、修一も言っている。

 会社の仕事が終わったあと、修一は東京で酒を飲んで遊び、夜遅くに鎌倉へ帰宅する。「お帰りなさいませ」と言って菊子が静かに出迎える。修一は口をきかない。「お茶漬け、召し上がります?」と菊子が訊ねる。「いらない」と、修一は答える。「お風呂、沸いてますけど」という菊子の言葉に、修一は、「やめとく」とだけ言う。服を着たまま布団に仰向けとなる修一に、お湯にひたして絞った手拭いをお盆に載せて、菊子は持ってくる。修一のかたわらに腰をかがめて盆を置き、「お顔だけでも、ちょっと」と、彼女は言う。風呂へ入らないのなら顔だけでもこの手拭いでふいてくれ、ということだ。ここで使われている「ちょっと」というひと言は、さまざまな状況で便利に役立つ、ほぼ万能と言っていいような言葉だったようだ。修一が日曜に外出するときには、「おい」と呼ぶと菊子が玄関にあらわれ、「お呼びになりました?」と、夫の修一に訊く。「ハンケチ」と、修一は言う。俺のハンケチを持ってこい、という意味だ。

 このような状態の修一と菊子なのだが、それでもなお、菊子は妊娠する。修一の子供を腹に宿すのだ。いったいなぜか、と僕は思う。夜遅く、布団に仰向けに寝そべっている修一のかたわらへ寝巻姿の菊子が来て、隣に敷いてある自分の布団に入ろうとする。「菊子」と、修一が呼ぶ。嫌そうに怯えたような表情で、菊子はその言葉に反応する、という場面が二度ある。「こっちへ来い」と修一に命令されて菊子はしたがい、その結果としての妊娠だろうか、という程度の推測なら僕にも出来る。

 菊子は中絶する決意をし、その決意を夫に伝え、実行する。彼女が実行したこの中絶は、夫との婚姻関係の解消でもある。単なる中絶ではなく、そこまでも含めた中絶である、という菊子の決意だ。冷えた夫婦の仲を子供でつないだりはしない、ということだ。これは菊子にとって、自立の第一歩なのだろうか。夫婦ふたりだけで別の家に住んでみてはどうか、という尾形さんの提案に対して、お父さまがいないと寂しい、私はひとりになるのは怖い、などと菊子は本気で答える。

 菊子という人の造形はいまひとつはっきりしないが、あまりにもひどい状況からは自らの意志でそこから脱出するのだろう。尾形さんを家長とする家族の関係からの離脱を、冬の新宿御苑で菊子は尾形さんに伝える。「菊子になんにもしてやれなかった。かえって束縛した。許してくれ。いまの私に出来ることは、菊子を自由にしてやることだ。幸せになってくれ。菊子は自由だよ。誰にも遠慮したり束縛されたりする必要はないんだよ」と、尾形さんは言う。菊子の造形が不明確だから、尾形さんも単なる優しくて穏やかな人でしかない。

 

 外に女がいるという言いかたは、いまでも人々に使われているだろうか。修一には外に女がいる。戦争未亡人、と自ら言う、絹子という女性だ。洋裁店に勤めている彼女は「腕が確か」で重宝されているという。客の求めに応じて注文服を作る人、ということだろう。一軒の家を借りて池田という友人とふたりで住み、自活している。その友人は家庭教師をしていて、子供がひとりいるという設定だが、その子供は夫の実家に置いてある。彼女もひょっとしたら戦争で夫を亡くした人だ。

 いきさつは不明だが、修一は絹子と知り合って交際を深めた。修一には奥さんがいる事実を絹子は承知の上だった。関係は深まり、絹子は彼の子供を宿すにいたった。絹子が妊娠したことを知った修一は、彼女を殴る、蹴る、踏みつける、階段から引きずり降ろす、というような乱暴を働いた。その修一に対して、妊娠はしたけれどあなたの子供ではない、と言って絹子は修一と別れた。修一に対する、ほぼ決定的な報復だ。

 子供は生む、と絹子はきめている。子供が欲しい、という自分の意志によってのみ、子供が欲しい。別れた浮気相手の駄目男の子供ではあっても。子供が欲しい、だから生む、という決意のなかに確認する自分、というものがあるのだろう。

 この絹子を角梨枝子が演じている。絹子が友人の池田とふたりで住んでいる家を、尾形信吾が訪ねる。会社では社長である彼の、社長室のなかに机を持っている谷崎という女性から、尾形はその家のありかを教えてもらった。谷崎は修一の遊び相手だから、絹子とは面識以上の接触がかねてからあった。一度会って話をしたい、話を聞きたい、という気持ちでやって来た尾形と対峙する絹子は、映画『山の音』のなかに登場する、保子、菊子、絹子、房子、谷崎、という五人の女性たちのなかで、もっとも印象が強い。

