
人生階段のぼり降り
東京の階段は写真の被写体になり得る。いろんな写真を撮ることが出来る。なぜ誰も撮らないのだろうか。東京で過ごした人生の、現実と自分との折り合いの収支決算は多少の赤字だがそれはまあいい、というような写真の主役として、階段は適役ではないか。しかも東京のどこをどう歩いても、いたるところにさまざまな階段があるから、被写体探しにはまったく苦労しないはずだ。
要するに高低の差が問題なのだ。坂道やスロープ、単なる傾斜などでは制御しきれないほどの高低差が、階段になる。東京にはそのような高低差が多いということだ。歩道橋のような階段は、人と自動車とのあいだに強制的に高低の差を設けることによって、自動車のために人を制御すべし、というような方針のものだろう。
ただひたすら殺風景であることが、設計施工における至上の命題であったような階段。無慈悲な階段。冷酷非情な階段。こういう階段が東京では主流を形成している。極悪非道な階段があるかもしれない。しみじみとした階段もあろうか。泣くに泣けないような階段も、僕だっていくつか知っている。謎の階段もある。ほとんどいつも駆け上がるだけの階段。二十年前の自分の残像が、いまものぼったり降りたりしている階段だって、思いがけないところにあるかもしれない。




階段は人生、などと言うと陳腐になるが、東京では階段が人生そのものだ。だから階段を写真に撮るならば、諸々の人生がそこに撮れている写真を、撮影者はかならずや手にすることになるはずだ。かつて長く慣れ親しみ、いまは離れて懐かしく懐古する階段がもしどこかにあるなら、その階段をいま写真に撮るといい。自分自身の人生がそこにある階段を、まず最初に写真に撮るために。
(2017年4月25日掲載 底本:『東京22章』朝日出版社 2000年)
タグで読む04▼|東京を考える/東京から考える
関連エッセイ