 尾形が彼女の家を訪ねると、絹子は留守で池田がいる。もう帰宅する時間だからと言われ、尾形は部屋に上がって待つ。やがて絹子が帰宅する。尾形の前へ出るまで、絹子は肩から上くらいのショットで、背後あるいは斜めうしろからのみ、とらえられている。尾形の前にすわって初めて、絹子の顔がアップになる。一九五四年当時、理知的で意志の強い現代的な美貌、と呼ばれたはずの角梨枝子にとって、このアングルから撮るのがもっとも良い、と言うべきアングルでアップになる。

 尾形のことを絹子は、修一に代わって話をつけに来た父親、ととらえている。修一の延長であり、修一よりも高圧的に、子供は堕ろせ、と強制されるはずだ、と絹子は身構えている。だから彼女は最初から喧嘩腰の切り口上だ。「修一さんのことでしたら、お話はありませんわ。私に謝れとおっしゃるの?」と、彼女の台詞は始まる。「でも、子供のことが……」と、ふと弱気になって顔を伏せると、「子供が出来ているのですか」と、尾形が訊ねる。絹子が妊娠している事実を、尾形はこのとき初めて知る。その尾形に絹子は次のように言う。「私の自由ですわ。生もうと生むまいと、端からなにも言われることないわ。ひとりの女が子供を欲しいの、なにがいけないんです。戦争未亡人がひとりで生む決心をしたのですわ。なにも人様にお願いすることはないけれど、生ませてやって欲しいわ。子供は私のなかにいて、私のものです」

 中絶せよ、という強制を、絹子は修一から執拗に受けたはずだ。それをかいくぐり、撥(は)ねのけ、修一と手を切った上での出産の決意であり、尾形さんがどのような考えの人なのかはまったく知らないままに、絹子は一方的に自分の考えを言葉にしている。場面としては印象は強いけれど、物語のぜんたいに効果的に組み合わさってくるわけではないので、そこが僕という観客には残念だ。夫の子供を生まない決意によって確認する自分が菊子なら、絹子と菊子は一対をなす関係にあるとは言えるけれど、そう言ってみたところで、物語ぜんたいの出来ばえに変わりはない。

 自分の会社の社長である尾形さんは、社長室として個室を持っている。その個室のなかに机を置き、社長の秘書のような立場で事務をとる谷崎という独身の若い女性が、物語の材料としては僕にはもっとも豊かな可能性を秘めているように思えた。修一その人に対しては寄せる思いがなくはないものの、彼と菊子、そして絹子との関係の推移を見ていると、捨て去ることこそふさわしい男だと判断し、そのとおりにするのが谷崎だ。修一にとっては手近にいつもいる便利な遊び相手だ。すっきりと細身の美人で、気が利く怜悧な人だ。今日これから踊りにいかないか、などとダンスホールに誘う相手として最適だろう。

 この谷崎という女性も、尾形を修一の延長だと思っている。だから尾形に対する谷崎の言葉は硬い。谷崎は修一に対してだけでなく、その修一に一時的にせよ心惹かれた自分自身にも腹を立てている。絹子に会いたいと言う尾形に、谷崎は絹子との橋渡しをする。修一に対する報復の一種だろうか。

 絹子について修一が言っていたことを、谷崎は尾形に伝える。絹子さんはいつもひどく風邪を引いたような声で、それがエロティックだと修一さんは言ってました、と谷崎は言い、その絹子と比較して菊子をどのように修一がとらえていたかについても、自分の感想を加えて谷崎は尾形に語る。「菊子さんのことを、子供だ、子供だと、いろんな意味でそうおっしゃってました。無理ですわね、若奥さまに娼婦のようなことを」修一をまんなかに置いてその両側に絹子と谷崎を配し、その三人の物語をもっと徹底して作れば、面白い映画が出来たのではなかったか。

 尾形さんの長女である房子は、一対となっている絹子と菊子に対照された存在だろうか。あるいは、絹子と菊子は一対ではなく、それぞれ切り離された存在であり、そこに房子も加えて、三者三様に提示されているのかもしれない。房子は相原という男と結婚し、赤子と四歳くらいの女の子の、ふたりの子供がいる。夫の浮気、そして経済の不安定などの理由から、房子は子供を連れて緊急避難的に鎌倉の実家に身を寄せる。相原という男については、「人に騙された」「密貿易をやってるようだね」などという台詞がある。なんとかしようと思ってそれなりに動いてはいるけれどうまくいかないという、この時代の日本映画によく登場した男だ。敗戦後の混乱と困窮という不定型な渦のなかで、次の時代というさらに動きの激しい変化に対応出来ずにいる男だ。

 夫の浮気に関して、「自分に魅力がないから、夫に勝手なことをされるんです」と、房子は言っている。「私が生まれたとき美人ではなかったので、お父さまはがっかりなさったのね」とも言う。ああ言えばこう言う人だが、なにを言ってもそれは建設的ではないから、自分をめぐる事態は改善されないし、自分にとっての前方への推進力にもならない。寝間着のままうろうろしているのを、だらしない、と父親に注意されると、房子は次のように言い返す。映画での台詞は小説のなかに書かれているのとほぼおなじだから、小説から引用してみよう。「わたしは相原がだらしがないから、どうしたって、だらしがなくなりますよ。だらしがない男のところへ、嫁にやられたら、だらしがなくなったって、しかたがないじゃありませんか。娘のだらしがなくなるのがおいやなら、嫁にやる先が、だらしがないかどうか、よく調べていただきたかったわ」

 鎌倉の実家で房子が朝食のあとかたづけをしながら、母親の保子に対して父親への文句を言う場面の台詞を紹介しておこう。房子が茹(ゆ)でたほうれん草に父親がなんらかのかたちで不満を示したことが、以下のような台詞の発端となった。

「お父さまもずいぶん面白いお父さまね。ほうれん草がうだれすぎてたら、そうおっしゃればいいじゃないですか。よそから来た嫁よりも、自分の娘に遠慮なさってるんですから。すり餌になるほど茹でたわけじゃなし、ほうれん草はほうれん草のかたちをしてるわ。ほうれん草の茹でかたに、上手も下手もあるもんですか。菊子さんがいなくても、ほうれん草に変わりはないんですからね。ふん、辛気くさい。嫌だ。美男の息子と美女の嫁がいないと、お食事もまずいんですかね」白いエプロンをつけた房子は、畳に膝をついて大きめの盆に食器をすべて載せ、立ち上がって茶の間から出ていき台所へ向かう。そして戻ってきて、さらに次のように保子に言う。「菊子さんの手料理でなくても、黙って食べていただきたいわ。お父さま、黙りこくって、まずそうに召し上がるのよ。私だって寂しいわ」

 

 一九五四年の映画をいま観ると、経過して去った半世紀を越える時間のなかで失われていった日本、消えていった東京、とも言うべき点景が画面のなかにしばしばあらわれ、それらに対してきわめて新鮮な驚きを覚える。一九五四年には僕は子供として東京にいたから、いまは失われた日本、あるいは消えた東京、つまりあの時代を生きた人たちの日常生活を埋めていた、細々としたあれやこれやを、けっして知らないわけではない。知らないわけではないけれど、記憶の底で消えかかっていたもの、あるいはもはやごく曖昧にしか想起することの出来ないものなどを、画面に手助けされて、具体的なディテールの連鎖として、記憶の底から蘇生させ更新させることは可能だ。そしてその作業には、まるで新たな発見のような、新鮮な驚きがともなう。と同時に、あの頃と並列して比較する現在の、途方もない変わりようの確認も、発見のうちだと言っていい。

「お風呂、沸いてますけど」という菊子の台詞は、消えた日本の一例だ。風呂が沸く、という言いかたの意味が理解出来ない人たちが、すでに多数存在するのではないか。風呂の浴槽に満たした水が、適温の湯として沸いている、という意味だ。水を沸かしたから、それは沸いている。沸かす役目は菊子のものだったろう。燃料は薪だったか、それともガスか。僕の記憶をたどると、一九五四年の東京で、ごく普通の家庭でも風呂はガスで沸かしていた。ガス風呂、という言葉をいま僕は思い出す。ガスで沸かす、という新しい方法であったがゆえに、それはガス風呂なのだった。浴槽のいっぽうの端には水を湯にするための金属製の釜があり、その釜のなかを水が循環しては、湯へと熱せられていった。そしてその釜には焚き口があり、そのなかにガスのバーナーがあった。口火という小さなノズルを開き、口火からガスを噴出させてそれにマッチで火をつけ、しかるのちメイン・バーナーの栓をおもむろに開き、それに口火の火を移した。このメイン・バーナーの火が釜を熱した。いま僕の住んでいる家では、湯の栓を開けるだけでいつでも湯が出てくる。最高だと七十五度の熱さだという。そしてこれは特別なものでもなんでもなく、いまや日本じゅうどこにでもいきわたっている。驚くべきはこのことのほうだろう。

 失われた日本、消えた東京を画面のなかに確認するだけでも、『山の音』は一見の価値を持っている。鎌倉駅のプラットフォームがあらわれる。駅の正面が全景で登場する。駅前でロケをしたのだ。浄(じょう)明(みょう)寺(じ)線(せん)という路線バスの停留所が、駅から広場を越えた向こうにあったようだ。そのバス停留所やバス、そしてそこでバスを待っている人たちも、画面で見ることが出来る。

 尾形さんが自宅へ帰る途中、鎌倉の住宅地のなかにふと魚屋がある。いまの人としてこの光景を見るとかなり奇異に感じるけれど、当時はべつになんでもないごく普通にある景色だった、と言っていいように思う。その程度の記憶は僕にもあるのだが、確かな記憶かどうかは、もはや確認のしようもない。自転車で豆腐を売っている男性が、笛を吹きながらゆっくり走っていく。この笛の音はいまでも現役なのだが、自宅にいるときふとこの音が聞こえてきて、それがなにを意味するのかわかる人は、少数派に転落しているのではないか。

 尾形さん一家が住んでいる家は戦前からのものだろう。戦前の、ある程度までは裕福な人の、ごく普通の自宅だ。じつに平和で静かだ。縁側と庭との、相互に溶け合う微妙な関係のありようは、完全に失われた日本の典型であり、これが日本の人たちの日常生活のなかに蘇ることは二度とないだろう。電報を配達する郵便局員が庭のほうへ入ってきて、そこで縁側越しに家の人が電報を受け取る。激しく雨の降る夜の描写は、人物たちの心理状態の背景として成瀬監督は多用した。『山の音』にも雨の夜がある。停電になって蠟燭を灯す。雨と風が激しいだけで停電になることもあった時代だ。短くなった蠟燭に新しい蠟燭を継ぎ足すしぐさを、尾形さんつまり山村聰がやってみせる。ぜひ見ていただきたい、と僕は思う。

 浴室のガラス戸の前にある脱衣所とも廊下の続きともつかない、板張りの床の細長いスペースの突き当たりに小さな窓があり、その下が洗面台だ。この時代の洗面台およびそのスペースとしては、かなり良いほうではないか。雨戸を開ける場面がある。雨戸を開けると、それまでは暗かった部屋が急に明るくなる。寝坊をしていた人は布団のなかで、外から射し込む光をまぶしそうに手でさえぎる。夜、敷いてある布団にうつ伏せに横たわり、開いた本を枕に斜めにもたせかけ、枕元の電気スタンドの明かりでその本を読みながら煙草を喫う、という光景もある。懐かしの昭和ではないか。

 大人の男たちは外から帰宅すると服を脱いで着物に着替える。奥さんがそばにいて手伝う。帯の締めかたなど、男たちはさまになっている。尾形さんも息子の修一も、外ではフェドーラをかぶっている。僕にはフェドーラとしか言えないが、ソフト帽とか中折れ帽と呼ばれていたようだ。ソフト帽にレインコート。出社した社長の尾形さんが社長室に入ってフェドーラをぬぐ。差し出すまでもなくそれを部屋つきの谷崎が受け取り、壁ぎわにある帽子掛けに掛ける、という一連の動作が日常のものとして日本にもあった。フェドーラとレインコートは、お洒落ではなく一種の作業衣のようなものではなかったか。外に出て会社で仕事をする男の作業衣だ。撮影現場での成瀬監督をとらえた写真のなかで、彼はほとんどいつも、フェドーラにレインコートだ。これは彼にとっては現場での作業衣であり、一日の仕事が終わると、フェドーラもレインコートも撮影所のロッカーに置いて帰ったという。

 

 お盆に飲み物や食べ物を載せて、台所から茶の間へ菊子や房子が来る。座卓のかたわらで腰を落として両膝をつき、そこでいったん動きを止めたのちに正座へと持っていくという、一連の滑らかな動きとそれにともなうしぐさ、たとえば盆をどのように扱うかといったことも、消えた日本だとしか言いようがない。

 湯たんぽも、消えた日本か。薬缶に沸いた湯を湯たんぽに移す様子をとらえた場面がある。湯たんぽは尾形さんが使う。そしてそれを用意しているのは長女の房子だ。金属製の湯たんぽの口から薬缶の湯を注ぎ入れて口金を閉じ、厚手の四角い布で出来たカヴァーで湯たんぽを四方からくるみ、紐で結ぶ。カヴァーは口の部分に紐をとおした巾着になっている。長方形の布製の湯たんぽカヴァーというものの記憶が、僕の頭のなかに久しぶりに再生された。

 平日の朝、尾形さんは息子の修一とともに電車で東京へ向かう。現実に則して理解するなら、鎌倉の駅を出てほどなく、北鎌倉の少し手前あたりかと思うが、座席にすわっているふたりのうしろにある窓から見える景色の、田園そのものである様子には、充分すぎるほどに驚かされる。まったく別の場所で撮影されたフィルムによるスクリーン・プロセスの可能性はあるけれど。おなじ場面がもう一度ある。菊子が中絶をしに東京の病院へいくとき、自身も東京へいく尾形さんは病院の前まで彼女といっしょだ。

 絹子が友人の池田という女性とふたりで住んでいる家は路地のなかほどにある。このような路地も消えた東京だ。当時はまだどこにでもあったはずの、ただ路地であるだけでそれ以外にはなんの意味もない路地だ。身のまわりにあった現実を巧みに模したセットだろう、と僕は判断している。その路地にある絹子の家の玄関の、格子のあるガラス戸を尾形さんが開くと、戸の動きと連動するしかけとなっているベルがチリリンと鳴る。ガラス戸を開けて入ったところはセメントで平らにした靴脱ぎのスペースで、そこからいちばん手前の部屋の畳までのあいだに、一段だけの板張りの階段のような部分がある。上がり框、とはこれのことか。尾形さんという来客を迎えた池田は、この上がり框の手前に腰を降ろして両膝をつき、上体を無理なく前傾させて畳に軽く指先をついて来客と向き合う。このような動作も日本からとっくに消えている。

 部屋に上がった尾形さんを池田は火鉢のかたわらへ招く。座布団を出して位置をきめ、火鉢の位置も正す。火鉢はほとんどおなじ位置にとどまるのだが、客のために火鉢の位置を整える、という意味の動作を池田はおこなう。火鉢のある部屋という、池田にとっての日常の空間が、座布団を出して位置をきめ、火鉢の位置をなおすしぐさで、客を迎えて相対する空間となる。池田は火鉢に炭を足す。火鉢に炭を足す、という言いかたでその意味は伝わるだろうか。もはや伝わらないだろう、と僕は思う。火鉢のなかには火がついて赤くなっている炭が、少なくとも三つはあるとして、どれも少しずつ灰になっていくから、そこへ新しい炭を加えるのだ。小さくなっていきつつある炭から、その火を移し取ることの出来る位置に新たな炭をひとつ横たえる。ただ単に炭を加えるだけの動作であると同時に、客のためのごく軽い礼儀のような意味もあったはずだ、と僕は思う。池田が加えた炭は太いから、それを火鉢のなかで灰の上に置き、二本揃えた火箸を逆手のように持って炭に当てがった池田は、真上から火箸に力を込める。炭には割れ目があるからそこに火箸の先を入れ、垂直に力を込めて割るのだ。太いままだと火が移りにくい。映画のなかに思いがけず見る、というようなきっかけさえあれば、こんなことを思い出して文章に書くことが、僕の世代だとまだなんとか可能だ。

 杉葉子が演じる谷崎という女性が会社で着ている上っぱりのような事務服は、いまOLたちが着せられている事務服にくらべると、造形的にずっといいのではないか。記憶という世界の遠い向こうに、この事務服の見覚えが僕には充分にあるし、生地の感触すら知っている、という気がする。杉葉子が着ているからさ、という意見はあるだろうけれど、いまの事務服よりはるかにセクシーだ、とすら言っていい。

 尾形を絹子へと橋渡しをした谷崎は、これで自分の役目は終わったとばかりに、尾形さんの会社を辞めてそれっきり画面にあらわれない。谷崎の後任の若い女性が、おなじ事務服を着て社長室のなかのおなじ机で事務をとっているのを、画面のなかに見ることが出来る。こういうのもキャスティングの妙と言っていいだろうか、いかにもという感じの美人であるところが妙に楽しい。このまま修一さんとつきあっていくと私は堕落します、と谷崎は尾形さんに言う。堕落、という言葉がこのような文脈においても、当時はまだ現役だったのだ。

(底本:『映画の中の昭和30年代──成瀬巳喜男が描いたあの時代と生活』草思社 2007年)

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2007年 『山の音』 『映画の中の昭和30年代』 原節子 成瀬巳喜男 映画
2017年4月26日 00:00
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